お久しぶりです。
 6月29日以来の翻訳、8月6日以来の更新になります。

 ところで、今回訳出したコラムの続編『カードが駄目になるとき・再び』には、公式訳が存在します。
http://mtg-jp.com/reading/translated/mm/003976/

≪カードが駄目になるとき――そうならざるを得ない理由≫
原題:When Cards Go Bad ―― Why it has to be done
Mark Rosewater
2002年1月28日
http://archive.wizards.com/magic/magazine/article.aspx?x=mtgcom/daily/mr5

 MagicTheGathering.com開設から一カ月経ったが、この間に私は多くの君たち読者諸賢から大量のメールを受け取った。それらの大多数は極めて重要な事柄を指摘しており、一方で少数の残余は、差し当たっては、建設的批判と呼べるような意思表明を書き連ねてくれた。私は今週の記事の最初の言葉として、メールを送っていただいた人全員に対する大いなる感謝の気持ちを記そうと思う。中には私を呼び捨てにする者もあったが、その人に対しても、だ。MaqicTheGathering.comの最重要な一側面は、マジックを作る者たちに対して話しかける機会が読者全員に開けている、ということだ。製作者の一人として私は、君たちの感想をとても楽しく聞かさせてもらっている。
 過密な日程と大きな書類入れのために、私は全ての投稿に反応をすることができない、しかしながら、しっかりと全てのメールに目を通している、このことを強調しておく義務が私にはあると感じられる。なので、もし何か私の耳に入れたいことがあれば、遠慮なくmakingmagic★wizards.com. 【訳注:★を@に!】宛てにお便りを送っていただきたい。どのマジック・プレイヤーも声を上げることができる。だが私は語られざる声を聞き取ることはできないのだ。
 今週の記事では、私の元に届いたお便りの中の一つを取り上げようと思う。そのお便りは、私の記述の中の、MagicTheGathering.com上で最も物議を醸した個所、それに対する反応の一つだった。その件名は「挑戦と受け取りましたよ、旦那」だった。以下に全文を引用しよう。
 拝啓。ローズウォーター様。
 先日、あなたがMagicTheGathering.comで回答した質問は、非常に好奇心をそそるものでした。最初にその記述を引用しておきます。
2002年1月4日

 質問――エリオット・ファーティク、ペンシルヴァニア州フィラデルフィア市。
「なぜ研究デザイン部は、阿呆らしい駄目なカードを、特になぜ稀少度レアとして、収録するのでございましょうか?」

 回答――マーク・ローズウォーター、マジック・シニア・デザイナー。
「これは非常に込み入った質問であり、私は詳論として将来的に記事にしようと強く確信している。だが手短に答えると、弱いカードはゲームの土台部分だ。リチャード・ガーフィールドはマジックを『探究のゲーム』と評した。ゲームでの楽しさの多くは、新しいカードセットからどんな新発見ができるか、それをプレイヤーが吟味しているような状況において生じてくる。他人が気にも留めないカードの使い道を見つけることに対して、プレイヤーの多くが大きな喜びを感じるところだ。秘かに優秀だが見た目は駄目なカードを、実際に駄目で見た目も駄目なカード抜きには、研究デザイン部は作ることができないのだ」
「マジックの歴史は、『妥協的な / sucky』カードによって満たされている。それらのカードは、注目に値すべき功績を遺した最近のデッキに見受けられる。≪High Tide≫、≪Despotic Scepter≫、≪ライオンの瞳のダイアモンド / Lion’s Eye Diamond≫などだ。これらのカードが稀少度レアとして大きな割合を占めている理由は、リミテッドで何の役も立たないほど狭い機能しか持っていない以上、コモンやアンコモンにするのは避けよう、我々にそういった意図があるからだ。プレイヤーに使用方法を発見してもらうことでカードの価値が高じる、こういう状況を肯定的に評価するためには、古いカードセットに立ち戻って批評するのが有効な手立ての一つだ」

 あなたは詳論として将来的に記事にするつもりだとおっしゃいました。私は可能な限り早くその記事を書いていただきたく思います。ご存知でしょうが、私は1994年からマジックに嗜んでいます。ほとんどの点で私は楽しんできましたが、僅かながら惜しく思うところもありました。もっとも、私が惜しく思ったその事柄は主として、ブースターパックを開封した際にレア枠から≪次元の絶望 / Planar Despair≫や≪オック / Okk≫なんかが躍り出てきた、というものなのですが。熱心で真剣なプレイヤーでありますから、そういうときの私は苦労して稼いだ$3.50のお金を、価値のない一束のカードに無駄遣いしてしまったのであります。ですから、あなたが「弱いカードはゲームの土台部分だ」と宣告したことは、私にとっては個人的挑戦であるように見て取れるのです。
 あなたが、例えば≪テフェリーの反応 / Teferi’s Response≫のようなカードについて論じたならば、私も許すことができましょう。このカードは弱いですが、いくつかの【青いデッキの】サイドボードに入る分には有用です。私は今までかつて一度も、いかなる事情に追われたプレイヤーであっても、≪ライオンの瞳のダイアモンド≫を使っているような人を見たことはありませんし、まして≪オック≫に至っては当然でございます。プロツアー優勝の「壊れたデッキパワーを持つ」≪オック≫入りのデッキなんて、考え付くことができますか? そういう記事を私は楽しみにしています。ところで、あなたに頼みたいことがあります。もしあなたが本当に≪ライオンの瞳のダイアモンド≫や≪次元の絶望≫などのカードがゲームの土台部分だと考えておられるなら、私の「弱いレアカード」すべてとあなたの≪Taiga≫や≪Tundra≫を初めとするデュアルランド何枚かを交換していただけませんかね? 私は何も、私の数百枚の「弱い」レアカードに対してあなたは三枚四枚のデュアランを差し出せば良い、とは言っていないのですよ。一対一交換を基本として交換していただきます。あなたの≪Tundra≫と私の≪オック≫、あなたの≪変異種≫と私の≪次元の絶望≫、あなたの≪Black Lotus≫と私の≪ライオンの瞳のダイアモンド≫。ともあれ私は何も、あなたや御社が私のことを、八年間に渡って商品に数千ドル注ぎ込んできた忠実なお客様であったことを挙げ連ねて間抜け呼ばわりしているんじゃないか、そういった疑いの感じを抱くことはありません。確かに、いくらかの弱いカードは存在して然るべきでしょうが、しかし最低限度として守るべきは、それらもプレイに値するものとして作ることではないでしょうか。
 私はあなたに、この手紙に対して公けに返答することを敢えて要求します。ややもすれば記事という形を取るでしょう。その場合にはこの手紙の、全文あるいは一部でも、引用転載していただいて一向に構いません。私はあなたに全面的に協力するつもりです。お望みでしたら、あなたとの差しでの討論に出て行っても良いんですよ。それほどまでにこの問題は私にとって肝腎だということです。加えて、私がどれほど怒りの感に駆られたか、判読していただけば幸いです。
 そうは言いましたが、もう一つ、知っておいていただきたいことがあります。マジックのゲームはおもしろいものであり、私はそれを楽しんでいます。マジックは数多の微笑みを私にもたらしてくれました。そして大部分について私は、あなたや研究デザイン部の職員は素晴らしい仕事をしている、という考えを抱き続けてきました。私はあなたがたに「弱いカード」問題の解決を提案しているのであります。トップレベルのプレイヤーと寄り集まって意見交換するのがよろしいでしょう。つまり、プロツアー二日目に勝ち残ったプレイヤーから何人か選んで、彼らを一堂に集め座らせて、新しいカードセットの一覧を渡し、「どれが良いカードか、どれが悪いか、どれが壊れているか、またどれが明らかな紙屑か、考えていただけませんか?」と尋ねればよいのです。保証しますが、こう聞かれたプレイヤーの全てでないにしても大多数は、中には守秘契約に同意しない者もおりましょうが、ですが大多数のプレイヤーは、自分たちのゲームの改善に奉仕するためならば、カード目録や何やらを一瞥することに自由時間を快く差し出すのではないでしょうか。
 ここまで読んでいただきありがとうございます。あなたの返答を心待ちにしています。

――ネイサン・ウッダール
ルイジアナ州ケナー市
DCI#10704056


●私の返答
 ネイサンへ。
 第一に、素晴らしいお便りを書いていただいたことに対して、称賛の意を示そう。君は自分の思いを――つまり≪オック≫や≪次元の絶望≫や≪ライオンの瞳のダイアモンド≫といったカードのファンではないという率直な思いを――非常に良く表現してみせたので、私も熟慮と徹底を以てして君のお便りに答えられればと思う。そうは言っても、私には伝えるべきことが多くあるので、今回の記事は普段のものよりも少しばかり長くなっている。この点に関してはどうかご容赦を。もし手短にまとめたものをお望みなら、●要約の段落まで飛ばしていただきたい。
 第二に、私の発言が君を煩わしく思わせてしまったことを深く受け止めよう。だが君独りだけがそういう気持ちになったのではない。私はくだんの件について、他のどの話題よりも多くのメールをいただいたのだ。どうかご留意いただきたいのだが、ウィザーズ社における私の仕事は、もちろんこれは研究デザイン部全員にも同様に言えるのだが、良くできたゲームを創造すること、そして我々の商品を消費する君たちを楽しませることだ。したがって諸君の誰かが腹立たしく感じたと私の耳に入った折には、その問題を修復するか、あるいはその問題が存在しなければならない理由を正確に説明するか、どちらかを為そうと私は思う。
 さて、「駄目な / bad」カードは後者の範疇に分類される。私が「弱いカードはゲームの土台部分だ」と言った際、その言わんとした真意は、トレーディングカードゲームの性質上、「駄目な」カードを排除することは不可能である、というところにある。これらのカードが存在するのは、これらは存在しなければならないからなのだ。研究デザイン部はこれを制御することができない。我々は一度たりとも制御できた験しがない。アルファ版には「駄目な」カードが存在しなかったが、それと言うのもリチャード・ガーフィールドの知るところがそれ以上でもそれ以下でもなかったからなのだ。これは【――第一版であるアルファ版には「駄目な」カードは存在しないが、それ以後は不可避的に存在するという事情は――】トレーディングカードゲームの天性だ。
 このことを君たちにきちんと説明するための場を設けるのに、我々は都合八年間も費やしたことになる。この点について私は謝らなければならないと考えている。しかしながら我々は、「『駄目な』カードは必要悪では決してない」という態度を暗に含んだ意図を持ったこと【――すなわち、いくつかのカードが「駄目に」なっても一向に構わないという認識でカードを作ったこと――】は、これまで一度もない。私が万言を尽くそうと、「研究デザイン部は駄目なカードを故意に作っている」という箇所以外に対して聞く耳を持たない、そういう読者が一定数いるだろうことには、私も承知するところだ。私は今回の記事全体を使ってこの課題を論じようと思う、なぜならば君たちに、この判断の背後にある理由を理解していただきたいからだ。「駄目な」カードが存在するのは、それらが存在しなければならないからだ。なぜか? 以下に列挙するのは、「駄目な」カードの存在の背後にある理由を説明する企てとして、私が自分なりに最も良くできたと考えるものだ。

●理由1:全てのカードが優良になれるわけではない
 この第一の点が最重要である。カードパワーとは相対的なものだ。例えば≪Ancestral Recall≫が優秀なカードでありうるのは、我々が青1マナで4枚ドローできる完全上位互換のカードを印刷しない限りにおいてのことだ。いかなるカードであれ、ある1枚のカードパワーの水準を決定付けるのは、そのカードと同じ環境に存在する他のカードなのだ。
 この現象の一例としては、≪火山の鎚 / Volcanic Hammer≫が挙げられる。このカードはポータル初出の2マナ3点ソーサリー火力なのだが、第7版に再録された際には多くのプレイヤーが不平を口にした。なぜウィザーズ社はこんな「駄目なカード」を基本セットに押し込んだのだろうか、と。しかしながら当時のスタンダード環境では、その≪火山の鎚≫は使用されたのだ。いかにして「駄目なカード」は、プレイに採用されるに値するほど優良たりえたのだろうか。その答えは、1マナ3点インスタント火力の≪稲妻 / Lightning Bolt≫に眠っている。≪稲妻≫は≪火山の鎚≫に比して断然優秀なカードだ。同じ効果を持ちながらも、1マナ軽い上に、ソーサリーではなくインスタントだ。プレイヤーたちは初めて≪火山の鎚≫を目にした時、≪稲妻≫と比較し、それらを並べて見て、≪火山の鎚≫はとんでもなく酷い調整版だと判断した。だが当時のスタンダード環境のように≪稲妻≫が隣になければ、≪火山の鎚≫であっても利点が多くあるように見えたのだ。【Wikiによれば、≪火葬≫などの代替品がなかったために、第7版から第9版までの2マナ3点火力として普通に採用されたらしい。】
 ここで一つ思考実験を行なってみよう。上位300人のトッププレイヤーを一堂に集め、彼らにマジック史上で最も強力なカードを1500枚選んでもらうとしよう。1500という数字は、スタンダード環境が最も広くなった時点のカードの概数に当たる。【テンペストからオンスロートまでは、大型拡張セットは350枚、小型拡張セットは143枚と、枚数がほぼ一定していた。大型2つ、小型4つ、基本セット1つで、概ね1500前後になる。】次に我々は、彼ら300人のプレイヤーの為に、これら1500枚のカードと基本土地のみを使用可能とした特殊フォーマットのプロツアーを設けよう。そしてトーナメント終了後に我々は、各カードに対して採用回数を勘定しよう。全てのデッキやサイドボードに採用された、全てのカードを、たとえそれがトーナメント全体で見れば唯一の採用であったとしても、勘定するとしよう。
 実体験が我々に教唆するところによると、つまり、プロツアーやグランプリや国別選手権といったプレミアイベントの数年間の結果を眺めれば分かることだが、実際にプレイの場に見受けられるのは、300から400ほどの特定のカードに限られてくる。なぜか? それは、最も優良なカード群の内においてであっても、その中の何枚かのカードはその中の他のものよりもヨリ優秀だからだ。≪マハモティ・ジン / Mahamoti Djinn≫は質実剛健なクリーチャーだが、≪変異種 / Morphling≫には及ばない。≪新たな芽吹き / Regrowth≫は素晴らしい呪文だが、≪ヨーグモスの意志 / Yawgmoth’s Will≫にはやはり及ばない。このように、くだんの特殊フォーマットにおいては、いくつかの「優良なカード」が「駄目なカード」に転じてしまうということだ。そして、この現象は常に当て嵌まるものだ。どんな1500枚のカードを選んだとしても、それらはカードパワーの秩序によって階層付けられる。プレイヤーがデッキを構築する際には、その人の目的が競技に最適なデッキを組むことだとすれば、階層秩序の下位ではなく上位の方のカードを選択するはずだ。
 では、我々は300から400枚の【相対的に】優秀なカードを【一つの環境で】持つことが可能なのだとしたら、それはこういうことにならないだろうか――収録された全てのカードが競技の場で見られる、そのような大型拡張セットを、我々は作ることができるのではないか、と。答えはイエスであって、理論的には、330枚全てがプレイされるようなカードセット、それを企画することが我々には可能だ。しかしながら、仮にそうした場合、次のセットはどうなるだろうか? 次の小型拡張セットにはトーナメント水準のものが一枚も収録されていないとなると、果たして誰がそれを買うだろうか? 当然、誰も買わないだろう。【先述の大型拡張セットを前提として】次のセットにもトーナメント水準のカードを収録させるには、カードパワーの水準を引き上げるしかない。新規収録されたヨリ強力なカードは、最初のセットの一部のカードに取って代わることになるだろう。だがこの解決策では、不幸なことに、カードパワーの水準は制御不能な狂乱染みた状態に陥るまで際限なく上昇し続け、マジックのゲーム性を悉く破壊し尽くしてしまうだろう。
 研究デザイン部は過去の時点でこの問題に対する解答を提示していた。それは、どの時点のスタンダード環境においても、300から400になるよう優秀なカードをまとめ、それらを七つの使用可能なセット――すなわち二つのブロックと一つの基本セット――に偏りなく分散させる、というものだ。だがそうなると、残された1100枚余りのカードはスタンダードでお目にかかることはなくなってしまう。それらに対してはどうすることができるだろうか?

●理由2:カードが異なれば、惹かれるプレイヤーも異なる
 前述の問題に対する解決策は、「駄目な」カードが存在する第二の理由に行き着く。カードが異なればそれらの作用も異なるものであり、また惹かれるプレイヤーも異なるということだ。先ほどの我々の実験においては、研究デザイン部はスタンダード環境では使用に耐えられないであろう1100枚ものカードを抱え込んでいる。そこで、これらのカードを内実のあるものに仕立て上げるために、研究デザイン部は他のフォーマットに注視している。相当な数のカードがシールドやドラフトというリミテッド環境下での使用を見越して企画されている。中にはブロック構築を念頭に作られたものや、エクステンデッドやType1等のヨリ古いフォーマットを想定して設計されたものもある。
 次に研究デザイン部が注視するのは、【競技マジックに限らない、】別の種類のプレイヤーたちだ。多人数戦プレイヤー向けのカード、フレーバーを重視する者の為のカード、剽軽者に誂え向きのカード――我々が作る中にはこれらのカードが含まれている。大味なクリーチャーや呪文を「ティミー」へ、コンボカードを「ジョニー」へ、それぞれ宛てている【――念の為に書いておくと、競技志向の「スパイク」は1100枚でなく上位400枚の方に満足している】。我々はマジックのプレイヤーを相異なる集団として把握し、各々が好むであろうカードを投入しているのだ。
 悩ましいのは、プレイヤーが傾向として、使う理由が個人的に見当たらないカードを「駄目なカード」として定義しがちだということだ。しかしながらある種のカードは、そもそも彼らを想定されてはいないのだ。プレーンシフトに収録された≪ゴブリンのゲーム / Goblin’s Game≫が格好の事例だ。このカードは楽しくて馬鹿げたカードとして設計され、アングルードのような企画をも喜ばしく思うような社交的なプレイヤーへ向けられたものだ――急いで追記するが、巷で立っている噂とは正反対に、≪ゴブリンのゲーム≫は没となったアングルード2からの流用ではない。閑話休題、この≪ゴブリンのゲーム≫はかなりの人数の真剣勝負なプレイヤーを狼狽させ絶叫させた。なぜならば彼らにとってそれは、カード紙面の無駄遣いでしかなかったからだ。
 また、これは≪オック≫が投下される範疇でもある。≪オック≫がカッコイイのは、パワー・タフネスが両方とも4であるゴブリンだからだ。もし≪オック≫の性能が君の目に魅力的に映らないのなら、君は≪オック≫の観衆ではないということだ。げに≪オック≫はプロツアー予選を勝ち抜く為に印刷されたものではないのである。
 マジックの長所の一つは、多くの人々が各自に楽しめるような多面性にある。この融通性があるために、各プレイヤーは自分の好みの遊び方にゲームを切り替えることができるのだ。マジックのこの洗練された様相にも難点があり、それは、他の類型のプレイヤーへ宛てられたカードに対して心を開いて寛容であるよう、各プレイヤーが自覚しなければならない、という点だ。

●理由3:カードパワーの多様性は、新発見の鍵である
「駄目な」カードが存在する次の理由は、トレーディングカードゲームを成立せしめている核心部分に存在している。TCGは、特にマジックは、新発見と非常に密接な関係にある。例えばウノを遊んでいる時、プレイヤーは「ドロー4」の札が「青の6」の札よりも優れていることを知らなくても構わない。ウノにおいては全ての札が一緒に混ぜられ、自分の手元に来たものを使ってゲームを進めるからだ。【つまり、使う機会も使われる機会も、全員に等しく同じ程度に、開かれている。】だがマジックにおいては、自分がデッキに入れて使用するカードを、前もって取捨選択する必要がある。カード同士を識別する能力が非常に重要なってくるのは、このあたりの事情にある。【「どんなカードを使われるか」という可能性はフォーマットの制約の為に全員に共通だが、「どんなカードを使いうるか」という可能性はデッキ構築の時点で確定してしまっている。】マジックのプレイヤーとして成長するにつれ、カードの潜在能力を見極めるのが得意になることだろう。この現在進行形の挑戦こそ、マジックを真新しいものにし続ける肝心要の要素なのだ。
 この特徴を吟味する最善策は、自分自身のマジック史を顧みることだ。何らかの構想を最終的に「会得した」、そのような重要な瞬間を思い出すことができるだろうか? それは突然の閃きが悉く腑に落ち、単一のあるいは一連のカードがなぜ元来自分の見込んでいたよりも優秀あるいは劣悪であるのか、それを明瞭に理解した瞬間だ。この局面こそマジックを嗜む者にとって身の震える喜びの瞬間であり、研究デザイン部は意図的にカードに勾配をつけ【――カードパワーに上り坂と下り坂の両方を入れることによって――】絶え間ない発見の感覚を我々にもたらしている。
 とはいえ、ここにも問題がある――仮に、カード同士の相対的な「難点」【例えば≪稲妻≫と比較した際に≪火山の鎚≫が劣っている点】を一つの勾配として想像してみていただきたい。もしこのような勾配の上に君のカードに対する理解力が築かれれば、確然的にプレイに値するものか確然的に「駄目な」もののいずれかに、全てのカードは分別されることになるし、判断を保留し先延ばしするカードに対しては、幾ばくかの考察や仕分けの為の試用が必要となることだろう。だが我々の職務は、マジックを全プレイヤーに向けて設計することだ。すなわち、君がプレイヤーとしてヨリ熟練しているほど、君はそれだけヨリ多くのカードを「駄目なカード」と判断することになる。しかしながらヨリ低いパワーのカードは、マジックの初心者に発見と探求というかの感覚をもたらすことから、極めて重要な存在だ。具体例を挙げよう。おそらく読者諸兄は≪水晶のロッド / Crystal Rod≫、≪鉄の星 / Iron Star≫、≪象牙の杯 / Ivory Cup≫、≪骨の玉座 / Throne of Bone≫、≪森の宝球 / Wooden Sphere≫という「ラッキーチャーム」を駄目なものだと考えるはずだ。しかし我々が試験したところ、次のような教唆が得られた――大多数の初心者はこれら「ラッキーチャーム」に夢中になるものであり、時間が経ってようやく、通例だとヨリ経験の積んだプレイヤーに教えられて初めて、実際にはそう思われるほど良いカードではないと学習するのだ。このように、「ラッキーチャーム」は「勾配」【カードパワーの上下】を理解する重要な手立てになるので、我々は【中級者以上の多くの忌避の意見にもかかわらず】基本セットにこれを収録し印刷し続けている、というわけだ。
 この理由付けに対しては二つの反応が予想されるので、ここで予め回答を記しておこう。第一の想定反論――「マジックは発展発達した、進んだゲームだ。然るに研究デザイン部の定める出発地点は、あまりにも低い。マジックを嗜むプレイヤーたちはそれなりに頭の切れる連中だ。『ラッキーチャーム』のカードパワーが低いと導き出すことは、我々にとって造作のないことだ」――これに対する私の回答は、次のようなものになる。我々研究デザイン部は、多大な時間と費用を以ってしてプレイヤー人口の基盤を調査した。我々が入門者向けのカードとして先述の水準を設定しているのも、多くのプレイヤーがその水準に位置しているからだ。思い出していただきたいのだが、マジックは推奨年齢13歳以上のゲームだ。将来におけるゲームの健全性は、初心者にとって良い入り口が設けられているか否かに掛かっている。もし新規参入者がいなくなれば、上級者が遊ぶためのマジックもいずれ無くなることだろう。
 第二の想定反論――「あなたの考えは時代遅れではないでしょうか。インターネットがあらゆるものを変えてしまいました。情報は自由気ままに行き来していますし、カードパワーの推論は従来に比して遥かに素早く行なわれています」――これに対して私は、インターネットが物事を変えていることについて、然りと答える。しかしながらそれは、新発見の必要性をも変更することを意味するわけではない。そもそも、非常に多くのマジックのプレイヤーは、インターネット上でマジックについての記事を読まないものだ。実際のところ、そういうプレイヤーが【原文執筆当時は】多数派を占めている。記事を読む者も、やはり、発見への過程を楽しんでいるものであって、そういう人たちは他人の書いたカード分析の記事に頼ることなくそれを成し遂げようとしている。新発見はマジックにおける歓喜の局面だ。幾人かが手っ取り早い近道を選んでいるからと言っても、それは研究デザイン部が他のプレイヤーから発見への旅路を奪い取る理由にはならない。

●理由4:カードパワーの上下は、相対的なものである
 新発見という頂に至る道を妨害として研究デザイン部が行なっていることの一つに、即座に評価を下すのが困難なカードを意図的に企画する、というものがある。この種のカードの多くは、そのカードを使いこなせるデッキが存在するか否かによって「優秀」とも「駄目」ともなりうる、そのような非常に狭い機能を有している。ネイサンのお便りに挙げられていた≪ライオンの瞳のダイアモンド≫は、格好の例だ。
 一瞥しただけでは、この≪ライオンの瞳のダイアモンド≫は実に妥協の産物として目に映る。だが時間遡行機を1998年11月に設定し、プロツアー・ローマへと足を運んでみよう。フォーマットはエクステンデッドであり、この時点ではウルザス・サーガ収録のカードで禁止指定されているものはなかった。それまでのどの時点におけるエクステンデッドも、そしておそらく歴代プロツアーも、この大会ほどカードパワーが高まったことはなかった。持ち込まれたデッキで優秀な部類に属するものは、第一ターンないし第二ターンで勝利できるような代物だった。トーナメントに現れたそのようなデッキの中で、多くのプロプレイヤーたちが最も出来が良いと考えたのが、ブライアン・ハッカー【Brian Hacker】の使っていたものだった。彼はプレイングの失態のせいでベスト8を逃してしまったが、彼のデッキには≪ライオンの瞳のダイアモンド≫がキーパーツとして4積みされていた。【余談ながら、このローマ大会直後の98年から99年にかけての冬こそが、MoMaの冬だ。】
 重要なのは、カードの汎用性は現時点で流通しているメタゲームに応じて激しく変動しうる、ということだ。ある日には見るのも嫌だったカードが、次の日には、史上最高のカードパワーを誇るプロツアーにおいて、最善とみなされたデッキの屋台骨になっている、といった具合に。

●理由5:カードパワーの多様性は、ヨリ熟練したプレイヤーにとって報いになる
 以上の大部分で、私は「駄目なカード」の存在しなければならない理由を説明してきた。私は「駄目なカード」がゲームに与える良い影響についてをも指摘しようと思う。私の考えでは、カードパワーに多様性を持たせることの最大の理由は、競技における技巧を増加させるからだ。例えばドラフトでは、プレイヤーの人数が少なければ少ないほど、次善の戦力を確保できる可能性はヨリ大きくなる。あるいはヨリ多くの駆け出しのプレイヤーが、気になる疑わしい呪文をデッキに入れることになるかもしれない。いずれにせよ、ヨリ上手なプレイヤーが勝つという機会は増加することになる。
 例として、全てのカードが全く同じカードパワーを持っているようなカードセットを、研究デザイン部が作ったと想定してみよう――実際には不可能事だが、議論を進めるために差し当たっては可能だと仮定していただきたい。このようなカードセットで、プレイヤー甲とプレイヤー乙が同じ八人卓でブースター・ドラフトを行なうとしよう。甲はプロプレイヤーだが、乙は僅か四ヶ月間のマジック歴だ。この筋書きでは、甲の持つ優位性は現実よりも小さなものとなる。乙がどのカードを選んだとしても、それは分け隔てなく等しく優秀なものだ。乙のデッキにはともすれば相乗効果が織り込まれておらず、またマナ基盤も少しばかり物足りないだろうが、しかし彼のこれから使うカードは、どれも堅実で中身のあるものだということだ。
 マジックは、その構造の中に既に無作為性が埋め込まれている。兎にも角にも、デッキは全て切り混ぜられてしまう。カードパワーの多様性が一助となって、奇を衒った者は技巧へ立ち返らせるようにけしかけられる。

●理由6:人は「秘宝」を探すのが好きだ
 二つ目の効用が「駄目なカード」にはある。マジックの楽しみ方の一つとして、他の全員が見逃しているカードを発見するというものがある。地雷デッキ使いにこれを推奨するために、研究デザイン部はいくつかの「駄目に」見えるが実際は「優秀な」カードを作り出さなければならない。私自身が「Ask Wizards」に寄せた回答から引用すると――私にはこれ以上の言い回しが思いつかないからこそ、引用するのだが――「研究デザイン部が駄目に見えて実際は優秀なカードを作ろうと思えば、駄目に見える上に実際にも駄目なカードをも作らざるをえない」
 最近では、インベイジョン収録の≪完全な反射 / Pure Reflection≫が誂え向きの例ということになるだろう。往々にして人々の意識に上がらなかったこのカードは、ズヴィー・マシューヴィッツ【Zvi Mowshowitz】が2001年のプロツアー東京で優勝を飾った際、ソリューションデッキのサイドボードとして重要な役割を担うに至ったのだ。

●理由7:研究デザイン部も人の子でしかない
 ヘンリー・スタン【Henry Stern:インベイジョン開発リーダー等】、ウィリアム・ヨークシュ【William Jockusch:メルカディアン・マスクス開発チーム等】、ワース・ウォルパート【Worth Wollpert:オンスロート開発チーム等】、そして他の多くの社員が、均衡の取れた環境を創るために数えきれない時間を費やした。
 例えば、明日私は、トーメント、ジャッジメント、そして来年から始まる3つのセット【オンスロートブロック】のカードを一覧にしてメールにすると仮定しよう。これらに第7版とオデッセイを加えれば、私は君自身や君の望む友人に、一年後のメタゲームを知っていただくことを要請できる。私は各日メールを送るつもりだが、その日のカードの一覧は、前日に渡した一覧とは中身が異なっていて、我々がどこをどう入れ替えたのかという経緯についても記すことになるだろう。骨の折れる作業かもしれないが、研究デザイン部では日常茶飯事の営みだ。
 これはそうそう無意味な作業ではない。だが考えてもみていただきたいのだが、難しい仕事には違いなく、我々も完全無欠ではありえない。大勢のマジックのプレイヤーが新たな構想を提案しにやってくるが、時として研究デザイン部やテストプレイヤーはそれを見落として理解し損なってしまうことがある。そして既存の問題はそれ自身を掻き回すに止まり、一方で多くの進展が他の進展と相まって築かれていく。一つの見落とされた強力な相互作用は、我々全員を邪道へと引き込む結果に結びつきうる。何枚かの「駄目な」カードは、我々の目論見ではもっと良かったはずが実際にはその目論見が外れてしまった、というものだ。だがその代償として、何枚かのカードは我々の期待を上回って優秀に仕上がっている。だから私は、結局のところ全ての帳尻は合わさっているのだと考えるようにしている。
 研究デザイン部による最近の「罵倒モノの大失態【boo-boo】」の具体例は、エイヴン、セファリッド、陰謀団、ドワーフ、ナントゥーコからなるオデッセイの祭殿サイクルが挙げられるだろう。多くの墓地を参照すれば効果が強くなることから、研究デザイン部はこれらのカードが多人数戦で使用されると見込んでいた。今となっては確然的に我々は間違っていたことが明らかになった。

●要約
 以上が、突然変異的な量の記述ではあったが、我々が「駄目なカード」を作る理由を掻い摘んで述べたものだ。復習のため、また、全文を読む気のない人のため、要点を箇条書きにしておこう。
・1:定義からして、駄目なカードが何枚か存在することになる(これが最重要の理由だ)。
・2:「駄目な」カードの中には、そう判断する人の楽しみ方を想定していないものがある。
・3:「駄目な」カードの中には、マジックの入門者や初心者を想定して設計されたものがある。
・4:そのカードを使いこなせるデッキが存在しないがために、「駄目」と判断されるものがある。
・5:「駄目な」カードは熟練したプレイヤーの技巧に報いる。
・6:「駄目」に見えるが実際には優秀なカードを発見するのが好きなプレイヤーがいる。
・7:「駄目な」カードの中には、研究デザイン部の失態の成果であるものがある。
 さて、これでこの記事は終わりになるが、この論題についてはまだ続くことになるだろう。活発な討論が行なわれるのではないかと期待するところだ。読者諸賢も、是非とも広報ページの掲示板を訪れていただきたい。私も全ての投稿に目を通し、時には相槌を打ったり会話に割り込んだりしているので、気兼ねなく意思表明していただければ幸いだ。
 来週もまた参加していただきたい。なぜメカニクス以外の初めてのテーマ週間【初めてのフレーバー関連のテーマ週間】で、マーフォークなどの亜人の種族【folk】を取り上げなかったのか、その理由を説明するつもりだ。
 その時まで、君たちの初手に十分な色マナが揃っているのを願いつつ。

――マーク・ローズウォーター

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