太字タグの不備があり、投稿ミスしていました。すみません。

 今回訳出した記事『Zen and the Art of Cycle Maintenance』にも、ホビージャパン時代に出された公式訳『サイクルの禅と美』が存在します。
http://web.archive.org/web/20040305011205/http://www.hobbyjapan.co.jp/magic/articles/files/20020905_01.html

 原文も公式訳も随分古いものであること、前回訳出した『単純であり続けるためには』で「審美については別の記事で述べよう」と言及されていたこと、そして『100回記念』で「この記事の一番おもしろい箇所は、審美についての段落のところだ」と触れられていたこと、こういう事情から再び訳出しても了解していただけるだろうと思い、手をつけました。

≪禅とサイクル修理技術――サイクルという審美≫
原題:Zen and the Art of Cycle Maintenance ―― The aesthetics of cycles
Mark Rosewater
2002年7月8日
http://archive.wizards.com/Magic/magazine/article.aspx?x=mtgcom/daily/mr28
【原題の元ネタは『Zen and the Art of Motorcycle Maintenance / 禅とオートバイ修理技術』という長編小説。記事の内容から離れますが、「サイクル」を「カラーパイ」に変えればオートバイと語感を似せられます】

 サイクル週間へようこそ! もっとも、執筆者各人がサイクル一般について述べるわけではない。全員の記事が揃うと、全体として一つのサイクルになるというわけだ。あれまあ。

●同種の五枚
 おそらくは、サイクルの厳密な説明から始めるべきだと思われる。サイクルとはメカニクス面で結びつきを持った一連のカード群のことである。往々にしてそれらのカードは、名前やフレーバーテキストや絵画といったフレーバー面でも共通項を持っているが、この点は必須というわけではない。最も馴染みのある種類のサイクル、私はそれを「伝統的な」サイクルと呼んでいるが、それは各色一枚ずつの五枚から成り立つようなものだ。最近のセットからだと、ジャッジメントの願いサイクル――≪黄金の願い / Golden Wish≫≪狡猾な願い / Cunning Wish≫≪死せる願い / Death Wish≫≪燃え立つ願い / Burning Wish≫≪生ける願い / Living Wish≫――あるいはオデッセイの噴出【Burst】サイクル――≪生命の噴出 / Life Burst≫≪霊気の噴出 / AEther Burst≫≪精神噴出 / Mind Burst≫≪集中砲火 / Flame Burst≫≪筋力急伸 / Muscle Burst≫――これらがその具体例として挙げられる。
 通常、ひとつのサイクルを形成するカードは、どれも等しい稀少度で同一のセットに収録される。しかし必ずしもそうというわけではなく、例を挙げると、アルファ版収録のサイクルの起源である「ブーンズ」、すなわち≪治癒の軟膏 / Healing Salve≫≪Ancestral Recall≫≪暗黒の儀式 / Dark Ritual≫≪稲妻 / Lightning Bolt≫≪巨大化 / Giant Growth≫は、稀少度がそれぞれ違っているが、「代替勝利条件」エンチャント、すなわち≪機知の戦い / Battle of Wits≫≪偶然の出会い / Chance Encounter≫≪死闘 / Mortal Combat≫≪忍耐の試練 / Test of Endurance≫≪勇壮な戦闘 / Epic Struggle≫は、オデッセイ・ブロックの別々のセットに収録されている。時に研究デザイン部は、複数のブロックに渡って一つのサイクルを設けることがある。最初の「エイトグ」サイクル、≪エイトグ / Atog≫≪森エイトグ / Foratog≫≪時エイトグ / Chronatog≫≪ネクロエイトグ / Necratog≫≪オーラトグ / Auratog≫は五種類のエキスパンションに分けられて収録された。そしてメガ・メガの伝説の土地サイクル、≪テフェリーの島 / Tefferi’s Isle≫≪ヴォルラスの要塞 / Volrath’s Stronghold≫≪ヤヴィマヤのうろ穴 / Yavimaya Hollow≫≪コーの安息所 / Kor Haven≫≪ケルドの死滅都市 / Keldon Necropolis≫は五つのブロックに渡って収録された。
 余談ながら、全サイクルの中で最も有名なアルファの「ブーンズ」は、色の定義として企図されたものだ。このサイクルにおいて青は気違いに強力に定義され、白は臆病な小心者に定義されてしまった。十年経ってもなお、我々はこの青強白弱という定義の上でマジックに取り組んでいる。
 閑話休題。伝統的サイクルの次に馴染みのある種類のサイクル、それは私が「無色の」サイクルと呼んでいるもので、これは土地やアーティファクトとして仕上がるものだ。つまりこの種のサイクルは五枚のカードで成り立ちながら、五枚の土地ないし五枚のアーティファクトとして出来上がり、そして個々の土地ないしアーティファクトは五色の中の一つに――時には複数に――何らかの結び付きを持っている、というわけだ。最近の無色サイクルの事例としては、共にオデッセイ収録の卵サイクル――≪スカイクラウドの卵 / Skycloud Egg≫≪ダークウォーターの卵 / Darkwater Egg≫≪シャドーブラッドの卵 / Shadowblood Egg≫≪モスファイアの卵 / Mossfire Egg≫≪サングラスの卵 / Sungrass Egg≫――とスレッショルドランド――≪遊牧の民の競技場 / Normad Stadium≫≪セファリッドの円形競技場 / Cephalid Coliseum≫≪陰謀団のピット / Cabal Pit≫≪蛮族のリング / Barbarian Ring≫≪ケンタウロスの庭園 / Centaur Garden≫――が挙げられる。
 第三は「多色の」サイクルだ。一つの多色サイクルは五枚の多色カードから成り立ち、それらは友好色の組み合わせ五枚のときもあれば、対抗色の組み合わせ五枚のときもある。ご存じ、時には三色のサイクルが作られるし、いつの日にか四色のサイクルがお披露目されるかもしれない。直近の事例では、オデッセイ収録の≪ファンタトグ / Phantatog≫≪サイカトグ / Psychatog≫≪サルカトグ / Sarcatog≫≪リサトグ / Lithatog≫≪ソーマトグ / Thaumatog≫の多色エイトグや、インヴェイジョン収録の≪ガリーナの騎士 / Galina’s Knight≫≪ヴォーデイリアのゾンビ / Vodalian Zombie≫≪シヴのゾンビ / Shivan Zombie≫≪ヤヴィマヤの蛮族 / Yavimaya Barbarian≫≪ラノワールの騎士 / Llanowar Knight≫の多色の「熊」が挙げられる。
 第四は「単色の」サイクルだ。一つの単色サイクルは同一の色の五枚のカードから成り立ち、それぞれが別々の五色を参照している。この種のサイクルで最も名の知れた具体例は、基本セットに常連の防御円だろう。

●少ない方がヨリ良い
マジックのいかなる要素についても、必ず例外項目が存在する。サイクルの大多数が五枚のカードで成り立っているものの、全てがそうだというわけではない。以下に、四枚、三枚、あるいは二枚から成立するサイクルを紹介しよう。
では、四枚のカードはどのようにしてサイクルたりうるのだろうか。俄かには信じがたいかもしれないが、いくつかの道筋がある。四枚カードのサイクルが最も一般的に表現されるのは、以下の状況においてだ――ある一色が他の四色を巻き込みつつ、他の四色それぞれはその一色のみを巻き込んでいる、このような状況だ。これに誂え向きの事例としては、トーメント収録の汚れた土地サイクルが挙げられる。≪汚れた原野 / Tainted Field≫≪汚れた島 / Tainted Isle≫≪汚れた峰 / Tainted Peak≫≪汚れた森 / Tainted Wood≫はそれぞれが沼のコントロールを運用上の必要としており、したがって黒版の一枚を設ける必要性は無かったということだ。
四枚カードサイクルを作る第二の道筋は、ある一色を基軸として他の四色それぞれと組み合わせることで、四枚の多色カードを作るというものだ。具体的には≪吸収 / Absorb≫≪蝕み / Undermine≫≪窒息の旋風 / Suffocating blast≫≪神秘の蛇 / Mystic Snake≫から成る、インベイジョンブロック収録の多色の打ち消し呪文サイクルが挙げられる。最後の、第三の道筋は、二色同士で「鏡写し」の効果を二重に施すことだ。「鏡写し」の詳しくは後で述べるが、この二色による四枚カードサイクルの例として誂え向きなのは、アルファ版収録の≪大気の精霊 / Air Elemental≫≪大地の精霊 / Earth Elemental≫≪炎の精霊 / Fire Elemental≫≪水の精霊 / Water Elemental≫という四大精霊サイクルだろう。【他にはウルザズ・サーガ初出の東西南北の聖騎士サイクルがあり、こちらは色対策要素をも兼ね備えている。】
 三枚カードのサイクルは稀有なものだが、単一の色の三枚のカードが三つの稀少度に割り振られることによって成立しうるものだ。この手法が採用される際には、稀少度が上がるにつれて効果もまた漸増していくのが通例となっている。最近の例だとオデッセイ収録の頭脳喰らいサイクル――≪思考をかじるもの / Thought Nibbler≫≪思考を食うもの / Thought Eater≫≪思考を貪るもの / Thought Devourer≫――あるいはアポカリプス収録の暗影サイクル――≪暗影のボブキャット / Penumbra Bobcat≫≪暗影のカヴー / Penumbra Kavu≫≪暗影のワーム / Penumbra Wurm≫――が挙げられる。
二枚カードのサイクルは、我々が「鏡写し」と呼ぶ過程を通じて創作される。すなわち二枚のカード、通常は対抗色の二枚が「鏡」という名前の通りに、効果を互いに忠実に反映しているというものだ。アルファ版の古くから存在する鏡写しのサイクルとして、次のカードが挙げられよう――≪白騎士 / White Knight≫≪黒騎士 / Black Knight≫、≪青霊破 / Blue Elemental Blast≫≪赤霊破 / Red Elemental Blast≫、≪死の掌握 / Deathgrip≫≪生の躍動 / Lifeforce≫――リチャードは鏡写しを大層好んでいたと、分かっていただけることと思う。また、友好色同士であっても、その二枚が似通いつつも反対の効果を持っている場合、それらは鏡写しとして扱われることがある。この種の具体例として最適なのは≪地震 / Earthquake≫と≪ハリケーン / Hurricane≫だろう。加えて、似通いつつも僅かに異なった効果を設けることによって、鏡写しの二枚を単一の色の中においてさえ存在せしめることができる。このような鏡写しは、プレーンシフト収録の≪殺戮 / Slay≫とオデッセイ収録の≪処刑 / Execute≫のように、色対策カードに多くの事例を見出せる。
 以上で我々はサイクルの何たるかを一通り知ることができたので、いよいよ最重要課題に取り組む時機に来たと言えよう。すなわち、サイクルの存在理由は何か、という問いだ。その答えは、いつものことながら、入り組んだ事情だ――ともすれば読者諸賢にとって、こういう展開は予想通りだっただろうか? 以下に述べるのは、サイクルが実際にどんな役割を果たしているかについてだ。

●審美の創造
 私はボストン大学でコミュニケーション学部に所属していた。ご存じ、私がハリウッドでドラマ『ロザンヌ』の脚本を担当する前の話だ――あぁ、失礼、どうも私は一ヶ月に一度はこの話題に触れねばならないと感じているようだ。閑話休題、私の専攻は放送と撮影、つまりテレビと映画だった。メディアを研究する際の最も素晴らしい側面は、娯楽を嗜好し血肉にすることが研究である、という事情にある。富裕層はいかにテレビで描かれたかという研究課題の下で『アーノルド坊やは人気者』、『ダイナスティ』、『ダラス』、『探偵ハート&ハート』を視聴したり、カルト映画の役割について述べるために『レポマン』の論文を書いたり、ある授業では週刊『テレビガイド』を毎週読まされたり――とにかく全てが楽しいものだった。
 なぜこういう話題を持ち出したのかというと、私がそこで必修として受けざるを得なかった授業の一つ、しかも必修でなければ選択しなかったであろうもの、それに言及するためだ。その授業こそ、「審美学 / Aesthetics」と呼ばれるものだった。この授業の背景にある考え方は粗方次のようなもので、すなわち――未来の娯楽企画者として学生諸君はメディアにおける芸術と美の役割を理解しておく義務がある――というものだった。この授業の大半の時間は伝統的な形態の芸術の鑑賞に費やされ、美という概念に至る一般的原理への理解が目的とされた。
 果たしてこの「審美学」の授業は私にとって、四年間の大学生活の中で指折りに気に入った授業の一つになった。この授業で学んだいくつかの非常に重要な教訓は、私のマジックの設計に強い影響を与えている。
 教訓1:美とは主観的なものではない――我々がこの授業で最初に学んだのは、美とは非常に客観的なものだということだ。ある性質を他のそれよりも魅力的に感じる、そのような特性が人間の脳には間違いなく組み込まれている。そしてこのことは、人によって意見の不一致があることを否定するものではない――事実、考え方や好みの違いというものは確然的に明らかに存在するのだから。そうではなく、審美学は【脳という生命科学の領域を参照することで】科学として研究されうる、と言っているのだ。
 教訓2:人が感じ取るものは、自分が意識的に知覚していないものだ――おそらくこれが私の学んだ教訓で最も価値の高いものだろう。この教訓の背後にある考え方は、ある一つの物の審美を決定付ける要素の多くは、観測者が意識している要素ではない、というものだ。すなわち、全ての規則に従うことは、そのことがプレイヤーに直接知られるわけではないとしても重要なことなのだ。【この教訓によれば】総合的な影響が出てくるはずだからだ。
 教訓3:美は細部に宿る――これは教訓2の延長線上にある。被造物の全体的な美は、多くの細分化された諸要素によって決定付けられる。教訓3が我々に言わんとしているのは、カードを設計するに際して我々は、些細な物事に対しても非常に大きな注意を払う必要があるということで、それというのも、プレイヤーが完成品を見た時に、その些細な物事は一緒くたになって彼らの目に映り、彼らの感想に大いに影響を及ぼすからだ。
 教訓4:構造は美である――人間は構造を好き好むものだ。それも非常に。そうであるから彼らが下す美の定義は、対象がどれほど構造化されているかという点に非常に大きく左右されている。設計のためにどれほどの量の規則や制約が課せられているか、それを知ると多くの人々が衝撃を受けるところだが、これらの規則の存在には重大な意義があるのだ。つまりそういった規則や制約が存在が、【マジックというゲームの構造化の一端を担っているのであり、】製品をヨリ魅力的なものにしているのだ。
 教訓5:均衡こそ重要である――これは教訓4と関連している。人間は均衡に対して生まれながらにして願望を抱いているものだ。人間の審美的な感性は、平等化された物事に対して好意的な反応を示す。マジックのフレーバー全ての核となるカラーホイールはまさに、この人間の願望へ直接に働きかけているのだ。
 教訓6:物事には結び付きが必要である――これもまた教訓3と関連している。人間は本能的に物事を結び付けようとする。以下に挙げる授業からの引用は、このことの最良の具体例だろう――すなわち、無作為にテレビのチャンネルを選び、音声を切る、そして無作為にCDをかけ、無音のテレビを観ながらCDの音楽に耳を傾ける、という実験だ。テレビの映像とCDの音楽とが、次第に結び付いて感じられるようになるはずだ。何故かと言うと、人間の脳に物事を結び付ける能力が実装されているからだ。これこそ、脳がもたらす作用だ。【互いに無関係な二つの物事さえまとまりのあるように理解される、そのような本能が人間の脳には組み込まれている、】けれども、結び付きがヨリ容易であるほど、脳はヨリ嬉しく感じるものであって、そしてその感覚がヨリ審美的な感性に変換される、ということだ。
 以上が、私が審美学の短期集中コースの授業で学んだ教訓だ。マジックにとってこれらの意味するところは、設計者も開発者も細部に対して非常に時間をかけなければならない、という点にある。そうすることで商品はヨリ審美的な、つまり「ヨリかっこいい」ものに仕上がるはずだ。
 そこで、これがサイクルにとってどのような意義を持ってくるのかが問題になってこよう。サイクルとは審美である――構造化されていて、均衡を有していて、互いに結び付きを持っている。つまりサイクルは、その収録されたセットを審美的に高める役割を担っているのだ。

●フレーバーの付与
 マジックの最重要要素の一つはフレーバーである。もっとも、読者諸兄の中にはフレーバーをさほど重要視していない者がおられることも、私は重々承知している。そういう人にとってゲームとは印刷されたカードが全てたりうるだろう。それは素晴らしいことであって、そういった遊び方も私は嬉しく思うところだ。しかしながら全体として見れば、そのような考え方をしない集団も確かに存在するのであって、ゲームのフレーバーに強い関心と注意を払っている人もいる。例えばある特定の色のカードしか使わないという人、特定の色のカードは絶対使わないという人、何か特定のお題に則ってデッキ構築をするという人、あるいはマジックの背景設定の小説を読んで楽しむという人。こういう人々のことを考えて、我々製作者側はフレーバーを注意深く取り扱う必要があるのだ。
 そこで次なる問題が生じてこよう――フレーバーにとってサイクルは何故そんなにも重要なのかと。理由は次のようなものであって、つまりマジックにおいてフレーバーの中心にあるのはカラーホイールであるからだ。各色の定義は孤立して行なわれているのではなく、相互に対比されることを通じて行なわれている。サイクルを用いることで我々は、そういった色同士の差異を適確に表現できるのだ。オデッセイブロックの「代替勝利条件」サイクルを例に取ってみよう。これらのカードのフレーバーは、各色が他の色と比べて自分の最も得意とする、そのような勝利条件を新たに創ってゲームのルールを変えてしまう、というところにある。
 白の思いは、対戦相手よりも長生きすることが最重要だというものだ。青が欲するのは、対戦相手の頭脳を出し抜くことだ。黒は対戦相手に苦痛を与えるのが最良だと考えている。赤が好ましく感じるのは、対戦相手が適切に対処できないような混沌とした状況を演出するときだ。そして緑は、クリーチャーの大群を呼び寄せて彼らと戦うことだけを欲している。これらを比較対照すれば、各色について理解できるのみでなく、互いにどれほど相違しているかをも知ることができるはずだ。

●全員を幸せにするためには
 我々開発陣がマジックに携わることで得られる喜びや満足のひとつは、ゲームに新しい物事を付け加え続けるというところにある。ジャッジメント収録の「願い」のように、時として我々は非常に洗練された物を、是非ともプレイヤー全員に使っていただきたいと思える物を付け加えることができた。サイクルを通じて我々は全員に公平な機会を設けることができる。当然、一つのサイクルのカードが全て同程度の力を持っているわけではない。しかしながら時間をかけてではあるが、どの色にも輝ける時機が来るよう我々は取り計らっている。

●採血の許容【Allow Bleeds】
 マジックにおけるもう一つの喜びや満足は、我々は規則に対して厳格でなければならないのだが、それを時どき意図的に破ってみるというところにある。しかし規則を破る上で問題なのが、それが特別な例外として行なわれた苦心の成果であるのだと、プレイヤーに理解してもらうことだ。サイクルはこの目的を果たすのに大きな役割を担っている。
 ドラゴンを具体例として挙げよう。普段ならばドラゴンは赤のクリーチャーだ。しかしミラージュにおいて我々は、他の四色にもドラゴンを宛がう機会を設けてみてはどうだろうか、と考えたのだ。我々は≪真珠のドラゴン / Pearl Dragon≫≪霧のドラゴン / Mist Dragon≫≪地下墓地のドラゴン / Catacomb Dragon≫≪火山のドラゴン / Volcanic Dragon≫≪梢のドラゴン / Canopy Dragon≫から成るドラゴンサイクルを創った。これはプレイヤー全員に楽しんでもらいつつ、サイクルであるがために四体のドラゴンは特例だろうと留意していただけたわけだ。以上ように、色の役割の領分が他の色に一時的例外的に侵食されている、そのようなサイクルが時として作られるのだ。
 この点に関して最近の事例を挙げると、トーメントの「ライフを支払う」フラッシュバックのサイクル――≪ほとばしる魂 / Spirit Flare≫≪緻密な分析 / Deep Analysis≫≪ひどい憔悴 / Crippling Fatigue≫≪抵抗の誇示 / Flash of Defiance≫≪ドングリの収穫 / Acorn Harvest≫の五枚がそれだ。通例では、代替コストとしてライフを支払えるのは黒の特権だ。しかしトーメントは「黒に焦点を当てたセット」であったので、黒の支配性を表現するために黒の能力のいくつかを他の色に輸血させるのは、ともすれば手際の良い演出かもしれないと我々は考えたのだ。サイクルとして仕上げることで、我々はこの黒優位のフレーバーを自然なやり方で実現することができた。

●あなたのためのサイクル【原文は「A Cycle Built For You」。名曲『デイジー・ベル:二人乗りの自転車』の原題は『Daisy Bell――A Bicycle Built for Two』】
 お分かりのことと思うが、サイクルについて語りたいことは非常に多くある。サイクルは設計上非常に重要であるので、私が今回述べられたのは氷山の一角に過ぎないと思われる。ともあれ今回はここで一区切り付けよう。続きは他日、機会を設けるつもりだ。今回の記事が読者諸兄にとって、サイクルが果たす役割の重要性を少しでも深く理解する契機になったなら幸いだ。
 来週もまた参加していただきたい。Type1、現ヴィンテージについて述べるつもりだ――冗談ではなく、本当の話だ。
 その時まで、君たちの贔屓の色が次のサイクルで一番になっているのを願いつつ。

――マーク・ローズウォーター

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