【翻訳】再掲――Announcing Duet Decks: Liliana with Gideon
【翻訳】再掲――Announcing Duet Decks: Liliana with Gideon
【翻訳】再掲――Announcing Duet Decks: Liliana with Gideon
ファイルを整理していたら発掘したので、手直しをして再掲。
画像は公式から。

LATEST DEVELOPMENT
Announcing Duet Decks: Liliana with Gideon
Tom LaPille
2011年4月1日
原文:http://www.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtg/daily/ld/136

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 もうじきあなたたちの最寄りのゲームショップに新しい商品をお届けします――デュエットデッキ:リリアナとギデオンです。

 この商品は2組の60枚デッキから構成されていて、双頭巨人戦の1チームとして遊べるようデザインされています。デッキにはプレミアム仕様の神話レアのプレインズウォーカーが2枚入っており、今まで新枠や黒枠で印刷されなかったカードもまた収録されています。

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 二人が出逢ってどのくらい経ったのだろう? それはさほど遠い昔ではなかったが、ことはかなり早く進んでいた。彼は自分の部屋の方々に据え置いたキャンドルを眺めて、頷いた。彼女は最小限な照明演出を好んでいたので、これで上手くいくはずだ。

 二人の最初の目的地は町で一番のバーだ。彼はそこの部屋を予約していた。彼女は一角獣を、もちろんウェルダンで注文するだろう。彼は頭を振った。壮麗なクリーチャーになんという仕打ち。それは趣味の合わないことではあったが、しかしこのような女性と過ごすには、幸運も不運も併せて迎え入れなくてはならなかった。

 夕食後に二人が向かう当夜の祭りでもまた、重要な案件が一つある。噂によると、何人かの外人が風変わりなゲームを持ち込んでいて、もしそれに勝つことができれば異国の珍しい賞品をもらえる、とのことだった。彼は投擲の戦闘訓練を受けたことはなかったが、彼の友人の一人が基本を教えてくれていた。彼は前もって練習していたのだ。彼女にその夜の思い出を与えるという決意がなければ、おそらく彼は勝てないだろう。

 彼がポケットに手を突っ込むと、小さなビロードのバッグに指先が触れた。彼は頷き、微笑んで、街へと歩みを進めた。


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 クローゼットを開けると、そこには一足の黒のタイハイブーツがあった。彼女は微笑みながら、それを引っ張って身に着けた。自らの誘惑に駆られない男性など、まずいなかった。彼も例外ではなかった――ただ、彼を惚れ込ませるのがこんなに難しかったのは彼女の予想外だったけれど。

 当然だが、彼女とて容貌に対する免疫は持ち合わせていなかった。彼の周りを舞う三本の鋭利な刃を備えた装甲――その中には男性的な何かがあって、彼女はただそれを傍らに置いておかずにいられなかった。二人ともその夜は襲撃を受けそうになかったが、しかし彼のことだから無防備で外出したりはしないだろう。ひょっとしたら浮浪者が、夜が明ける前に二人を襲おうとか思ったりするかもしれないからだ。

 黒い漆でコーティングされた木の戸棚を開けると、そこには透明な液体の入ったいくつかの壺があった。彼女はその中の一つを手に取り、蓋を開け、匂いを嗅いだ。ベラドンナだ。彼女は頷き、それを首の両側にほんの少しだけ撥ね掛けた。そしてくすくす笑いながら、壺に封をしてそれを元の位置に戻す。彼はベラドンナが嫌いだった――が、それと気付いた時の彼の反応を見るのは、きっととても楽しいだろう。一つ確かなのは、二人はほとんどの点で意見が合わないが、だからと言って当夜が楽しくならないわけではない、ということだ。

 彼女は財布を取り出して、その重さに微笑みを浮かべた。目を輝かせて、彼女は連れに逢うため早足で歩いた。


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デッキリスト:ギデオン
トータル:60枚

土地:25枚
1・近づきがたい監視塔 / Forbidding Watchtower
1・Kjeldoran Outpost / (キイェルドーの前哨地)
2・隔離されたステップ / Secluded Steppe
21・平地 / Plains

クリーチャー:18枚
1・アラボーンのマスケット銃兵 / Alaborn Musketeer
1・敬愛される司祭 / Beloved Chaplain
2・ベナリアのわな師 / Benalish Trapper
1・魅せられたグリフィン / Charmed Griffin
2・名誉の手 / Hand of Honor
1・刃砦の英雄 / Hero of Bladehold
1・白蘭の騎士 / Knight of the White Orchid
1・Ladies’ Knight / (淑女の騎士)
1・Man of Measure / (測る男)
1・Preacher / (伝道師)
2・堅牢な防衛隊 / Staunch Defenders
1・もの悲しい詩人 / Tragic Poet
1・勝利の伝令 / Victory’s Herald
2・白騎士 / White Knight

その他の呪文:17枚
2・懲罰 / Chastise
1・糾弾 / Condemn
1・征服者の誓約 / Conqueror’s Pledge
1・暁の魔除け / Dawn Charm
1・Festival / (祝祭日)
1・ギデオン・ジュラ / Gideon Jura
1・皇帝の仮面 / Imperial Mask
2・至福の休息 / Recumbent Bliss
1・ギックスの指輪 / Ring of Gix
1・ブライトハースの指輪 / Rings of Brighthearth
2・セラの抱擁 / Serra’s Embrace
1・Sex Appeal / (性的魅力)
1・魂の絆 / Spirit Link
1・Water Gun Balloon Game / (水風船ゲーム)


デッキリスト:リリアナ
トータル:60枚

土地:25枚
2・やせた原野 / Barren Moor
1・Lake of the Dead / (死者の湖)
1・産卵池 / Spawning Pool
21・沼 / Swamp

クリーチャー:16枚
2・夜の子/ Child of Night
2・墓所のネズミ / Crypt Rats
2・残虐の手 / Hand of Cruelty
1・奈落の君、苦弄 / Kuro, Pitlord
1・荒廃の下僕 / Minion of the Wastes
1・沼居ののけ者 / Numai Outcast
1・ファイレクシアの盾持ち / Phyrexian Scuta
2・捕食の夜魔 / Predatory Nightstalker
1・うろつく夜魔 / Prowling Nightstalker
1・凄腕の暗殺者 / Royal Assassin
2・吸血鬼の夜鷲 / Vampire Nighthawk

その他の呪文:19枚
2・暗殺 / Assassinate
1・Dance of the Dead / (死者のダンス)
1・詭計 / Deceotion
1・Eye to Eye / (目と目)
1・一角獣の饗宴 / Feast of the Unicorn
1・Handcuffs / (手錠)
2・最後の口づけ / Last Kiss
1・リリアナ・ヴェス / Liliana Vess
1・深夜の魔除け / Midnight Charm
1・Organ Harvest / (臓器の収穫)
2・ベラドンナの匂い / Scent of Nightshade
2・血の署名 / Sign in Blood
1・吸血鬼の一噛み / Vampire’s Bite
2・吸血の抱擁 / Vampiric Embrace

白:神条紫杏――『パワポケ』シリーズ
青:一ノ瀬教授――『ネオファウスト』
黒:カラスミ――『コロッケ!』
赤:ラズミーヒン――『罪と罰』
緑:はらぺこあおむし――同名の絵本
茶:時計型麻酔銃――『名探偵コナン』

≪わが友なる敵――色対策の規則≫
原題:Enemy Mine ―― The rules of hosing
Mark Rosewater
2002年2月18日
http://archive.wizards.com/Magic/magazine/article.aspx?x=mtgcom/daily/mr8
【映画『第5惑星』の原題・原作は『Enemy Mine / わが友なる敵』】

 色対策の週間へようこそ。この用語に馴染みの無い人のために説明しておくと「色対策【Color Hoser】」カードは、特定の色を使用しているプレイヤーを酷い目に遭わせるものだ。色対策の具体例としては≪沸騰 / Boil≫【全ての島を破壊する赤のインスタント】や≪冬眠 / Hibernation≫【全ての緑のパーマネントをバウンスさせる青のインスタント】が挙げられるだろう。「メイキング・マジック」は設計に関するコラムなので、色対策がいかに作られるかを述べることはおそらく様になるのではないか、と思う。自明の理やもしれぬ。
 色対策カードの設計を述べるに当たって、私は読者諸兄に嘆かわしい小さな秘密を打ち明かさなければならないと思われる。設計には規則がある。非常に多くの規則があり、絶えず発展している。それらはマジックの規則と非常に似通っているが、より多くの条項がある点、そして今まで一度も文章に書き下ろすように計らわれたことがない点、これらの点で異なっている。そこで、いかにして私は設計の規則を知りえたかが問題になってこよう。正直に言うと、真っ先に認めなければならないことだが、私とてこの規則すべてを知っているわけではない。だが私が現場の仕事から学んできた知識は、この六年間をかけてまさに血肉になっていると思う。
 私はことあるごとに、設計者が規則を破るのがいかに好きかということに言及してきた。つまり規則が過剰にあるため、我々は次のことを身に染みて理解しているのだ。すなわち、研究デザイン室の中を少しの間走り回り、取り乱して笑って「今日はおさらばだ、我がちっぽけな規則よ! 今日はおさらばだ……!」と肺の中から金切り声を上げること、それが毎回どんなに楽しいかということを。
 しかし、規則は理解されるまでは破られるべきではない。そこで今日は、発展規則について書くには今はいささか忙しいので、色対策カードの設計の基本規則を見ることから始めさせていただきたい。それぞれの規則を説明するに際して、その例外事項についても補足するつもりだ。おまけとして、我々がそれらの規則を遵守しなかった場合に研究デザイン部がどのような失敗をやらかしたか、その実例をもいくつか挙げていこう。
 だがその前に、なぜ色対策カードが存在するかについて掻い摘んで説明させていただきたい。

●色対策カードが存在する理由
 マジックのメカニクスはゲームにおいてある種の強制力を作り出す。例えば色マナの配分は非常に重要で、プレイヤーは単色のデッキを使うことで【色事故を起こさないという】見返りを受けることができる。しかし研究デザイン部は、プレイヤーに複数の色を使うよう奨励することで、マジックをより良いゲームにできる、そのように考えている。では我々はいかにしてそれを成し遂げようとしているのかと言うと、実際それは多岐に渡って行なわれている。色のフレーバーを厳格に分け隔て、各色に弱点を設けること。色同士に相乗効果を作ること。金色カードが最適な例だが、使うのに二色以上を必要とするカードを印刷すること【原文発表の02年当時、多色カードとしての分割カードや混成カードはなかった】。すべて一覧にすればかなり長いものになるだろう。
 単色使いを懲らしめる最も簡単な方法の一つが、色対策カードを作ることだ。マジックにおいてはいかなる戦略に対しても対抗策が設けられているべきであり、これは単色デッキに対しても例外なく言えることだ。さらに色対策カードは、メタゲームの均衡を維持する一助になるという利点を持っている。例えば、もし黒があまりにも強力になったならば、対黒カードがそれを食い止めようとするというわけだ。
 そうは言っても、これを規則にするとどうなるだろうか。

●規則1:色対策カードは対抗色を懲罰するべきだ
 これは確然的に明らかなものだが、やはり最も基本の規則である。各色は二つの友好色と二つの対抗色を持っており、友好色を手助けし対抗色を痛めつける。単純なことだ。
 規則1はしばしば破られる。第一にマジックは、色が自分自身を疎外するというフレーバーを持っている。例えば、黒のクリーチャー破壊呪文の多くは、黒いクリーチャーに対しては効かないようになっている。青は生息条件・島持ちのクリーチャーからの攻撃に晒されることを気にかけなければならない。森渡りや山渡りは、緑や赤めいめいの色にありふれた能力だ。
 第二に、防御的な色として白は、白自身を含む全ての色に対して対策カードを有する傾向にある。代表例としては≪防御円 / Circle of Protection≫【白のエンチャント。各色に対応したダメージ軽減能力をもつ】が挙げられよう。
 第三に研究デザイン部は、時として友好色を攻撃するようなカードを作ることがある。直近のカードで言うならば、トーメントの≪珊瑚の網 / Coral Net≫【青のオーラ。白か緑のクリーチャー専用だが、相手に維持費として手札一枚を要求させる】と≪抵抗の誇示 / Flash of Defiance≫【赤のソーサリー。そのターン白や緑のクリーチャーではブロックできない】ということになるだろう。これら二枚のカードは、セットの黒中心的な主題を強調するために、黒の対抗色である白と緑を攻撃しているのだ。トーメント以前の有名な例は、アポカリプスの一連のカード群が挙げられよう。アポカリプスでは普段の友好色が対抗色になり、普段の対抗色が友好色になり、つまり色の関係が逆さまになっていた。

●規則2:色対策カードは各色のフレーバーに適合しているべきだ
 アルファ版でリチャード・ガーフィールドが行なった意欲的な試みの中に、色は敵の能力を利用し妨害できる、という発想がある。その代表例が≪青霊破 / Blue Elemental Blast≫と≪赤霊破 / Red Elemental Blast≫だ。どちらの波動【Blast】も相手側の色の呪文を打ち消すことや、既に場に出ている相手側の色のパーマネントを破壊することができる。打ち消しは青のもので、破壊は赤寄りのものだ【確かに相手の能力を利用し、相手を妨害している】。この発想の問題なのは、色のフレーバーを水で薄めている点にある。例えば赤は、白のエンチャントに対しては為す術を持たないが、青のエンチャントに対しては簡明な回答を持っている、ということになってしまう。
 現代の設計では色対策カードは、その色の主題に生得的に反するようなことが、つまり研究デザイン部での用語で言うと他色からの「抜き取り【bleed】」が、もはやできなくなっている。色が対抗色を処罰する際には、その色のフレーバーに適うような方法で実施されなければならない。
 過去これに関して研究デザイン部が台無しを引き起こした典型的な事例は、アイスエイジに収録された≪Anarchy≫【無秩序。赤のソーサリー。すべての白のパーマネントを破壊する】だ。確かに赤は白を懲らしめるのが当然だが、本来それは赤の関与するものから完璧にかけ離れた手法であってはいけないのだ。赤はクリーチャーを焼き、土地を削り、アーティファクトを砕く、これらのことは可能だが、しかしエンチャントは赤にとって苦悩を意味するものだ。エンチャント【enchantment、つまり魅力】は実体を持たない。赤がエンチャントを手に取れないのも、それらは赤がただ吹き飛ばせるようなものでないからだ。≪Anarchy≫は赤からこの素敵な性質を奪い取り、窓の外へと放り出してしまっている。

●規則3:色対策カードの有効性は逓増するべきだ
 この規則の要点は、対戦相手がその対策されるべき色をより多く使っているほど、色対策カードはより大きな効果をもたらすべきだ、というものだ。例えば≪非業の死 / Perish≫【黒のソーサリー。すべての緑のクリーチャーを破壊する】が、緑を含む二色デッキよりも緑単色のデッキに対してよく効くといった具合にだ。また以下を指摘しておくのは意義あることと思われる。すなわち――≪殺戮 / Slay≫【黒のインスタント。白緑クリーチャー1体を破壊し、カードを1枚引ける呪文】のような単発の色対策カードであっても、やはりこの基準に適合している、というのも、対戦相手が緑を多く使うにつれて、実際に破壊するクリーチャーの頭数は変わらなくとも破壊できるクリーチャーの選択肢は増えるのだから、対策カードの有用性は増していると言えるからである――このことだ。
 この規則から必然的に導き出される結論だが、一掃型の色対策カードもまた、該当する色を使っているプレイヤーが呪文を唱えにくくするようなものでなければならない。≪野火 / Flashfire≫【赤のソーサリー。全ての平地を破壊する】を例に挙げると、このカードの危険性は、白の入ってないデッキを使うプレイヤーよりも赤白デッキを使うプレイヤーにとっての方が遥かに大きい。

●規則4:色対策カードは対抗色の弱みに付け込むべきだ
 最も良くできた色対策カードは、対抗色の弱点を探し当てそこを穿つようなものだ。例えば≪赤の防御円 / Circle of Protection: Red≫は赤にとって酷い頭痛の種だが、それというのも赤はエンチャントへの明確な対処法を持っていないからだ。≪たい肥 / Compost≫【緑のエンチャント。黒のカードが対戦相手の墓地に置かれるたびにカードを1枚引ける】が黒を苦しめるのも、破壊や捨て札を通じて墓地にカードを置くことこそが黒の十八番だからだ。
 研究デザイン部の色対策カードに関する大失態の多くは、この規則4を我々が無視したときに起きている。その最たる例はおそらく、第6版に「対黒カード」として収録された緑の≪イボイノシシ / Warthog≫【緑の3マナダブルシンボル3/2沼渡り】だろう。第6版で黒は対緑カードとして何を得ていたかと言うと、≪非業の死≫である。そう、すべての緑のクリーチャーを破壊する≪非業の死≫だ。≪非業の死≫対≪イボイノシシ≫、これはさながらヘビー級プロボクサーのマイク・タイソンと『アーノルド坊やは人気者』の子役ゲイリー・コールマンを闘わせるようなものだ。≪イボイノシシ≫は規則4の要点を引き立てている。黒はクリーチャー殺しの色だ。黒へのプロテクションや対象に取られない能力を持たないものを別にすると、緑のクリーチャーでは黒にいかなる問題を生じさせることもできないのだ。
 余談ながら、――余談の余談だが、私は余談が大好きなので、私のコラムを読む際には非常に多くの余談が出てくることを覚悟しておいていただきたい――研究デザイン部の過去の愚行をからかい尽くすのは楽しいことだが、どのように第6版の≪イボイノシシ≫の収録が最終的に決定されたのか、私はそれを説明する必要があると思う。第6版のチームが収録カード選びの作業に着いた際、彼らはアンコモンに一通りの色対策カードが必要だと認識していた。彼らが自由に使えたカードはウェザーライト以前のもので、テンペストブロックからは少量のコモンとアンコモンが再録されたに過ぎなかった。以下に挙げるのは、アンコモンで再録可能なもので、加えてそのどれもが黒対策としては効果覿面だったカードだ。
 アルファ版より≪生の躍動 / Lifeforce≫【緑のエンチャント。2マナで黒の呪文を打ち消す使い回し可能な起動型能力を持つ】――数週間前の連載記事「Ask Wizards」で説明されたように、緑は打ち消しの色ではない。
 レジェンドより≪疾風のデルヴィッシュ / Whirling Dervish≫【緑のクリーチャー。プロテクション黒とスリス能力を持つ】――プロテクションは基本セットには使われない。
 フォールン・エンパイアより≪Thelon’s Chant≫【セロンの詠唱。緑のエンチャント。アップキープに緑1マナ支払わなければ生け贄に捧げられる。対戦相手が沼を置くたびに、3点ダメージか-1/-1カウンターを強要させる】――第6版のレアではいくつか例外が設けられたが、基本セットはアップキープに触れるカードやカウンターを用いるカードを扱わない。
 アイスエイジより≪Freyalise’s Charm≫【フレイアリーズの魔除け。緑のエンチャント。対戦相手の黒の呪文に対応して2マナ支払えばカードを1枚引ける。手札に戻すこともできる】――カードを引くのは緑らしからぬことであり、またこれは基本セットに入れるにはいささか複雑なものだ。
 ホームランドより≪Spectral Bears≫【幽体の熊。2マナ3/3。黒のパーマネントを持たない対戦相手を攻撃すると、次のターンはアンタップしない】――基本セットは非レアの開始フェイズ【原文:upkeep】を参照するカードを扱わない。
 ミラージュより≪腐敗 / Decomposition≫【緑のオーラ。黒のクリーチャー専用。累加アップキープコストとして1点のライフ、さらに墓地に落ちたときに2点のライフを課す】――累加アップキープは基本セットでは使わない。
 ミラージュより≪生命の根 / Roots of Life≫【緑のエンチャント。場に出るに際し島か沼を選び、対戦相手がそのタイプの土地をタップするたびに1点のライフを得る】――このカードは黒と同時に青をも対策してしまう。
 ヴィジョンズより≪エレファント・グラス / Elephant Grass≫【緑のエンチャント。累加アップキープ。黒のクリーチャーに攻撃制限、それ以外のクリーチャーに通行税を課す】――累加アップキープは基本セットでは使わない。
 テンペストより≪刈り取り / Reap≫【緑のインスタント。対戦相手の黒のパーマネントの数だけ、墓地からカードを手札へ回収できる】――基本セットは複数の対象を取るカードを避けている。このカードもまた、基本セットとしてはいささか複雑だと結論付けられた。
 つまりアンコモンの緑の黒対策カードの中に、使えそうなものは一枚もなかったのだ。そこでチームはコモンの方へと目を向けた。一つだけ使えるものがあり、それがビジョンズの≪イボイノシシ≫だったというわけだ。こうして、なぜ≪イボイノシシ≫が選ばれたのかと言えば、他に選ばれたカードで妥当なものが一つもなかったからだというのが回答になる。

●規則5:色対策カードが自動的に勝利をもたらすべきではない
 色対策カードは優良なものであるべきだ。すなわち「対戦相手がこれこれの色を使用しているならば、あなたはゲームに勝利する」と書かれていてはならないのだ。よくできた色対策カードは特定の色を使うプレイヤーに刺さるが、その使われるプレイヤーにも機能不全の中で立ち回れるくらいの余地は残されているべきだ。研究デザイン部の色対策カードに関する過去の失敗の中には、単に優秀に作りすぎたというものがある。例えば≪非業の死≫はすべての緑のクリーチャーを破壊するという効果に対して3マナは低すぎるコストだし、≪Dystopia≫【暗黒郷。黒のエンチャント。累加アップキープを持つが、対戦相手に白や緑のパーマネントの生け贄を強いる】は黒が普段ならば破壊するのに一手間も二手間もかかるエンチャントやプロテクション黒を持つクリーチャーにさえ手出しできる呪文だ。

●最後に一言
 ここまで見てきたように、多くの思惑が色対策カードの製作に携わっている。そこで次に君がゲームで劣勢に立たされたときは、数秒の時間をかけて、君の頭を吹き飛ばそうとしてくるカードの美学や巧みさをまじまじと見て感じ取っていただきたい。
 来週は、研究デザイン部がどのカードをレアに決定するか、その過程を述べるため火事場へ舞い戻ろうと思う。
 その時まで、君のマナ・カーブが緩やかであることを願いつつ。
 それではまた。

――マーク・ローズウォーター

 今回訳出した記事には、2ちゃんねるの有志による翻訳があります。http://blog.livedoor.jp/sideboard_online/archives/50007322.html
 原文、翻訳ともに随分と昔の記事で、カラーパイの文献も当時に比べて増えましたので、新たに訳出しても了承していただけるだろうと思っています。

≪赤裸々な激情――今は行動! 考えるのは後で。≫
原題:Seeing Red ―― Act now! Think later.
Mark Rosewater
2004年7月19日
http://archive.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtgcom/daily/mr133
【「see red」は赤い布を見た牛が暴れ出すことから「激怒する」を意味する】

 赤の週間へようこそ! とうとう最終回だ。これはマジックの五つの色に専心する一連のテーマ週間、その五番目のものだ。過去の四週は『緑でいるのは楽じゃない』、『白光満ちる大通り』、『忠実なる青』、『腹黒さの中に』だ。これらの記事を未読の人は一瞥しておくことを強くお勧めする。

●もう一切れパイはいかがですか?
 各々の色の週間で私は、コラムを通じて各色のフレーバーと哲学を解説してきた。それを行なうために私が取り上げたのは、カラーホイールを刷新する作業に際して研究デザイン部のフレーバー・グルが考案した一連の設問だ。すなわち次のようなものだ。

・その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
・その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
・その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
・その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
・その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
・その色の最高の長所と最大の欠点は何か?

●その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
 各色の哲学はその色の世界観を中心に循環し展開されていく。そこで、赤は世界をどのように見ているのか、赤は何に価値を見出すのか、ということが問題になってくる。赤にとって人生は究極の冒険だ。赤が思うに、人生を最も満ち足りたものにすることは、あらゆる好機に乗じることを意味する。そしてこの目的に駆り立てられ至るための手法として、自分自身の感情よりも適切なものはないだろう。赤は腹を据えて行動し、心の赴くままに従う。嬉しいときは陽気に振る舞い、悲しいときは涙を流し、怒れるときは物を打ち砕く。人生は赤にとっては非常に単純明快なものだ。赤は感じるものをそのまま行なっている。
 この目的に到達するために、赤は行動を用いる。もし何かが赤の行く手を阻むなら、それを吹き飛ばす。もしそれが舞い戻ってきたなら、爆破する。赤は物理的暴力【force】を強烈に支持する。何かを変えたいならば、それを引き起こさなければならない。後でではなく、今すぐにだ。
 表面上は赤の目的は黒のそれと似通っているように見えるが、ここには肝腎な差異がいくつかある。黒が自分の欲する物事を行ないたいと渇望するのは、黒が権力の探求によって駆り立てられているからだ。黒は他人が制限されるかどうかは気にかけない。個人として欲する物事を行なえるなら、黒はそれで幸せなのだ。だが他方で赤は、すべての者は自分の欲する物事を行なう権利を持っている、と信じている。必ずしも赤その人に影響を与えるとは限らないような障壁であっても、ただそのような存在が好ましくないという理由から、赤はそれを取り壊そうと行動を起こすことがある。
 さらに、黒は極めて孤独だが、赤は非常に社交的たりうる。赤は自分の感情に従う。これら感情には、愛情、色情や渇望、仲間意識、そして友情といったものも含まれる。すなわち赤は他者に、少なくとも何らかの感情的な繋がりを持つ者に対して、気を配るのだ。赤は愛する者を助けたり守ったりするためには、火の中水の底へ躊躇わずに飛び込むだろう。しかしこのことから、赤がいくらか自分勝手ではない、とは言えない。感情はまさにその本質からして自分自身の要求を最優先させるが、これが意味するのはすなわち、赤は時として他人を気にかけうるということだ。
 結局のところ、赤の究極の目的は自由ということになる。誰もが、彼らがいかに望んでいようと、自由に行動できること、これが赤の願いだ。そしてこれを実現するためならば、赤はいかなる行動でも起こすつもりだ。

●その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
 各色は目的へ向けて自身の魔法を傾注する。赤は迅速かつ物理的な回答を求める。もし何かによって赤が求める物を得るのを妨げられているなら、赤はその障害を容易に取り除くための能力を欲するようになる。こういった理由で、赤の魔法は天性からして非常に破壊的なものだ。直接ダメージ、アーティファクト破壊、そして土地破壊、このすべてがくだんの主題に結びついている。これらの魔法は赤にとって行動手段としての鈍器のようなものだ。特筆すべきはこれが理由となって、赤はエンチャントに触れる能力を持っていないということだ。エンチャント【enchantment、すなわち魅力】は実体を持たないので、赤はそれを爆破する術を知らないのだ。
 赤の魔法に見られる第二の主要な特色は、赤の短期的な思考だ。感情は本質からして衝動的なもので、まさに「たった今この瞬間」におけるものだ。だから赤には、行動を今起こすものの、後ほど結果として派生してくるであろう物事については考慮しない、このような傾向がある。つまり赤は長期的には弱みを抱え込むが、それを費用として短期的な利益を得ようという魂胆を持っている。例えば赤は、呪文をより素早く唱えるためならば資源を投げ出すのを厭わない、それが最も顕著な色だ。赤はファストマナという、≪煮えたぎる歌 / Seething Song≫のような一度限りのマナ加速を生み出すカードに最も長けているし、また軽いマナコストで大きな代償を持ったクリーチャーを有している。全ての色の中で赤は明白に、最も素早く勝利するように労力を傾けられた色だ。
 第三は、赤は無作為性に喜んで応じる傾向があるというものだ。これはある点では組織に対する赤の憎悪から来る反応であり、また別の点では赤は大きな危険性を冒しやすいことの帰結でもある。こうした理由から、コイン投げや高い危険性のメカニクスが赤に見られるし、さらに、赤が混沌を生み出す呪文を好き好んでいるというわけだ。
 最後に、赤には茶目っ気のある一面がある。他の色が自分の目的を達成するために非常に真剣になる傾向を持っている一方で、赤は楽しさを持つことの重要性を理解している。そこで赤は混沌を楽しむ。そして赤は他の魔道士の魔法を台無しにするような魔法を好んで使うし、また、魔法を想定されたものとは違ったように作用させるような魔法をも気に入っている。これは我々がカラーホイールの再分配を行なった際に、研究デザイン部によって取り入れられた領域だ。一時的に物事を台無しにするものは全て赤へと移植され、長期的な操作は青に留まった。例えば、対象を偏向させる呪文、青の≪偏向 / Deflection≫は赤の≪分流 / Shunt≫となり、一時的にクリーチャーを奪取する呪文、青の≪命令の光 / Ray of Command≫は赤の≪脅しつけ / Threaten≫となった。
 数多くのカジュアルプレイヤーが赤に惹き寄せられるのも、赤が純粋に楽しもうとしている色だからだ。赤は深い思索や緻密な判断を過剰に要求するわけではない。クリーチャーを召喚し、攻撃し、相手を吹き飛ばす。これこそまさに赤の好きなやり方だ。

●その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
 赤が気にかけるのは、自分自身や自分の大切な人を幸福にすることだ。赤はいかなるものからも邪魔な干渉を受けることなく人生を過ごしたいと思っている。この責務を達成するためならば、赤とは異なった規制の下で抑制されている者なら気が進まないような物事であっても、感情の力を用いて赤は実行に移すことができる。こういった事情から、赤が表象するのは次のようなものになった。
 感情(とりわけ非常に煽り立てられたもの。攻撃性、激怒、情熱、憤激など)。衝動。暴力。粗野。実力(問題を腕力で解決する)。破壊。混沌。四大元素の火と大地(またそれに関連した破壊的な自然の要素。稲妻、炎、地震、土崩瓦解、砂嵐など)。戦闘。軍隊。無作為性。自発性。博打。享楽主義。野蛮。

●その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
 赤は自分が望むことをしないよう命じるもの全てを嫌っている。特に規則だ。赤は規則を嫌っている。それはもう、とんでもないくらいに嫌っている。他の誰かがあることをしてはならないと赤に命じるのには、一体どういった根拠があるのだろうか。彼らの行ないは筆舌に尽くしたい暴挙だ。このことから赤は組織一般を嫌っているが、それと言うのも組織は規則をもたらすからだ。
 加えて、赤は感情の重要性を損なわせるもの全てを嫌っている。赤の理解では、感性こそが存在の核心だ。これを放逐させるようなものは、赤からは個人への攻撃と見なされる。

●その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
「喋るよりも吹っ飛ばすべきだ」
 赤は規則と組織を嫌っている。だがそれは白が愛して止まないものだ。もし白が自分の手法を貫けば、赤はやりたいことを何もできなくなってしまうだろう。赤の出す回答は非常に簡明だ。馬鹿げた規則をこれ以上作る前に、白を破壊し尽くしてしまうのだ。
 赤が規則と同じくらい嫌っているものを挙げるならば、それは思索というものになるだろう。思索は問題以外の何物をも生じさせ得ない。そして青は非常に深遠な思索に耽る色だ。だが更に悪いことに、青は思索を重視するだけでなく、感性を軽視している。仮に青が自分の手法を実現するようなことになれば、誰一人として感情を表現するためには声を上げなくなるだろう。幸運なことに青に対する解決策は白に対するものと同じであって、つまり、吹き飛ばしてしまうというものだ。
 黒は赤と同じく、望むように振る舞える自由を持つことを楽しみ、また破壊に価値を見出してもいる。黒はもう少し衝動的になり、深く考え込まないようになるのが望ましい。
 緑は衝動を理解している。もっとも緑はそれを本能だとか何だとか呼んでいるが。さて、緑は自分のやりたいように行動する。緑に玉に瑕なのは、時として自分自身よりも他人の要求を優先させようという気概を持っていることだ。友人や恋人が相手なら赤にも理解できるが、緑は見ず知らずの生き物に対してさえそれを行なおうとする。

●その色の最高の長所と最大の欠点は何か?
 赤の最高の長所は、素早く行動し対戦相手を圧倒できるという能力にある。また【速攻クリーチャー、歩く火力、≪騙し討ち / Sneak Attack≫のように】「ひょっこり現れて引っ掻き回すこと」を得意とし、その予測不可能性が赤を危険な敵たらしめている。赤のやり方の短所は、その迅速な攻撃が首尾よく作用しなかった場合、赤自身が窮地に追いやられるという点にある。赤は「終盤戦」を見据えるような習慣を持っていない。もし対戦相手が最序盤の猛攻撃を凌ぐことができれば、赤は大抵の場合大いに悩まされることになる。

●火車の帳簿【In the Red:「赤字の」を意味する熟語。イギリスの作家マーク・タヴナー(Mark Tavener)による同名の小説がある】
 各色を論じるに当たって、その色に最も密接な課題だと判断するものを私は取り上げてきた。赤に関して言うと、私は赤が最も誤解された色だと考えるのだが、その理由をいくらか述べていきたいと思う。赤に対する一般的な解釈は、間違っているわけではないにしても、あまりにも狭すぎる。確かに赤は破壊が好きで、物を吹き飛ばすのが好きで、それでいて激昂しかねないような色だ。だがこれは赤の一面でしかなく、いくらかの誤った憶説をもたらしさえするだろう。以下にそういった解釈の具体例をいくつか挙げていく。
 赤は馬鹿だ――確かに、赤は思索の色ではない。だがこれは赤が知恵遅れだということにはならない。赤は感情的で、近視眼的で、衝動的だが、これらの中には知性と互いに相容れられないものは含まれていない。赤は非常に聡明な人物を擁することが可能であり、また実際に擁している。例えばウェザーライト・サーガ【WTH~APCの背景ストーリーの総称】のターンガースとスクイーは、二人とも知的な赤の登場人物だ。
 赤はガキ大将だ――マジックは決闘のゲームなので、色が戦闘に対峙したときの様相をカードは際立たせがちだ。赤にとってそれは、怒りのようなより攻撃的な感情を取り扱うことを意味する。これが威張り散らしたガキ大将のように赤を見せてしまっている。しかし公平を期して述べると、確かに赤は往々にして攻撃的だと言えるが、そうでないような構成要素をも多く持っている。例えば赤は情熱と気力の色であるし、芸術や詩歌の大抵の様式の生まれ故郷でもあるし、また非常に紳士的な側面さえもある。これらは単純にマジックのカードで表現できるような類のものではないのだ。
 赤は単純だ――赤が思索を好んでいないからと言って、それは赤の哲学が単純化されたものだという理由にはならない。例えば感情は極めて複雑なものだ。また、白の秩序や青の知性に対応する赤の二つの基本的な対立要素、つまり混沌と感情とを見れば、両方とも非常に入り組んで難解なものだと了承していただけるだろう。
 私が気づいたのは、赤は探求するのが最も興味深い色の一つだということだ。赤の動機を理解するのは容易だが、解釈し説明するのは困難だ。さらに赤には、決闘の場ではあまり意義がないために、マジックのゲームでは見落とされてしまうような数多くの側面がある。本日のコラムを通じて君たちが、赤がどういった動機から行動するかに関して、これまでとは別の視点を持っていただければ幸いだ。

●レディ(アンド・マン)・イン・レッド【原文ではLady (and Men) In Red。クリス・デ・バー(Chris de Burgh)の音楽作品に『The Lady in Red』という題名のものがある】
 私の「各色に登場人物を配属させる」実習を抜きにしては、おそらく色の哲学は成り立たないだろう。研究デザイン部がこの実験を行なったのは、我々がカラーパイの考察に取り掛かっている最中でのことだった。この項目は私が書いてきた色の記事で最も物議を醸している箇所だ。そうであるからには、今回で打ち切りにする理由はどこにもない。以下に私が赤に割り振った登場人物を数名紹介していこう。
 ロミオとジュリエット【Romeo & Juliet:シェイクスピアの戯曲。宿敵同士でありながら恋に落ちた二人は、悲劇的な結末を迎える】――これはまさに、典型的な赤い物語だ。二人の少年少女が情熱に燃え上がり、自らの身を滅ぼしてしまう。もし彼らのどちらか一方がもう少し青ければ、このような悲劇にはならなかっただろう。
 ホーマー・シンプソン【Homer Simpson:恒例の『ザ・シンプソンズ』枠。一家の父親】――シンプソン一家の五人はそれぞれ異なる色である、私はそういう主張をしてきた。注意深く『ザ・シンプソンズ』を見ると、ホーマーは一家の中では赤い人物だということに了承していただけるだろう。彼は感情的な要求や願望に非常に強く突き動かされている。彼が混沌を作り出すのは、黒い息子のバートのように他人が困るのを見て楽しみたいからではなく、彼の平常の振る舞いが有機的構造を分解させる作用を持っているからだ。またホーマーの冒険は権力のためのものでなく、むしろドーナッツのためのものだと言えよう。
 放浪者グルー【Groo, the Wanderer:マーベル社の漫画作品】――ドーナッツではなくチーズディップのために動いているグルーは、ホーマーと多くの共通点を持っている。最大の相違点は、グルーはより大きな混沌を作り出すということ、そして彼の通った跡には破壊が残されるということだ。余白注記になるが、興味深いことに≪ラースのスターク / Starke of Rath≫【タップでアーティファクトかクリーチャーを破壊できるが、対戦相手にコントロールが移ってしまう赤の伝説のクリーチャー】の仮称は「放浪者グルー」だった。
 ワイリー・コヨーテ【Wile E. Coyote:ワーナーブラザーズのアニメ映画「ルーニー・テューンズ」シリーズの聡明な犬。アクメ社をお気に入りとする。ロードランナーという鳥を捕食しようと八方手を尽くしている】――これほど情熱的なアニメキャラが、かつていただろうか。彼は【ロードランナーの生け捕り】たった一つだけ望んでいて、彼の冒険を何ものにも、冒険に付き物の巨石だろうと、列車だろうと、機能不全に陥ったアクメ社の製品だろうと、邪魔させまいとしている。ともすれば読者の中には、彼は思索家で青ではないか、と考える人がいるかもしれない。だが私が言及しているのは五〇年台の作品の彼であり、その時期彼は一度ロードランナーを捕獲できたのだ。そう、彼はあの鳥を生け捕りにしたことがあるのだ。彼は思索家と言うには【行動的すぎて】相応しくない。むしろ不合理で、執着心を持った、泥臭い、そんな赤い登場人物だと言えよう。

●激情の中で【原文は前出と同じくIn the Red。A Global Threatというパンクバンドが00年に同名の音楽作品を発表している】
 読者諸兄、これで赤の記述は終わりだ。なんとまぁ、五色とも無事に終わることができたことよ。それも僅か22ヶ月で済ますことができた。
 来週もまた参加していただきたい。プロツアー特集を行なう予定だ。
 その時まで君たちが、感じるがままに行動することを願いつつ。

――マーク・ローズウォーター

 今回訳出した記事の本文には、NPCさんによる翻訳が既に存在します。http://web.archive.org/web/20040820002426/members.at.infoseek.co.jp/braingeyser/04/0423.html
 原文も翻訳も随分と昔の記事で、カラーパイの文献も当時から増えたので、新しく訳出してももう了承していただけるだろうと思っております。

≪黒の定義――雰囲気、機能、ゲームバランスの調整≫
原題:Defining Black ―― Balancing Flavor, Function and Game Balance
Randy Buehler
2004年2月6日
http://archive.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtgcom/daily/rb109

 二年ほど前に研究デザイン部が「カラーパイ」の見直しを実施した際、我々はその作業を二つの段階に分けて行なった。第一段階はフレーバーの専門家が、各色は厳密には何を表象しているか、また各色はどのように他色と関わり合っているか、これらについて討論を通じ明確化させるというものだった。マークは月曜日の記事『腹黒さの中に』で、黒の背後にある哲学や黒のカードに与えられる予定のフレーバーを紹介することで、この第一段階の過程の成果を披露するという素晴らしい役目を果たしてくれた。【このマークの記事に関しては、記事の最後で欄外に言及するつもりだ。】カラーパイの議論の第二段階は、マジックのメカニクス全てを考察し、それらが五色の間で分配されている様相を分析する、というものだった。この第二段階には二つの大きな目的があり、一つ目は各色がメカニクスを公平に占めるよう計らうことで、二つ目は各色のメカニクスが新たに明確化されたフレーバー・パイと矛盾無く調和するよう計らうことだ。この記事で私が考察していこうと思うのは、これらの議論全体を黒のメカニクスは今どのように見ているかということだ。

 我々が出発点として取り掛かったのは、これまでのマジックの歴史を通じて蓄積されてきた各色のメカニクスを合計すること、そしてそれらの割り振りがどれほど平等であったかを分析することだった。当然ながら、メカニクスを勘定するのに使えるような精確な尺度は実際には存在しない。いくつかのメカニクスは他のものに比べて非常に多大な量のカードを有していたので、我々の試みは次のようなものになった。つまり平均的なブロックで各メカニクスについて、適正と思われる枚数はいくらなのか、それを総計してみる、というものだった。この演習の真の論点は結局のところ、我々がこれからもマジックの新しいカードを創案し続けられるのだと確かめることだったが、それはつまり、各色は引き出されうる潜在性を同量に有さなければならないことを意味する。

 過去のコラムで述べてきたことだが、我々が第一に出した結論は、メカニクスの公平な取り分に比して多くの要素を青が持っている、ということだった。よって我々はいくつかの物を青から移すことにした。メカニクス・パイの二割以上を占めるように思われたもう一つの色は、黒だった。メカニクスの一覧表を凝視すると、クリーチャー破壊、手札破壊、スーサイド・ブラックの小型クリーチャー、不利益持ちの大型クリーチャー、マナ加速など、黒には内容の非常に充実したメカニクスがいくつもあるように思われた。だがより肝腎だったのはデザイナー達の報告に、いつだって黒は設計するのが非常に簡単な色だ、とあったことだった。次のようなことは非常によく起こっていた。すなわち、企画書類が例によって、実に出来の良い黒のカードで所狭しという風に仕上げられ、一方でデザイナー達は、赤に入れられる他のカードを探し出すのに苦心していた、ということだ。

 黒から移動させる要素を探した際に我々が気付いたのは、過去の歴史と新たに明確化されたフレーバー・パイ、その両方に対して充分な敬意を払わなければならないということだった。例えば≪生命吸収 / Drain Life≫【黒のソーサリー。支払った黒マナの点数だけ対象にダメージを与え、さらに自分は同じ点数のライフを得る】はライフ獲得のメカニクスを含んでいるが、ライフ獲得そのものは黒のメカニクスではない【白や緑のものだ】。しかしながら、生命を吸い取るというフレーバーは黒に対して完璧に一致するので、我々はこれを黒に残すことにした。もっとも我々は、これが黒に与えられた唯一のライフ獲得の手段であるべきだと、黒は他から奪ってこなければならないと、明白にすることも忘れなかった。同様に、緑は墓地を資源として使用するのを最も得意とする色だが、≪死者再生 / Raise Dead≫【黒のソーサリー。墓地のクリーチャー・カードを手札に戻す】も非常に黒のフレーバーと歴史に合致するので、やはり我々はこれを黒に残した。

 我々が黒から移動させた最も大きな二つの物は、一時的なマナ加速すなわち≪暗黒の儀式 / Dark Ritual≫と【黒のインスタント。都合2マナ増やす呪文。赤版は≪煮えたぎる歌 / Seething Song≫】、一時的なパワー増強すなわち≪彼方からの雄叫び / Howl from Beyond≫だ【黒のインスタント。注ぎ込んだマナの点数だけクリーチャー1体のパワーを1ターン修正する。赤版は≪怒髪天 / Enrage≫】。≪暗黒の儀式≫が実際に行なっていることを見れば、このメカニクスは黒特有のものでないと了承していただけるだろう。リチャード・ガーフィールドはアルファ版を作るに際し、このメカニクスに非常に深い黒のフレーバーを宛がったが、もし悪魔の儀式によるものだというフレーバーを与えるならば、ほぼ全てのものを黒として見なすことができてしまうだろう。仮にいくつかの要素を動かす必要性を認識していなければ、我々はリチャードの最初の直観に喜んで従っていただろうが、しかし一度そのような必要性に結論付くと、これは【すぐ次で述べる理由から】良い選択のように思えたのだ。ついでながら、この判断にはリチャードも同意した。我々がフレーバー・パイとメカニクス・パイの両方を明確化する際に、彼は何度も相談に乗ってくれたのだ。さて、≪暗黒の儀式≫が移動する要素として特に良い選択だったのは、以下のような事情があったからだ。すなわち、赤はいくつかの要素を移入される必要のある色だと我々が認識していたこと、そしてフレーバー・パイの議論で浮かび上がった事実の一つに、非常に情熱的で「刹那的な」描写の赤があったこと、これらの事情だ。新たな赤は「今、今、今、それが欲しいんだ」と言う。カードアドバンテージが打ち棄てられようとも、今この瞬間により多く得るためならば、赤は申し分なく喜んで未来を投げ出すのだ。≪暗黒の儀式≫のメカニクスはこの哲学を完璧に体現しているので、我々はこれを黒から赤へと移すことにした。

 同様に≪彼方からの雄叫び≫も、黒のフレーバーを持ってはいたが、黒に特有のメカニクスというわけではなかった。≪彼方からの雄叫び≫は実際のところ、まさに初期の頃から赤に代表されていた≪炎のブレス / Firebreathing≫【赤のオーラ。赤マナ1点につきパワーに1の修正を与える】の能力を、インスタントの速度に焼き直したものだ。このメカニクスもまた資源を使い果たしてまでして、未来に役立たないような現在のアドバンテージを得るものだ。よって、これは赤へと移された。

 これらが黒に対して我々の行なった二つの大きな変更だ。しかし特に黒と赤の違いを整理する際、いくつかのメカニクスの明確化を試みることに我々はまた少なからぬ時間を費やした。例えば我々は長らく「攻撃強制」と「防御不可」を、赤のクリーチャーと黒のクリーチャーの両方の欠点として用いてきた。しかしながらこれらの欠点の表象を考察してみると、「可能ならば毎ターン攻撃する」ことは非常に赤に相応しい能力だと明らかになるだろう。赤のクリーチャーは自制できず、戦闘にひたすら突撃し、刹那の情熱に圧倒されてしまうので、戦場の反対側で≪トロールの苦行者 / Troll Ascetic≫【3マナ3/2で呪禁と再生を持つ緑のクリーチャー】が舌なめずりしているのも目に映らないのだ。他方で「ブロックに参加できない」ことは本質的に黒の態度だ。黒のクリーチャーはいかに状況が差し迫っていようとも、わざわざプレイヤーを守ろうとはしない。彼らは自分自身のことしか関心を持たないからだ。したがって我々はこの二つの欠点を相応しく分けることにした。それぞれの欠点を適切な色に限定することで、ゲームにはフレーバーを、各色には明確な個性を、幾ばくか取り入れることができると我々は考えている。

 我々が黒と赤の間で注目したもう一つの類似点は、何らかの欠点を持つ代わりにマナコストに比して強大であるようなクリーチャーを有している、というものだった。これは削除される必要性を感じさせるものではなかった。なぜならば≪バルデュヴィアの大軍 / Balduvian Horde≫【赤のクリーチャー。戦場に出たとき無作為にカードを捨てなければならない。4マナ5/5】のようなカードは「今を得るために将来を投げ打つ」という赤のフレーバーに上手く一致するし、他方で≪にやにや笑いの悪魔 / Grinning Demon≫【黒のクリーチャー。アップキープ毎に2点ライフを失う。4マナ6/6】のようなカードは「悪魔との駆け引き」という黒のフレーバーに上手く一致するからだ。しかしながら我々は、二色の個性をより際立たせるためにこの類似点を明確化させるのは意義深いことだ、と判断した。我々が注目した点のひとつは、赤は既に大型クリーチャーの二番手だという点だ。すなわち、図体の大きなクリーチャーの頭数に関して赤が遅れを取るのは緑に対してだけであり、実際のところ赤には費用の割安な大型クリーチャーの色である必要性はなかった。転じて見れば黒こそが、こういった「高い危険性と大きな見返り」を持つ大型クリーチャーを最もよく扱えるべきだろう。我々は≪ファイレクシアの抹殺者 / Phyrexian Negator≫【旧枠時代の黒の代表的なクリーチャー。3マナ5/5トランプル】のようなカードを「スーサイド・ファッティ」と呼ぶことにし、今ではこれらを黒の為すことの本質的な部分だと見なしている。

 一方で、いずれかの色がスーサイド・ウイニーに最も長けることになるのだが、我々は赤がその役割に最適な選択だと結論付けた。≪ジャッカルの仔 / Jackal Pup≫【赤のクリーチャー。自身へのダメージがコントローラーにも飛び火する。1マナ2/1】、≪はぐれ象 / Rogue Elephant≫【緑のクリーチャー。戦場に出たとき森を1つ生け贄に捧げなければならない。1マナ3/3】、≪ミノタウルスの探検者 / Minotaur Explorer≫【赤のクリーチャー。戦場に出たとき無作為にカードを捨てなければならない。2マナ3/3】、これらのカードはまさに赤に相応しい、というのも黒は小型クリーチャーの色だと見なされていないからだ。この判断を下しうる視点は二つある。第一は、非常にメカニクス寄りの視点だ。五色全てで、あるいは五色中四色で、優秀な小型クリーチャーのデッキを構築することがもし可能ならば、ゲームの楽しさは減じてしまうだろう。いずれかの色が四番手であるべきなのだ【四番手が不得手ならば、必然的に良質な単色ウイニーデッキは三色の内に留まりうる】。第二は、非常にフレーバー寄りの視点だ。邪悪と契約を結ぶのは容易ならない取引だ。代償は大きいが、報酬もまた大きい。「ゴブリン・ウイニーの大軍」という響きは聞こえが良いが、「デーモン・ウイニー」という響きは締まらない。マジックはフレーバーとメカニクスが共に並び補い合うとき円熟するのだが、それはまさにここで我々が行なったことだと考えている。

 我々が黒に施した他の変更点は些細なものだ。全てのクリーチャーにダメージを与えるのは非常に赤の特性であるため、「疫病【pestilence】」というフレーバーの効果はメカニクスとしては-X/-X修正を与えるようにすべきだと決めた【≪黒死病 / Pestilence≫から≪紅蓮炎血 / Pyrohemia≫への移行】。クリーチャー蘇生の大部分は黒のメカニクスに留めたが、フレーバーと絶妙に合うならば、そのような白の復興呪文を臨時に作る可能性もある。「教示者」は引き続き、緑はクリーチャー、赤は運任せ、黒は悪魔との契約、【白はエンチャント、青はソーサリーやインスタントやアーティファクト】といったように、適性に照らして分散される。黒は飛行クリーチャーの三番手であり、再生クリーチャーの筆頭であり、アーティファクトやエンチャントを破壊できず、また当然ながら、クリーチャー破壊と手札破壊といった重要項目すべてを継承している。

 以上が黒の現状だ。我々の考えでは、フレーバーとメカニクスのどちらの視点から見ても、黒は依然として多くの素敵な要素を有しているが、それはどのセットでも黒の良いカードで溢れてしまうほどの過剰な量ではないはずだ。


【以下は注釈的な記述】


 マークの前回のコラム『腹黒さの中に』に呼応して立った掲示板は、私の見てきた中で最も魅了的な部類に入るものだった。記事でマークが展開した好奇心をそそる主張は、黒に関連しているような道徳についてだった。すなわち、黒は邪悪と同義でなく、また常に邪悪というわけでもない、そして邪悪になる潜在性はどの色にもある、という主張だ。そして記事の反響で掲示板は7ページにも達し、マジックに関連した道徳についての非常に知的な論戦で賑わっている。利口であることがいかに楽しいことか、それを思い出させてくれるような掲示板だ。さて私も自分の意見を少しばかり投げ込むために、演説台に上ってみようと思う。

 私が思うに、君たちの中にはニーチェを誤読している者がいる。とはいえ何も私はニーチェを、道徳なんてものは無視するべきだとか、やりたいことは何でもすべきだとか、そのように示唆する者だ、と読解しているわけではない。そうではなく、ニーチェが我々各人へ熱心に説いているのは、道徳を自分自身に照らして吟味し、各人の精神を我々が従うべき倫理規定へと磨き上げることだ、と私は考えている。著書『善悪の彼岸』は道徳の歴史についての魅了的な研究で、特に詳細に論じているのは、キリスト教が外面的行動や内面的意図を本質的に測量する基準を「善良と邪悪【Good vs Evil】」から「善し悪し【Good vs Bad】」へと変えていった過程だ。さて私が下した結論は、我々が企てるべきは受け継いできた標語【label:レッテル】の向こう側に移動することだ、というものだ。「民衆【herd】」とは、親や宗教を通じて彼らに手渡されるあらゆる倫理的教義に盲目的に従う者たちのことだが、自分自身をこういった民衆から分け隔てる手段は倫理を無視することではない。そうではなく自分自身のために倫理を考え、それに対する理解と信仰を通じて、自分の人生を過ごすための倫理規定を見つけ出すこと、これが民衆と区別される方法である。ニーチェの言う「超人」は反道徳的ではないし、超道徳的ですらない。その代わり彼は「善良と邪悪」という道徳の彼岸を開拓したのだ。とは言っても、これでともすれば、ニーチェに関して私が言いたいことは全て言い切ってしまったかもしれない。

 さて、私はニーチェが黒でないとは言っていない。彼の哲学はマジックの黒にかなり調和する。ただ私が思うに彼の見解は、彼に対する評判以上に名状しがたくかつ興味深いものだ。事実、私のニーチェに対する読解はマークの黒の心構えに対する説明と親和するものだ。「君の規則を押し付けないでくれ」とは、黒の魔術師が白の魔術師に対して言う台詞だ。私の読む限りではニーチェは青寄りの黒に配置されるが、やはり彼は本質的には自己中心的であり、それはまさに黒の本質とするところだ。

 話は変わるが、バート・シンプソンは明らかに黒だと私は思う。バートには大混乱を引き起こす傾向があり、私も最初は彼を赤と考える理由を見出せたのだが、より綿密に観察すれば、彼は混乱を見て楽しむために、慎重かつ回りくどく計画を練っていることが分かるはずだ。ホーマーと比べてみよう。シンプトンの中では実に赤いホーマーは決まって、脈絡も理由も全く無い行動を取っている。ホーマーはいかなる時点においても、自身の激情が命ずるがままに従っているのだ。

 最後に述べるのは、ただ単なる状況説明だ。行動と意図のどちらが道徳的な正しさを決定するのかという問いに対して、明解な回答が提出されることは決してないだろう。実際、この討論は何千年にも渡って紛糾してきたし、どちらの立場にも与しない非常に賢明な人もいる。しかしながら、過去の歴史全てがこの設問を、マジックの色に対する興味深いリトマス試験たらしめているのだ。マークが「邪悪とは信条ではなく行動の問題だ」と言うとき、当然彼は黒の声色で喋っている。そして白はちょうど正反対の見解を強調している。

 最近、私がこのゲームをどれほど好いているか、言ったかしら?【原文:Have I mentioned lately how much I love this game?――『Have I Told You Lately That I Love You?』という名曲があり、そのフレーズに似ている?】

 記事の連投になりますがご容赦願います。
 今回訳出した記事には、o)nira.さんによる翻訳が既に存在します。http://web.archive.org/web/20070501130453/members.at.infoseek.co.jp/braingeyser/04/0612.html
 原文も翻訳も随分と昔の記事で、カラーパイの文献も当時から随分と増えたので、新しく訳出してももう了承していただけるだろうと思っております。

≪腹黒さの中に――禁止領域は存在しない≫
原題:In the Black ―― Nothing is off limits
Mark Rosewater
2004年2月2日
http://archive.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtgcom/daily/mr109
【原題の「in the black」は「黒字の」「利益の出ている」を意味する】

 黒の週間へようこそ! これはマジックの五つの色に専心する一連のテーマ週間、その四番目のものだ。過去の三つは『緑でいるのは楽じゃない』、『白光満ちる大通り』、そして『忠実なる青』だ。この連載は厳密な構造をしているので、他の三つの記事のどれか一つでも読んだ人なら、今回もどのような流れで進んでいくのか見当が付くはずだ。

●今まで通り、パイの取り分は常にあるものだ
 もし君が色の週間が初めてなら、何はともあれ、私のコラムへようこそ。過去記事を未読の人は、メイキング・マジックの文書保管室を照会することを強くお勧めする。各々の色の週間で私は、コラムを通じて各色のフレーバーと哲学を解説してきた。それを行なうために私が取り上げたのは、カラーホイールを刷新する作業に際して研究デザイン部が考案した一連の設問だ。マジックにはルール・グルが携わっているが、フレーバー・グルもまた同様に携わっているのだ。そしてその五つの問いかけは、次のようなものだ。

・その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
・その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
・その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
・その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
・その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
・その色の最高の長所と最大の欠点は何か?

●その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
 各所で述べてきたが、色の哲学が循環し展開されていく、その中心にあるのは、その色が世界をどのように見るかということだ。黒の世界観は極めて自己本位【self-centered】だ。本質において黒は、どれほど自分へ影響があるかによって世界を定義付ける。したがって黒にとっては、各個人にはそれぞれ人生における自分の目的がある、ということになり、それはすなわち、自分の人生を可能な限り良いものにする、というものだ。そして黒が関心を持つ限りにおいては、これは公正【fair】なことだ。なぜならば誰もが誰かしらを、自分自身という最重要の関心事のために用心し見張っているからだ。さてこのような生き方は、何と言っても誰かが損をすることで初めて他の者が得をするのだから、多くの犠牲者を生み出すことになるのだが、黒はこれこそまさに世界が弱者を選別する在り方だと考えている。
 この目的を完遂するために黒は権力【power】を求める。なぜか? 黒は他の色とは違って、自分が行なっても良いとされる行為に枷を嵌める必要性、そんな必要性を感じていないからだ。黒にして見れば、個人は欲しいものを得るために必要とあらばいかなる手段を用いることが許されるのだ。このことから黒にとって【個人の】成功を真に計る尺度は、自分の望むあらゆる物事を実行する能力だ、ということになる。もし他の誰かのせいで自分の欲求や願望が妨げられているならば、当然ながらそれでは至上の目的に達していないのだ。
 黒は次のように考えている。すなわち、どの他の色も世界を変えようと欲している、そして今現実にある世界とは異なったものに仕立て上げようとしている、と。黒の持つ印象では、黒だけが世界をあるがままに受け容れている。人間は、そのことならついでながらヒト型の生き物もだが【humanoids】、本質的に自己中心的な【selfish】存在だ。これ以外の信条は真理に対する承認拒否でしかない。なるほど、もし世の中が現実とは違う仕組みで回るならば、それはとても素晴らしいことだろうが、だが実際はそうでない【世界は現実にある仕組みで回り続けるものだ】。そして黒はこの世界で生きていかなければならない以上、現に存在する掟に従っていくまでだ。その掟は単純で、より強い者に止められるまでやりたいことをせよ、というものだ。
 黒の哲学はあからさまで単純だ。黒は欲しいものは欲しいと思うし、それを得るためには必要なあらゆる手段を使うだろう。黒の最終目標は何か? 究極の権力、すなわち全能の力【omnipotence】だ。

●その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
 この領域は黒が最も強みを持っていると自覚するところだ。他の色はどれも自身に制限を課している。ある色は肉体において、ある色は知性において、またある色は道徳において。黒はそのようなことはしない。黒は入手可能な道具なら何でも利用する。死、疫病、狂気。黒には禁止領域が存在しないのだ。メカニクスの点から見ると、このことが黒を破壊、とりわけ生物破壊、そして手札破壊の王者たらしめている。
 次に、黒は魔法のためならどんな対価でも支払う意思を持っている。ライフの支払い、クリーチャーの生け贄、身体の一部を無作為に捧げること、黒はありとあらゆることをするつもりでいる。メカニクスの点から見るとこれが理由で、マナや起動型能力をより低い代替コストで活用することにおいて、黒の右に出る色はない。犠牲は見合うほど甚大であるが、それがために黒は何でもできるのだ。
 また黒には、他者から搾取しようという意思が有り余っている。ある物を簡単に他人から流用できるという状況ならば、自分で労力を費やしてそれを作る理由などない。他人の所有物を横取りすることは、自分の力を証明する一つの手立てだ。これはメカニクスでは≪魂の消耗 / Consume Spirit≫【支払った黒マナの点数だけダメージを与え、自分はライフを獲得する、ドレイン呪文】や≪吸心 / Syphon Mind≫【各対戦相手は1枚手札を捨て、自分はその合計の枚数ドローできる、手札のドレイン呪文】などの効果に現れている。
 暗黒陣営の同盟軍によって、黒は危険なクリーチャーの大軍を、そしてそれらは発狂していることも多いのだが、戦場に送り込み指揮することができる。このため黒は、危険性の高い、しかし強力な呪文を使えるのだ。黒はほとんど何でも利用することが可能だが、それには恐ろしい代償が常に要求されている。
 これら闇の資源を掬い取ろうとする黒の意思は、それ自身を最も強力な色たらしめている。黒の最大の脅威は他の色からもたらされるのではなく、自身の内側から生じる。黒は最も内紛に陥りがちな色であり、比喩的にも逐語的にも両方の意味で、自分の悪魔に身を滅ぼされがちだ。

●その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
 黒は権力を獲得しようとしている。黒の現在進行中の目的は、欲するものを獲得するためならば必要な手段は何でも利用する、というものだ。このため黒の表象には、【病気や倫理的堕落といったような】人生の負の側面の要素が数多く含まれている。
 死。超道徳性【Amorality】。闇。腐敗。疫病。堕落。不純(汚染)。減退。騙し。策略。権謀術数【Machevelian thinking:『君主論』のマキャベリのような思考】。個人主義。計画的な破壊。他者の生け贄。自身の一部の生け贄。恐怖。処刑。自己陶酔。不死。

●その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
 黒は自らの全ての注意関心を自分自身に対して集中させる。よって黒が憎むのは、またよりはっきり言えば全く理解できないのは、集団の要求を個人よりも優先させる者たちだ。自分自身のことを気にかけないような者を、いかにしてそうする気にさせることができるだろうか。彼らは脳足りんだが、それも非常に危険なものだ。
 黒は次のように解釈している。道徳や精神性といったまやかしの産物によって動機付けられた生き物は、説得を受け容れることも正真正銘の苦悶を経験することもできない、と。したがって黒は、彼らが結束して黒の軍勢を圧倒する前に、先手を取って彼らを襲撃し滅ぼさなければならない。

●その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
 白の中には、白痴の究極に至った色を黒は見出す。馬鹿げた制約を自分に課さなくても、人生は充分に厳しいものだ。だが白の魔道士は厚かましくも、その馬鹿げた規則を他の全員にも押し付けようとしている。忌々しいことに白の規則は、強者の負担で弱者を守るというものだ。こういった発想は広まる前に抹殺されなければならない。
 青の中には、大局を理解する色を黒は見出す。支配という地位を維持することの重要性を青は理解している。もし青が、行動により多くの時間を割き、物事の分析をより短い時間でできれば、なお良いのだが。
 赤の中には、自分の最大の関心事を恐れずに実行する色を黒は見出す。強者が弱者を淘汰することの必要性を取り込んだ色だ。不幸なことに、赤の遂行ぶりはあまりにも出鱈目だが。
 緑の中には、任務達成のために不可欠な段階を踏むことができない色を黒は見出す。白と同様、緑は無意味な資質に対して非常な価値を置いている。緑の最大の欠点は、生命の価値を盲信していることだ。確かに生命は便利なもので、と言うのも多くの強力な呪文は結局のところ生け贄が必要だからなのだが、しかし緑は度を越している。

●その色の最高の長所と最大の欠点は何か?
 黒の最高の長所は、その目的に進むのに役立つあらゆる資源を利用しよう、という意思である。黒はいかなる方策も拒絶しないし、またいかなる機会も見送ろうとはしない。この行動指針の短所は、ともすれば干渉すべきでない物事にも黒はしばしば干渉してしまう、というものだ。黒は、赤が僅差の次点だとはいえ、自滅の可能性が最も高い色だ。さらに、黒の個人主義は他者との関係を疎かにするので、黒は最も孤立した色となっている。行く手に障害が立ちはだかっても、黒には他に頼る者がいないことが多いのだ。

●黒い罠【Touch of Evil:アメリカの映画】
 この厄介な問題に言及するのを避けては、黒を論じることはできないだろう。すなわち、黒は邪悪【evil】と同義だろうか、という問いだ。私は否と考える。確かに黒に関連付いた人々は邪悪たりうる。黒は明らかに最も邪悪に陥る傾向を持つ色だ。ほとんどの伝統的なファンタジーの邪悪な悪役は暗黒に堕ちていく。初期のマジックのフレーバーは明瞭に黒の邪悪を強調していた。だが、邪悪に走る高い傾向を持つことと、邪悪であることとは同じではない。以下に説明を続けさせていただきたい。
 カラーホイールはゲームのフレーバーに構造を与えるために使われる道具だ。ホイールの各部分は各色として捉えられ、それぞれ異なった哲学を表象している。ある色が何らかの感情や意見を具体的に表現するとき、それはその色に特有のものとして表れる。ともすれば友好色はその表現されたものに共感するかもしれないが、彼らとて自分の共感を公然と表現するわけではない。すなわち黒が邪悪と同義でありえない第一の理由は、邪悪は黒に限られたものではない、ということになろう。
 カラーホイール上のどの色にも、各色の哲学の名の下で邪悪な行為を犯す可能性がある。白は国家全体主義を作り出しうる。赤は過失の殺人を犯しうる。緑は物を暴力的に破壊しうるし、青は放蕩な盗みをしうる。邪悪は信条ではなく行動に従事するものなのだ。そして五色すべてが邪悪な物事を行なう可能性を持っている。
 第二の理由は、黒が具体的に表現するものの中にも、善良な使い道を見出せるものが多く存在する、というものだ。例えば、黒は個人の重要性を強調する色だ。この個人主義が土台となって、資本主義や合衆国憲法などが作られた。利己的な行動にはそれに見合った善良な用途がある。時として、人には自分自身を実際に最優先させるべき局面が訪れるのだ。
 第三の理由は、超道徳性【amorality】つまり道徳とは無関係であることは、不道徳性【immorality】つまり道徳的に好ましくないことと往々にして混同されている、というものだ。黒は道徳に反対しているのではなく、単に道徳は何の意味もないと考えているだけだ。道徳と無関係な者は、道徳的な行為と同様に不道徳的な行為も行なう可能性がある。
 確かに、黒の魔道士は邪悪にしばしばなりうる。しかし色としての黒は本質的には邪悪ではない。黒の哲学の影響を受けているからと言って、その者が邪悪な行動を犯すはずだとは必ずしも言えない。そうであるからには我々は、黒が邪悪を表象しているとは言えないのだ。黒は他の色に比べて邪悪と足並みを揃えやすいかと問えば、確かにそうだ。黒は邪悪の潜在性をより大きく含んでいるかと問えば、確かにそうだ。だが、黒は邪悪そのものかと問えば、それは否だ。そしてこれは非常に重要な区別だ。

●黒衣の男たち【Men In Black:アメリカ映画。黒衣の男たちは都市伝説的な陰謀団として暗躍している】
 さて、以前から証明されてきたことだが、ここから続くのは色の哲学の記事で最も物議を醸す部分だ。実践演習として我々が行なったのは、まず研究デザイン部の壁に巨大なカラーホイールを設け、次に人物や特徴を示した絵を、フレーバーに合致すると感じる色の部分へ率先して各自貼りつけていく、というものだ。我々が黒だと判断した登場人物たちを数名紹介しよう。
 レックス・ルーサー【Lex Luthor:映画『スーパーマン』シリーズの悪役。ある時は悪の天才科学者、ある時は野心的な実業家、またある時は合衆国大統領】――漫画ファンとして私は、黒には超人的なヴィランを含めなければならないと感じていた。私がレックスを選んだのは、彼が他のどの悪役よりも、権力に対する純粋な欲深と渇望そのものの典型を示しているからだ。
 バート・シンプソン【Bart Simpson:『ザ・シンプソンズ』の長男坊】――私はシンプソン家から毎回選出してきたので、その実践を今回になって打ち切る理由はどこにもない。バートの動機は純粋で自発的なものであり、文字通り一家の問題児だと言える。
 ダフィー・ダック【Daffy Duck:ワーナーブラザーズの映画『Looney Tunes(邦題:ルーニー・テューンズ)』に出てくる黒いアヒル】――ダフィーは自分の優先事項が全て彼自身であると極めて明確に表現している。彼はアニメの登場人物が持ちうる限りの貪欲さと自己本位性とを有している。余談だが、ドナルド・ダック【Donald Duck:ディズニーアニメのアヒル】は自身の抑え切れない激情のために黒赤に分類されたが、もしその赤の要素がなければこの枠にはドナルドが収まっていただろう。さて私がダフィーを黒に加えた理由は、黒の哲学の主唱者で好感の持てるような人物を作ることは可能だろうか、としばしば尋ねられるからだ。ダフィーが無数のアニメ作品の中で第一線級であり続けたように、それは可能なのだ。
 ジョージ・コスタンザ【George Costanza:アメリカNBCのドラマ『Seinfeld(邦題:となりのサインフェルド)』の登場人物。Wikiによると「ハゲで短気で卑屈、仕事を始めてもすぐに問題を起こしてクビになってしまう」らしい】――『となりのサインフェルド』ファンなら全員が証言していただけるだろうが、ジョージの取る行動はすべてジョージに関することだ。献身的な婚約者を不慮の死に追いやることになろうと、贈り物を買わずに済ませるために偽の慈善活動を企てることになろうと、自分自身という目的を前進させる名目で、ジョージは大いなる深淵に転落していくわけだ。

●暗転【Fade to Black:映像が終わる際の暗転をそのまま意味している。またメタリカ(Metallica)の作品の中に「Fade To Black」という生死を歌ったものがある】
 さて、我々は色の週間を完結させる道程の八分目に達したことになる。ここで言及しておくが赤の週間は、青と黒の間隔よりかはもう少し早く迎え入れられるようにする予定だ。
 来週も参加していただきたい。インターネットの至る所に立っている「マローは気違い」スレにあつらえ向きの燃料を投下するつもりだ。
 その時まで君たちが、自分を第一に優先させるのは時として良い考え方だ、と学んでいることを願いつつ。

――マーク・ローズウォーター

並びは原文の時系列順。
特筆なければマーク・ローズウォーター著のメイキング・マジック連載記事です。
各記事の日記タグが全て「色の哲学」になっているのは、管理が面倒だからです。すみません。
マローは過去記事へ言及するので、訳出した順序でなく、原文の順序に読む方が良いと思います。

【共通】メカニクス、フレーバー、カラーパイ――MTG Salvation Wikiより抄訳
 http://imatoki.diarynote.jp/201502032349267635/
 語句の定義。

【実戦】10 Mental Locks of Magic――『マジックにおける十の知的拘束』
 http://imatoki.diarynote.jp/201512151517442892/
 95年デュエリスト第4号初出。実戦でありがちな誤謬について。

【駄目】When Cards Go Bad――『カードが駄目になるとき』
 http://imatoki.diarynote.jp/201510060954097629/
 02年1月28日、第5回。ヘボいカードが印刷される理由。

【対抗】Enemy Mine――『わが友なる敵』
 http://imatoki.diarynote.jp/201503231537338958/
 02年2月18日、第8回。色対策カードのデザイン。

【対抗】Hate is Enough――『嫌悪は十二分』
 http://imatoki.diarynote.jp/201502050040057215/
 02年2月19日、FM第14回。対抗色5組のフレーバー上の対立。

【駄目】Rare, but Well Done――『レアながらウェルダンなカード』
 http://imatoki.diarynote.jp/201510281150297278/
 02年2月25日、第9回。カスレアの存在理由。

【人物】Timmy, Johnny, and Spike――『ティミー、ジョニー、そしてスパイク』
 http://imatoki.diarynote.jp/201511031001008365/
 02年3月11日、第11回。動機付けによるプレイヤーの三つの類型。

【端麗】Keeping It Simple――『単純であり続けるためには』
 http://imatoki.diarynote.jp/201511162039453089/
 02年5月20日、第21回。カードの複雑性を取り除く意義。

【端麗】Zen and the Art of Cycle Maintenance――『禅とサイクル修理技術』
 http://imatoki.diarynote.jp/201512101711494406/
 02年7月8日、第28回。サイクルの存在意義。審美への言及あり。

【収録】When Bad Things Happen to Good Cards――『優秀なカードが不遇な扱いを受けるとき』←2017年2月25日更新
 http://imatoki.diarynote.jp/201702251209501376/
 02年7月29日、第31回。古参のカードがローテーション落ちする理由。

【緑単】It’s Not Easy Being Green――『緑でいるのは楽じゃない』
 http://imatoki.diarynote.jp/201502061646139302/
 02年10月21日、第43回。緑の哲学。

【白単】The Great White Way――『白光満ちる大通り』
 http://imatoki.diarynote.jp/201502071257403270/
 03年2月3日、第57回。白の哲学。

【青単】True Blue――『忠実なる青』
 http://imatoki.diarynote.jp/201502100050176997/
 03年8月11日、第84回。青の哲学。

【色輪】The Value of Pie――『カラーパイの価値』
 http://imatoki.diarynote.jp/201502171132364667/
 03年8月18日、第85回。カラーパイの存在意義。

【茶色】Domo Arigato, Mr. Roboto――『ドモ、アリガト、ミスター・ロボット』
 http://imatoki.diarynote.jp/201502240009134391/
 03年9月29日、第91回。アーティファクトのデザイン。

【黒単】In the Black――『腹黒さの中に』
 http://imatoki.diarynote.jp/201503031139513624/
 04年2月2日、第109回。黒の哲学。

【黒単】Defining Black――『黒の定義』
 http://imatoki.diarynote.jp/201503100219279776/
 04年2月6日、LD第109回。黒のメカニクスへの変更点。ビューヒャー氏執筆。

【赤単】Seeing Red――『赤裸々な激情』
 http://imatoki.diarynote.jp/201503171630349626
 04年7月19日、第133回。赤の哲学。

【端麗】Elegance――『端麗』
 http://imatoki.diarynote.jp/201505081447563651/
 04年10月18日、第146回。デザイン全般に関わる考え方。

【端麗】An Elegant Response――『端麗な反応』
 http://imatoki.diarynote.jp/201506152348254940/
 04年11月1日、第148回。上記『端麗』への読者の賛否両論に対する応答。

【端麗】Design of the Times――『往時のカードデザイン』
 http://imatoki.diarynote.jp/201506292349191818/
 05年2月21日、第164回。アルファ版から各色1枚ずつ、端麗なカードを解説。

【茶色】Just the Artifacts, Ma’ am――『アーティファクトだけを話してください、奥さん』
 http://imatoki.diarynote.jp/201503311058447076/
 05年2月28日、第165回。アーティファクトの哲学、という位置付け。

【対青】The Troubled One――『気病める青』
 http://imatoki.diarynote.jp/201504151635017622/
 05年3月21日、第168回。研究デザイン部が青を叩く理由。

【実戦】Color Pair Building Blocks――『リミテッドにおける二色の組』
 http://imatoki.diarynote.jp/201512101455571258/
 15年5月20日、LI。限定環境での二色デッキの類型論。サトクリフ氏執筆。
 今回訳出した記事にも公式訳が存在します。http://web.archive.org/web/20040302110822/http://www.hobbyjapan.co.jp/magic/articles/files/20031126_01.html
 原文も公式訳も随分と昔の記事ですので、新しく訳出してももう了承していただけるだろうと思っております。

≪ドモ、アリガト、ミスター・ロボット――「問題は簡易明白であって……」≫
原題:Domo Arigato, Mr. Roboto ―― "The problem’s plain to see..."
Mark Rosewater
2003年9月29日
http://archive.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtgcom/daily/mr91
【原題はスティクスの歌「Mr. Roboto」の冒頭の歌詞である】

 アーティファクト・クリーチャーの週へようこそ! ミラディンの封切りを記念して、今週我々は無色クリーチャーに関して話していこう――もっともミシュラランドは除くが。私はデザイン特集の執筆という光栄を授かっているので、今週の連載記事「メイキング・マジック」は次のような流れで展開していきたいと思う。すなわち、まずアーティファクト・クリーチャーやアーティファクト一般を設計することの困難さについて論じ、次にミラディンのアーティファクト・クリーチャー数体の図案を一瞥していく、という流れだ。

●ノームに勝る所はない【原文は「There’s No Place Like Gnome」で、慣用句「There’s no place like home(我が家に勝る所はない=住めば都)」の語感を真似ている】
 私が思うに、企業秘密を打ち明けることから始めるのが良さそうだ。優秀なアーティファクトを設計するのは非常に、非常に困難だ。なぜか? 理由はいくつかある。

 理由1:アーティファクトはカラーホイールと相性が良くない――アーティファクトの最も重要な面は、それらが携えていないものから生じてくる。すなわち私の言わんとしていることは、有色だ。カラーホイールがマジックにとっていかに決定的であるかについて、私は数多くのコラムを費やして説明してきた。アーティファクトはこれまでの説明に対して重大な懸案を投げかけてくる。カラーホイールは小さな仲間内の集まりであり、アーティファクトは招かれざる客にしか過ぎないのだ。
 もっとも、研究デザイン部がアーティファクトをカラーホイールへ差し込もうと試みなかった、と言っているのではない。我々は≪石臼 / Millstone≫【ライブラリー破壊用のアーティファクト。現在では青黒にもしばしば現れる能力】や≪吠えたける鉱山 / Howling Mine≫【各プレイヤーに毎ターン追加ドローさせるアーティファクト。現在では有色の亜種も多い】等のいくつかの能力を、主としてアーティファクトに付託させようとさえしているくらいだ。だがこれは木に竹を接ぐようなものだ。アーティファクトの定義は、それらが全てをこなすことができるという点にある。無色であることがそれら自体を自由たらしめているのだ。昔の、本当に昔のサタデー・ナイト・ライブ【Saturday Night Live:アメリカNBCの長寿コメディバラエティ番組】から引用すると、「祝福であると同時に呪いでもある」ということだ。
 祝福は、アーティファクトが持つ制限は非常に小さいということだ。呪いは、アーティファクトが持つ制限は非常に小さいということだ。これまでの数多くのコラムで説明してきたが、制約こそが創造性を育むのだ。広大に開けた領域は、むしろ人の気を折れさせるのだ。
 加えて、アーティファクトは確かにカラーホイールを利用しないが、それらはやはりホイールの先端部分に踏み込まないよう距離を取って置かれなければならない。このことから研究デザイン部は、アーティファクトに関する包括的な規則を制定した。すなわち、アーティファクトは何をする際にも、その役割を最も苦手とする色よりも上手にすることはできない、という規則だ。例えばクリーチャー破壊のアーティファクトは、どんな緑デッキにも入るくらいにまで強力であってはいけないのだ。
 公平を期して、特にセットの半分がアーティファクトのような場合には、研究デザイン部はこの規則に対して少し融通を利かせている。だが共通の精神はいずれの企画にも広大に行き渡っている。この問題が顕著なのはアーティファクト・クリーチャーにおいてだ。例えば、青のクリーチャーは明らかに緑や白よりも数段見劣りする。そしてアーティファクト・クリーチャーは青のそれに勝らないようになっている。
 その上で、デザイナーは何をすべきか? 鍵は欄外の創造性に眠っている。有色の能力を横領させないようにする最善策は、特定の色に明らかに還元することができない、奇抜な能力を見つけ出すことだ。これは容易ではない。先に「非常に、非常に困難だ」と書いたのは、まさにこのことだ。

 理由2:アーティファクトはフレーバーの犠牲者だ――私が思うに、プレイヤーがアーティファクトを好むということの重要な要因は、それらが概念からして非常に論理的だからという点にある。それらは物であり、魔法の道具であり、理屈の通るものだ。このことが発案に対して興味深い束縛をもたらす。アーティファクトが適正なものだと「感じる」ようにさせるために、そのフレーバーとメカニクスは明確に結びついている必要がある。エンチャントはどうか? 何なりと可能だ。それらは魔法だ。どんな風にでも取り繕える。プレイヤーは何の期待も持たない。だがアーティファクトはどうか? アーティファクトは現実味を帯びているため、厳密に理屈が通るべきだと言えるのだ。
 もっとも、どのアーティファクトも完璧に理屈が通っている、とまで言っているのではない。実際のところ吠えたける鉱山とは何だろうか【という疑問を考えればよい】。だが最良のアーティファクトは首尾一貫した論理を含んだものだ、と言いたい。私の確信するところでは、これはほとんどのプレイヤーが考察する点ではないが、アーティファクトを聡明な作りで動作させる重要な点の一つだ。そして繰り返しになるが、これを的確に行なうのは「非常に、非常に困難」だ。

 理由3:アーティファクトには「気違いじみた」という評判がある――理由1から設計者は、自分の手法から外れることでより革新的になる、そして、プレイヤーがアーティファクトに見出すような種類の効果を呈しうる、というわけだ。このことと以下の事実、すなわち、アーティファクトはレアに偏りがちだという事実、ついでながらコモンのものはほとんどのセットに存在せず、アンコモンのものは汎用性を重視しているのだが、この事実と君たちが、アーティファクトが他の普通のカードよりも「異様」だというような自己成就的な予言を作り出したと言えよう。
 ミラディンでこの予言と対峙した我々は、意図的にアーティファクトの入る稀少度の閾値を引き下げた。すなわち、我々は普段ならアンコモンになるだろうものをコモンに指定し、普段ならレアになるだろうものをアンコモンに、そして残りの格別に複雑なものをレアにした。これが理由となって、例えば、ミラディンのアンコモンのアーティファクトが、普段のセットならばレアだったろうにと君たちの視点から見なされうるのだ。より風変わりな趣旨へと向けられたこのような期待感は、アーティファクトの企画をなおいっそう複雑にさせる重圧となっている。

 理由4:ミラディンの半分はアーティファクトでできている――デザインチームが強く感じていた必要性は次のようなものだった。我々が望むような環境を作り出すためにも、ミラディンには多数のアーティファクトカードが収録されなければならない、と。平均的なセットには40枚のアーティファクトが収録される――ここ数年の貧弱なアーティファクトの水準は別の話だ。ミラディンには160枚以上のアーティファクトが収録されるのだ! これは四セット分のアーティファクトに相当する量だ。すなわち設計すべきアーティファクトが大量にあることを意味する。【訳注:350枚強のセットに限ってアーティファクトの数を見ると、ICE45枚、MIR39枚、TMP39枚、USG33枚、6ED48枚、MMQ30枚、INV22枚、7ED39枚、ODY15枚、ONS6枚となっている。ミラディンは142枚だが、親和や≪空僻地≫≪エイトグ≫等も足していくと160枚に達しそうではある】
 事実、私ではないが研究デザイン部の中の数名は、興味深いアーティファクトをそれほどの量も作り出せるだろうか、と懐疑的だった。ご覧のとおり、我々は彼らの誤りを証明したわけだ。少なくとも私はそうできたと願いたい。

 理由5:アーティファクト・クリーチャーは他のいかなる制限を持たない――全てのカードタイプの中では、研究デザイン部はクリーチャーを他の何よりも多く作っている。したがってクリーチャーは他のカードタイプよりも遥かに多く印刷されている。これはアーティファクト・クリーチャーの発案をいっそうさらに難しくしている。開拓すべき未踏の領域があまり残されていないからだ。
 幸運にも、研究デザイン部には新鮮な挑戦を大好物とする面子が揃っている。そしてミラディンに、我々は手一杯に取り組んだ。

●クリーチャー特集
 さて私の説教も充分だろうから、図案の話に進むとしよう。以下に紹介するミラディンのアーティファクト・クリーチャー数体は、どのように生まれてきたのだろうか?

 ≪銀のゴーレム、ボッシュ / Bosh, Iron Golem≫【8マナの伝説のアーティファクト・クリーチャー。トランプル持ちでゴーレムでもある。赤マナを支払ってアーティファクトをダメージ源に変換できる】――通常、クリエイティブチームはどんな伝説のクリーチャーが物語に登場するかをデザインチームに知らせる。その通達された情報を用いて、デザインチームはフレーバーに合致したカードを考案していく。これに関してボッシュは非常に率直だ。彼はアーティファクトを壊すのが好きな、畏怖の念を起こさせるゴーレムだ。企画者と開発者はいくつもの異なる草案を試してみた。最終的に開発チームが採用した能力は、デザインチームがレアの赤い「猿」――≪ゴリラのシャーマン / Gorilla Shaman≫【アーティファクト破壊能力を持つ赤のクリーチャー。ヴィンテージで軽量マナアーティファクトを次々割っていくため、別名はモックス・モンキー】――にかつて宛がったものだった。ご存知の通り、マジックの世界における猿は、どういった理由か定かでないが、確かにアーティファクトを酷く嫌っている。ともあれ、この掴んで投げ飛ばすというフレーバーが非常に赤らしいと感じられたので、このカードには赤い起動型能力が与えられることになった。

 ≪機械仕掛けのドラゴン / Clockwork Dragon≫【7マナのアーティファクト・クリーチャー。+1/+1カウンターが6個置かれて出てくる。戦闘の都度カウンターが取り除かれるが、マナを支払えば増強できる】――アルファ版が初めて世に出たとき、カードに熱中したりカードを分析したりするような集まりは、まだ作られていなかった。インターネットも初期の段階にあった。したがってマジック黎明期にいくつかあった「熱くて人気ある【"hot"】」カードは、試合での価値よりも見た目の価値の方を遥かに伴っているものだった。そういったカードのひとつが≪機械仕掛けの獣 / Clockwork Beast≫だった【機械仕掛けクリーチャーの元祖。+1/+0カウンターを用い、カウンター配置のタイミングがアップキープに制限され、カウンター配置の上限は7個までとなっている】。もし≪機械仕掛けの獣≫、あるいはこれまた怪しげな≪蜂の巣 / The Hive≫【5マナとタップで1/1飛行トークンを生み出す5マナのアーティファクト】が欲しいなら、ブースターパックを開封する必要があった。誰一人としてこれを交換に出すほど狂気沙汰ではなかったからだ。
 私が記憶からこの情報を引っ張り出したのは、ミラディンには数体の機械仕掛けクリーチャーが収録される予定だと知らされたときだった。メカニクスは+1/+1カウンターを使用するように変更されるとも伝えられた。当然これが意味したのは、我々はレア枠に機械仕掛けクリーチャーを設けなければならない、ということだった。そして君たちがレアのクリーチャーと言われて思い浮かぶのは、おそらくドラゴンだろう。こうして≪機械仕掛けのドラゴン≫は生まれたのだ。また、セットを象徴するドラゴンがアーティファクト・ドラゴンになるということで、私は満足していた。

 マナマイアのサイクル【2マナ1/1。各色に用意されたアーティファクトのマナクリーチャーたち】――すなわち緑の≪銅のマイア / Copper Myr≫、赤の≪鉄のマイア / Iron Myr≫、黒の≪鉛のマイア / Leaden Myr≫、青の≪銀のマイア / Silver Myr≫、白の≪金のマイア / Gold Myr≫は、ミラディンの企画のまさに初期段階で作られたものだ。その時から何一つとしてカードに変更は加えられていない。いや、なるほど確かに、これらはノームからマイアへと変わったが、その他のマナコストから能力やパワータフネスに至るあらゆる点は、実際のところ最初から変わっていない。

 ≪映し身人形 / Duplicant≫【戦場に出たときクリーチャー1体を追放し、それのパワー、タフネス、クリーチャータイプをコピーする。攻防一体のアーティファクト・クリーチャー】――このカードは開発の段階で作られた。インターネット上の多くのプレイヤーが惜しんだところによると、これがパワー、タフネス、クリーチャータイプだけでなく、完璧にクリーチャーをコピーできれば良かったのに、ということだった。なるほど、このカードは実際そのようになるはずだった。完璧なコピーこそが、このカードが作られたとき開発チームの念頭にあったものだった。しかし、そのようなメカニクスを【ミラディン発売当時の】ルールで支えることはできなかった。理由を知りたければ、≪Vesuvan Doppelganger≫【アップキープごとにコピー先を選びなおせる青のクリーチャー。ルールもさることながら、日本語オラクルが非常に難解】に関するルールを参照していただきたい。結果、開発がかなり後期に差し掛かってから、このカードに変更が施されたのだ。

 ≪金属カエル / Frogmite≫と≪マイアの処罰者 / Myr Enforcer≫【双方とも親和(アーティファクト)持ちのアーティファクト・クリーチャー】――私がこれらを考案したのは、一群の親和カード作成の第一段階だった。これらはファイルに入れられ、その後変更されることはなかった。私は親和(アーティファクト)を持つアーティファクトをいくつか収録させたいと思っていた、というのも潜在的に何のコストもかからないようなカードを作るには、これしか方法がなかったからだ。閑話休題、これらはかなり優秀だ。私が思うに君たちはこの2枚をトーナメントで見かけることになるだろうから、明確に調べ上げておくべきだ。

 ≪ゴブリンの戦闘車 / Goblin War Wagon≫【マナを支払わないとアンタップしない、中堅のアーティファクト・クリーチャー】――このカードの視線の先には、アラビアンナイトの≪真鍮人間 / Brass Man≫【マナを支払わないとアンタップしない、黎明期の小型アーティファクト・クリーチャー】がある。ゴブリンという単語は赤のような響きを持つので、この単語をアーティファクトに使うことの是非に関しては、いくらかの議論があった。

 ≪地ならし屋 / Leveler≫【5マナ10/10のアーティファクト・クリーチャーだが、戦場に出たとき自分のライブラリーをすべて追放しなければならない】――このカードは、私が5マナで10/10のアーティファクト・クリーチャーを欲しいと思ったこと、そこから始まった。なぜそう思ったのか、私にも分からない。あるいは小洒落ているように思えたのかもしれない。だがこれを実現するには何らかの代償が、それも取るに足らないものではなく、非常に現実的なものが必要だった。それでいて私は、その代償を単純なものにしたかった。自分のライブラリーをゲームから取り除く【追放する】ことには、どういった理由だろうか、非常に早く行き着いた。またマナマイアのサイクルと同様に、このカードは初期の発案で作られ、そのままの状態で実際の印刷に至った。

 ≪磁石マイア / Lodestone Myr≫【アーティファクト1つをタップするごとに+1/+1修正を得る、トランプル持ちのアーティファクト・クリーチャー】――このカードは草案ではマグネトロン【Magnetron:磁電管】として通っていたが、着想となったのはテンペストの≪リモコン飛行機械 / Telethopter≫だ【クリーチャー1体をタップすることで初めて飛行を得る、フレーバー溢れるアーティファクト・クリーチャー】。興味深いことに≪リモコン飛行機械≫は私の父ジーンの発想によるものだった。さて、他のアーティファクトをこのカードの糧にするという考えは、私のお気に入りだ。発案の段階では我々は【≪磁石マイア≫の起動コストに充てられる】アーティファクトを非装備品のものに限定していた。その理由は次のようなものだった。プレイヤーは装備品をオーラと同等に扱い、クリーチャーと一緒にタップしてしまう傾向があった、そのため、装備品のタップ状態やアンタップ状態を切り替えるのは混乱を招くと考えられた、というものだ。開発の過程で、この制限は洗練を欠くもので不必要に弱体化させるものだと判断され、どんなアーティファクトでも能力の起動に充てられるように戻された。

 ≪マイアの精神使い / Myr Mindservant≫【自分のライブラリーを切り直す起動型能力を持つ】――掲示板で数名の書き込みが尋ねていたことだが、なぜこのマイアは対戦相手のライブラリーを切り直させてはくれないのか。もしそれができれば≪心因検査器 / Psychogenic Probe≫【同ミラディンのアーティファクト。ライブラリーを切り直したプレイヤーに2点のダメージを与える】とコンボになったのに、と彼らは言うのだ。この書き込みに対しての回答は、次のようになる。このカードは当初はそうなっていたが、私が開発チームを説得して翻意させたのだ、と。ご存知、私は初めて開発チームに参加したアライアンスで、≪Soldier of Fortune≫【雇い兵。赤のクリーチャーで、こちらは対象のプレイヤーのライブラリーを切り直す起動型能力を持つ】というカードを創案した――少なくとも私の覚えでは、私がこれを作ったはずだ、もし私の記憶違いならアライアンスのチームの誰かが報せてくれるだろう。そして、私はこのカードは失敗だったと常々思っていた。対戦相手に継続的に切り直しを強いることは、迷惑で、さもしい行為だ。何らかの効果に達するまでの過程で、切り直しを一度要求するようなカード、そのようなものならば私は気にかけないが、反復可能な効果としての切り直し強制は粗野の極みだと言えよう。何らかの戦略的な優位性を得るため、自分のライブラリーを切り直したい、というのは結構だ。だが継続して対戦相手のライブラリーを切り直したい、というのはいただけない。私が関与する限り、そのような効果は制限するつもりだ。

 ≪ペンタバス / Pentavus≫【1マナごとの起動型能力で、自身の5つの+1/+1カウンターと1/1トークンを自在に変換できるアーティファクト・クリーチャー】――そもそもデザインチームは≪テトラバス / Tetravus≫【後述】をミラディンに再録するつもりだった。何と言っても、≪トリスケリオン / Triskleion≫【自身の3つの+1/+1カウンターを1点ダメージに変換できる、0/0のアーティファクト・クリーチャー】と≪テトラバス≫【アップキープ開始時の誘発型能力で、自身の3つの+1/+1カウンターと1/1トークンを変換できる、1/1のアーティファクト・クリーチャー】は私の中ではずっと一対だった【≪トリスケリオン≫≪テトラバス≫ともにアンティキティ初出で、揃って第4版に再録されている。ミラディンには≪トリスケリオン≫だけが再録されている】。ところが≪テトラバス≫には、それが生み出すテトラバイト・トークンにはエンチャントできない等、いささか無粋な要素があまりにも多かったので、我々はこれを作り直すことにしたのだ【他の問題点は、2つの機能の誘発型能力が1つにまとめられていること、名前は4を意味するテトラなのにカウンターとトークンは3つで紛らわしいということ】。作品を改良するために、我々は5つの+1/+1カウンターを用いることにした。カード名も論理的に対応するものになった。

 ≪白金の天使 / Platinum Angel≫【勝利条件に手を加えるアーティファクト・クリーチャー。自分は敗北できず、対戦相手は勝利できなくなる】――私は称賛が相応しいところに対しては、やはり称賛を贈りたいと思う。このカードはデザインチームが作ったのではない。これを作ったのは、開発チームのブランドン・ボッジ、ランディ・ビューラー、エレイン・チェイス、ブライアン・シュナイダー、ヘンリー・スターン、そしてブライアン・ティンズマンだ。私はこれは素晴らしい仕上がりだと思うし、この見事な仕事ぶりに敬意を表したい。

●それらを作れば……【原文「If You Buid Them...」は、「If you buid them, they will come.」の前半部。元々は映画「フィールド・オブ・ドリームス」内の台詞「If you buid it, he will come.」らしい。「それを作れば、彼が訪れるだろう」】
 本日のコラムで、アーティファクト・クリーチャーの設計に対する理解が深まっていただけたなら幸いだ。ここまで見てきたように、これらを立案するのは、人が最初に思い浮かべるよりも少しばかり難しいことだ。
 来週もまた参加していただきたい。ミラディンの企画の背後にある内情に関して、骨の折れる旅路を続けていくつもりだ。
 その時まで、君のマイア軍団が対戦相手を蹂躙することを願いつつ。

――マーク・ローズウォーター

 櫻さんがとても綺麗なので、今度トリコロールのEDHデッキ組みます。

≪カラーパイの価値――色の定義の整備≫
原題:The Value of Pie ―― Maintaining the identity of colors
Mark Rosewater
2003年8月18日
http://archive.wizards.com/Magic/magazine/article.aspx?x=mtgcom/daily/mr85

 先週私は『忠実なる青』でカラーパイにおける青の役割に関して述べた。『緑でいるのは楽じゃない』、『白光満ちる大通り』から続いてるが、このような色の記事を書くたびに、私の元には数多くのプレイヤーから意見が寄せられる。中には次のような、本質に関わる反応もあった。「もうカラーパイは飽きた。研究デザイン部はカラーパイという小さな箱に何もかも詰め込もうという妄執に囚われているが、それがまさにゲームを台無しにしているのだ」
 さて今回は興味深い議題ではないだろうか。私はカラーパイがマジックのゲームの中心だと思っている。私の考えでは、カラーパイはマジックの動力の核心だ。「ゲームを台無しにする」と言われることもあるが、実際にはそこから程遠いものだ。私は今日のコラムで、なぜカラーパイがそれほどまで重要なのか、詳細に説明するのに専心しようと思う。願わくばこれが君たちの多くにとって、私の理解と同じ立場からカラーパイを見るのに役立たんことを。
 それでは始めよう。カラーパイの素晴らしいのは何たる所以か?

●理由1――カラーパイは制約を課す
 私がこれを第一に挙げたのは、次のような理由からだ。つまり、私が思うにカラーパイを誹謗中傷する者の多くは、カラーパイによって課された制約をその最も叩くべき点である、と見なしているのだ。何と言っても、制約のせいでプレイヤーは自分のやりたいことを思うがままにできない。これは悪いことだ、と。しかしそうだろうか? ゲーム設計者にとってはそうではない。周知のことだが我々の仕事は、君たちのライフを危うくすることだ。
 説明を続けさせていただきたい。良いゲームを設計するには、対象とする購買層が遊びたいと思うのはなぜか、これを理解する必要がある。そして次は、その目標に合致するようにゲームを設計しなければならない。マジックは戦略ゲームである。戦略ゲームの目的は、プレイヤー同士の知的刺激だ。では我々はどのようにそれを実現していくと言うのか? 我々はまず明確な目的を設定し、次いでそこに至るまでの過程に障害物を投げ込んでいる。興味ある人のために付け加えておくと、もしこの「プレイヤー」を「主人公」に置き換えれば、物語に対する作家の手法と同じと言える。
 さて、障害を乗り越えることが戦略ゲームの楽しみだ。――「あぁ神様、なんてことでしょう。私のライフは1まで減らされ、彼はクリーチャーを4体並べている、そして私の場には山が1つだけ……」「では、君の負けのようだね」「いいえ、私が勝つのよ。貴方はこれから何が起こるか、想像もつかないでしょうね」――このように制約は、短期では欲求不満を強めるが、長期では喜びにとって決定的なものだ。
「いやいや、ちょっと待てマロー」と君たちの多くは言っているだろう、「俺には対戦相手がいて、そいつが障害物なんだ。だからゲームそのものに邪魔物を入れる必要は感じられねぇな」と。私は君たちとは反対の立場から論じよう。戦略ゲーマーが欲するのは知的刺激だ。そのためにゲーム設計者は、問題解決を困難なものにしなければならない。そうでなければ充分な試練にならない。これを完遂するのに鍵となる要素は、課題を解決する際に利用可能な道具を制限しておくことだ。
 説明のために私の経験談を引き合いに出すが、ご容赦願いたい。大学二回生のとき、私は寮の学生自治体に参加していた。そういった役職の人間として、多数の「建築精神」な活動に関与していた。その活動の一つに、帰郷パレードに向けて各寮が用意した水上フロート【float:いかだ?】建設というものがあった。さて寮自治体はすっかりこの発案に乗り気でなかったので、企画に対して非常に少量の予算しか投じなかった。私の記憶が正しければ、数百ドルだ。他の寮は数千ドル以上も費やしていたのに、我々は数百ドルだったのだ。
 私は夜九時の会合に出席し、そこでチーム全員で六人だということを知った。フロートは来たる大イベントの日の前夜、夜通しで建設されるのだ。他のほとんどのフロートは五十人以上が携わっていた。フロートを作るために我々に与えられたのは、十二時間の時間と、八分の一ほどの人手と、そして十分の一ほどの予算だ。さて、我々は敗れただろうか? いや、我々は勝った。君たちにはどうしてそうなったのか、信じがたいことだろう。ともかく我々はその夜の内に、資材の不足を埋め合わせるような独特な発想を見出すことができた。その発明的な手法とは建設作業を見直すものであり、我々はむしろ印象的なフロートを組み立てたのだ。私にとっては楽しいものだった。
 翌年になって大学に戻ると、我々の寮は他の寮と合同でイベントに参加することになっていた。つまり我々は、今度はうなるほどの資金と人手を企画につぎ込んだのだ。我々はあらゆる資源に対して精通し利用可能な立場にあった。分かるだろう? 私は戦略ゲーマーだ。私はこういった状況は嫌いだった。ただあらゆる物が与えられている、そういった状況を私は望んでいない。私は勝利を受け取るに値するような試練を乗り越えたいのだ。
 これが、カラーパイが非常に重要であることの理由だ。ゲーム設計者として私は、プレイヤーが勝利へ向けて働きかけるように仕向けようと思っている。もし全ての色が全ての効果を使うことが可能ならば、ゲームがこれほど楽しいものには決してならなかっただろう。どの色にも弱点が設けられており、対戦相手はそこに付け入ることが可能だ。だがそれによって、君たちに創造的な解決策を見出す余地が残されていない、ということにはならない。事実、そういった解決策を探し出すことがマジックそのものだ。

●理由2――カラーパイはフレーバーを定義する
 研究デザイン部はフレーバーを嫌っている……そんな神話がまことしやかに囁かれている。思うにこの神話が生まれたのは、いくつかの私の記事が原因だろう。あるとき機能と雰囲気が競合したが、研究デザイン部は機能の方を味方した、というような話題を私は書いたからだ。このことから一部のプレイヤーは、研究デザイン部は機能をより重要視している、という結論に一足飛びに行き着いた。だが私の推測では、フレーバー嫌いは軽々とした足取りで乗り越えられるものだ。
 研究デザイン部はフレーバーを嫌ってはいない。実際、カラーパイは、研究デザイン部がフレーバーの価値をいかに強く認識しているか、その証拠だと私は考えている。先述したことだが、カラーパイがこのゲームの核心にあると私は確信している。そしてカラーパイは、雰囲気が機能に優越する事態の一例なのだ。雰囲気は実際のところ機能よりも僅かに厳密だ。カラーパイの中においては、雰囲気が機能を規定する。できることとできないこと、それは雰囲気が機能に対して命じるのだ。
 これはカラーパイの最も重要な役割の一つだ。つまり各色の哲学を明確にし、次にメカニクスをそれに沿って引き曲げることで、フレーバーをゲームへと拡張するのだ。マジックにおける色が個性豊かな理由の一つは、ゲームのあらゆる側面に色が行き渡っているからだ。
 【訳注:欄外の、追記的な記述である――】ちなみにカラーホイールは、各色のフレーバーや対立を説明する図表のことだが、カラーパイと同義に使われたり使われなかったりする。この二つは非常に紛らわしい。それも最もで、我々はウェブ上にこれらの差異に関して詳述した文章を公表したことがないのだ。【訳注:老婆心ながら訳者は、カラーパイは色の役割で、カラーホイールはカラーパイを円形に表現したもの、と理解している】

●理由3――カラーパイはゲームバランスを創る
 ゲーム設計者のまた別の目的は、そしてそれはゲーム開発者にとっても重要なものだが、それはゲームバランスを保つことだ。マジックのデッキ構成を定義する特色の一つとして、常勝無敗の戦略は存在しない、という要素がある。いかなるデッキの元型であっても、弱点を持っている。もし対戦相手が何を使っているかを知れば、そのプレイヤーは彼を打ち破ることができるはずだ。
 これをカラーパイに対して実現する手立ては何か? 実際のところ、かなりの道筋がある。先述したように、どのデッキにも勝ち目が見出されるようにするために、各デッキは弱点を持たなくてはならない。これがカラーパイの生じて来たる所以だ。カラーパイはその色のできることだけでなく、その色のできないことをも示す。こうして各色に組み込まれた弱点は、ゲームの根幹に位置する。例えばどの色にも、その色では対処方法が限られているようなカードタイプが存在する【黒にとってのアーティファクトやエンチャントであったり、緑にとってのクリーチャーであったり】、といったものだ――青はどんな呪文にも対抗できるので当てはまらないように見えるが、青はパーマネント一般を破壊する術は持っていない。
 また各色には、色の特徴が活かされないようなプレイングのやり方が存在する。例えば赤は、長期的にカードを得られるような色ではない。赤はゲーム序盤における強さを持っているが、終盤でガス切れに陥る傾向にある。ここでもまた、設計者と開発者は、ゲームの形を整えるための道具として弱点を利用する。いかなる色であっても見境なく環境を荒らし尽くすことはできない、というのも、ゲームそのものの中に安全装置が組み込まれているからだ。実際に、過去に研究デザイン部が大きな問題をやらかした時は、ある色にその本来の役割を越えて能力が与えられた時でもあったのだ【アカデミーというマナ加速を与えられた青のように】。研究デザイン部がカラーパイを軽視すると、我々は後で必ず痛い目に遭わされているのだ。

●理由4――カラーパイは個性を加える
 普段の私は【具体的な】話題について話しながら議論を進めていく。だがここでは趣向を変えて、私が意図するものを直接示す方が君たちにとって分かりやすいだろう。そこで尋ねるが、君たちはカラーパイの存在しない世界で暮らしたいだろうか? そういった世界では、全ての基本地形がどの色のマナでも生み出せる、という仮定の上でデッキを作ることになる。この一つだけを取っても、カラーパイのない世界がどんなものなのか、垣間見ていただけるだろう。しばし想像の中で、その世界のゲームを一通りプレイしていただきたい。その間私も待つとしよう。
 さて、もう終わっただろうか? ゲームはどんなだっただろうか? 最初の内は、普段できないような目新しいことをしているために、楽しいと感じたかもしれない。だがしばらく経つと、それは少し単調なものになっていっただろう。なぜか? まず、【カラーパイがないために】カードの多様性が減る。そして各デッキは、利用可能なカードの中から最も効果的なものを選んだだけ、というものになる。間もなくデッキの元型論は総崩れになっていく。白ウイニーもなければ、緑ストンピィもない、ただ単に速攻クリーチャーデッキが残るだけだ。やがて、デッキが一つのまとまりとしては結びつきの無いものに見えてくる、というのも、デッキ内のカードには共通の主題が存在しないからだ。君たちが最後に行き着くのは、ごく少数の種類の、非常に能率的ではあるが雰囲気の薄い、そういうデッキだ。すなわち君たちは、個性の存在理由において能率性を得たのだ。
 個性の根底、そこにカラーパイの最も重要な部分がある。そう、マジックを単色で作ることも可能だろうが、それだとゲームの幅は狭まってしまうだろう。五色を有していることは、各色がそれぞれ個性を持っていることを意味する。そうであるからには、カードがどのような見た目と響きを持っているか、カードがゲーム上でどのように作用するか、これら両方の点で各色は明白に異なったものでなければならないのだ。
 私があまりにも頻繁に思い知らされることだが、世間一般では各色のできることを狭めるための手段としてカラーパイを捉えられているようだ。私はカラーパイを、各色の表象を浮き彫りにするための手段として理解している。カラーパイは色の価値を減じるのではなく、むしろ加えるのだ。黒が緑からかけ離れているほど、その良さは増すのだ。どの色も互いに他色の微細な影絵にしか過ぎない、私はそういった色にしたいと思わない。むしろ、各色が自分の表象に関して深刻なほどに独特で個性的であってほしい。以上が、カラーパイがゲームに付け加えるものだ。

●バイバイ、アメリカン・パイ【ドン・マクリーンの歌「American Pie」に「bye-bye, miss american pie」というフレーズがある】
 私がカラーパイに対して非常に熱心に考えているのだと、分かっていただけただろう。マジックの成功は、それ自身の独自性の中に帰せられると私は思っている。本日の私のコラムが君たちに次のような見解、つまり研究デザイン部がカラーパイに行なった貢献に対してのより好意的な見解、を与えられたなら幸いだ。ご存知の通り、一瞥しただけでは見えないものが、カラーパイにはあるのだ。
 来週もご覧いただきたい。何人かの個性溢れる人物を紹介するつもりだ。
 その時まで君たちが、他人とは違うことの重要性を理解していることを願いつつ。

――マーク・ローズウォーター

 ここに訳出した記事、『True Blue』は、既にタイ屋さんによって翻訳されています。http://web.archive.org/web/20070630051352/members.at.infoseek.co.jp/braingeyser/04/0412.html
 原文、タイ屋さんの翻訳、ともに発表から長い年月が経っていますし、またカラーパイに関する文献も増えましたので、新たに訳出するのも了承していただけるだろうと期待する次第です。

≪忠実なる青――頭でっかちのモヤシ人間≫
原題:True Blue ―― All brains, no brawn
Mark Rosewater
2003年8月11日
http://archive.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtgcom/daily/mr84
【形容詞として「true blue」は「忠実」を意味する】

 青の週間へようこそ! これはマジックの五つの色に専心する一連のテーマ週間の三番目のものだ。我々は既に、緑と白に関しての週間は設けた。各週を通じて私はコラムで、これまでの『緑でいるのは楽じゃない』と『白光満ちる大通り』のことだが、その週の色のフレーバーと哲学を説明してきた。今回私は青魔法の世界を考察していこう。

●パイの取り分は常にあるものだ
 カラーホイール上での作業を通じて、我々はマジックの五つの色それぞれに関して以下の問いを設定した。

・その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
・その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
・その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
・その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
・その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
・その色の最高の長所と最大の欠点は何か?

●その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
 各色の哲学は、その色の世界の見方に由来する。青が注視し見出すのは、機会だ。青にとって世界は資源の集まりであり、個人はそれを用いることで、自分が望むあらゆるものに変容することができる。各人は無地の粘板岩として生まれる。人生の目的とは、自分が何になりたいか、そしてそこに到達するためにはどうするか、それらを学ぶことだ。
 これを完遂するために、青の魔道士は世界で最も重要な資源に価値を見出すようになる。すなわち情報という資源に、だ。世界における自分の居場所を見つけ出すために、魔法使いは可能な限り多くの知識を集めなければならない。情報という手段を自在に使いこなすことができれば、彼はありとあらゆる問題に対する回答を探し当てることだろう。こういった事情から、青の究極の目標は全知だということになる。青が望むのはあらゆる物事を知ることだ。なぜなら全てを知る者は弱点を持たないのだから。
 こういった知識への渇望はメカニクスとしては、ドローカードやライブラリー操作といった青の能力において見出されるだろう。束縛を被った際には、青は新たな回答を見つけ出そうとする。他のどの魔道士と比べても、青こそが、魔術の決闘が情報戦だということを深く理解している。最も多く呪文を知る魔法使いは、大いに戦術上の優位を築くことができる。

●その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
 知識を得るという目的のために、青は知性の重要性を尊重するようになった。青は対戦相手の一枚上手を読み切ることで戦闘に勝利する。魔術の決闘においてこれが意味するのは、魔法がどのように作用するかを理解するということだ。そしてこれが所以で、青は《対抗呪文 / Counterspell》【青のインスタント。呪文一つを打ち消す】や《送還 / Unsummon》【青のインスタント。クリーチャー一体を手札に戻す】を会得しているのだ。青は魔法の技術に熟練しているので、刹那の瞬間に呪文を停止させたり反射させたりすることさえも可能だ。これがまた理由となって、青は《臨機応変 / Sleight of Mind》【青のインスタント。呪文やパーマネントの文章に書かれた色を別のものに置換する】や《魔法改竄 / Magical Hack》【青のインスタント。呪文やパーマネントの文章に書かれた基本土地タイプを別のものに置換する】といったような、呪文がどう作用するかを実際に書き換えてしまう呪文を有しているのだ。
 また、青は知性を用いて対戦相手を欺く。混乱に乗じて勝ちをかっさらうことに対して、青は良心の咎めを全く感じない。青は《Illusions of Grandeur》【威厳の幻覚。青のエンチャント。戦場に出たとき20点ライフを得て、戦場から離れたとき20点ライフを失う。累加アップキープを持つ】のような幻覚や、《方向転換 / Divert》【青のインスタント。呪文の対象を変更させる】のような対戦相手の有する魔法を想定外な挙動で機能させる呪文、これらを利用する。同様に青は《説得 / Persuasion》【青のオーラ。そのクリーチャーをコントロールする】のような窃盗と《不可視 / Invisibility》【青のオーラ。壁以外にはブロックされなくなる】のような変装を効果的に利用する。青は自分が肉弾戦では勝ち目がないと力量を弁えているので、自分の能力を使って決闘を青のフレーバーへと傾けるのである。青は最も公正な色というわけではなく、また規則が許すならば、躊躇することなくその体系を食いつぶすのだ。
 加えて青は次のことを積極的に擁護し肯定している。つまり自分の必需品を創り出すために、最初から組み立てるか、あるいは元々の設計に変更を加えるか、【そのどちらでもありうる】ということだ。したがって青は最も頻繁にテクノロジーを使う色であり、《修繕 / Tinker》【青のソーサリー。ライブラリーから直接アーティファクトを出せる。あらゆる構築環境を席巻した凶悪な呪文】のようにアーティファクトと最も強い相乗効果を持っているということだ。

●その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
 青の一部分は学生であり、また別の一部分は科学者だ。青が現在進行形で行なっている探求は、可能な限り多くの知識を集積させること、そしてその知識を応用する手立てを見つけ出すことだ。絶え間なく自身を改良することで自分の潜在能力を最大限に発揮させる、青はそのように望んでいる。これはつまり、青が表象するのは情報を集めて利用するという性質だ、ということを意味している。
 知識。創造性。巧みさ。人造。知性。計略。狡猾。受動性。精神、思考。操作。幻覚。冷淡さ。碩学。制御。建築。四元素の水と風。

●その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
 青は自身の知性によって生きている。したがってそのように生きることができない者や、もっと悪ければ、物事を熟考する時間を取ろうとさえしない者、青はこういった者たちに対して虫唾が走る思いを抱く。青は緩やかで、規律正しい、受動的な色だ。今後の行動を考え抜くために充分見合った時間を設けることなく実行に移ってしまうような存在は、青のまさに核心を揺るがしている。
 青がそのような生意気な行為に偶然にも居合わせたならば、良き親ならば誰もがするようなことを行なうだろう。すなわち彼らの企みとは、厄介事を引き起こすクリーチャーに対して、彼らの制御下に置かれたことを大々的に主張することで、そうすべきだと彼らが考えるような振る舞いをさせようとする、というものだ。

●その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
 白に対して青は、思考と計画の重要性を理解する色だと評価を与える。白は自制心を持っているため、一歩退いて距離を取ったり、自分の行動の成り行きを熟慮したりできる。
 黒に対して青は、真実が時に見せる醜さから手を引いたりしない色だと評価を与える。黒は無知や自己欺瞞を装って自らを曖昧にしたりはしない。黒は弁解をしない、むしろ解答を探し求める。
 緑に対して青は、過去に規定された色だと評価を与える。緑は古来からの慣習に従っているので、新奇であったり革新的であったりするようなものなら何でも遠ざけようとする。加えて緑は、非合理的な本能を取るために、合理的な知性を拒絶している。緑とは時代遅れの哲学であり、変化という不可欠な進歩を停滞させるものにしか過ぎない。もし青が自分の大義を押し進めるつもりならば、緑は除去されなければならない。
 赤に対して青は、知性に向かって公然と唾棄する色だと評価を与える。赤は多元宇宙で最も混沌とした力【force】である感情に導かれている。赤は説得を受け付けないし、その破壊的な天性は目を光らせて、青が建立しようと願うものを片っ端から壊そうとしている。もし赤が野放しにされたままならば、それは青にとっては将来の頭痛の種にしかならないだろう。したがって赤は狂気に駆られる前に消去される必要がある。

●その色の最高の長所と最大の欠点は何か?
 青の最高の長所は対戦相手の上手を行く思考力だ。無限の情報を取り扱う青は、回答をすべて手中に収めている。問題なのはこのやり方は非常に遅いということ、そして青は行動を起こすべき時においても受動的である傾向にあるということ、だ。青が状況を見極める前に、素早い対戦相手はしばしば青を打ち負かすことが可能だ。

●青い曲者たち【Blue Meanies:ザ・ビートルズのアニメ映画「イエロー・サブマリン」に登場する音楽嫌いの青鬼たち】
 各色の哲学について、研究デザイン部が色のフレーバーに肉付けする際に活用した登場人物、私はその登場人物の実例をいくつか挙げてきた。我々は部屋の壁に巨大なカラーホイールを設け、絵や写真を任意の色にピンで留めるという作業を行なっていた。私の色の哲学のコラムにおいてはこの項目が最も物議を醸すものだと、これまでで明らかにされてきたので、天の主は私がここで筆を置くことを決してお許しにならないだろう。以下に挙げるのは我々が青の登場人物だとみなしたものだ。
 マーリン【Merlin:伝説上の魔法使い。奥義を伝授した愛弟子に裏切られ、幽閉された】――塔に閉じ込められた孤高で聡明な魔法使い、彼はその典型の起源となった者だ。彼こそ青の権化だと言えよう。
 スポック【Spock:「スタートレック」シリーズの登場人物。艦隊の技術主任】――鉄化面で、論理的で、「新たな世界と文明を探し求める」という任務に没頭する、そんなスポックが「スタートレック」の全登場人物の中で最も青だ。
 ウィローとジャイルズ【ともに「バフィー」の登場人物。Willowはコンピュータが得意で、Gilesは図書館司書】――特に私が言及したいのは初期のウィローとジャイルズについてだ。闇堕ちしたウィローはいささか黒いと認めなければならないからだ。サニーデールの町で事件が発生したとき、この二人は本を広げて「大いなる災厄【the big bad】」の倒し方を調べ上げたのだった。勝利とは、彼らが証明したように、知識によってもたらされるのだ。
 ミスター・ファンタスティック【Mr.Fantastic:本名リード・リチャーズ。マーベル・コミック社の「ファンタスティック・フォー(The Fantasitic Four)」というアメコミの登場人物。自身の体を自在に変形できる】――「ファンタスティック・フォー」のチームを牽引する彼は、心の奥底からして科学者だ。知っての通り彼は、暴虐な覆面の狂人や惑星食らいの天体生物と戦うのだが、しかし心の中では、むしろ宇宙の真理をただひたすら探究したいと考えているようだ。リード・リチャーズは、マーベル社作品のどの登場人物よりも、知識の渇望によって強く導かれている。
 リサ・シンプソン【Lisa Simpson:「ザ・シンプトンズ」の登場人物】――リサは自分自身を知性によって定義する。彼女にとっては非常に重要なことは、彼女が他の誰よりも物知りだという事実だ。そして、各色の記事でシンプトン一家から一人ずつ表象させること、これがまた重要なのだ。

●何か一つ青い物【Something Blue:バフィーの映画版のサブタイトル。一般的には、結婚式で花嫁が身につけると幸せになれる四つの道具の一つ。ちなみに残りの三つは古い物、借りた物、新しい物】
 これで我々は色の哲学の折り返し地点に到達したことになる。今後数ヶ月の内に残りの二色を、黒と赤を探求すると約束しておこう。
 来週も参加していただければ、もう少しパイを並べるつもりだ。
 その時まで君たちの問題が、行動を起こす前に考えることで解決されるのを願いつつ。

――マーク・ローズウォーター

 ここに訳出した記事、『The Great White Way』は、NPCさんによって既に翻訳されています。http://web.archive.org/web/20071006005244/http://members.at.infoseek.co.jp/braingeyser/03/0206a.html
 原文、NPCさんの翻訳、ともに発表から長い年月が経っていますし、またカラーパイに関する文献も増えましたので、ここに新たに訳出するのもきっと了承していただけるだろう、と期待している次第です。

≪白光満ちる大通り――白は「善良な」色か?≫
原題:The Great White Way ―― Is white the "good" color?
Mark Rosewater
2003年2月3日
http://archive.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtgcom/daily/mr57
【ニューヨーク市マンハッタン地区は舞台街、ブロードウェイの愛称の一つに「The Great White Way」がある】

 白の週間へようこそ! 数ヶ月前に我々は緑の週間を設けた。その時私のした約束は、同等の形式の五つの「色の」週間、これはその最初のものになるだろう、というものだった。今週はそのシリーズの第二週であり、白の週間だということだ。前回行なったのと同様に、このコラムでも色のフレーバーと哲学に関する疑問に焦点を当てていくつもりだ。
 緑のコラムで明言したことだが、マジックというゲームの中心はカラーホイールに支点を置いていると私は考えている。このリチャード・ガーフィールドによる独創的な革新は、ゲームのメカニクスとフレーバーを結びつける箇所と言える。そう、機能と雰囲気は共存可能なのだ。ちょうど我々にはルールを研究するルール・グルがいたため、私はフレーバー・グルの一員として膨大な時間をかけ各色のフレーバーを詳らかにしてくることができた。今日のコラムを通じて、白色の複雑さと豊かさを幾ばくかでも詳論できればと思う。

●どなたかパイが欲しい人は?
 カラーホイール上での作業を通じて、我々はマジックの五つの色それぞれに関して以下の問いを設定した。

・その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
・その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
・その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
・その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
・その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
・その色の最高の長所と最大の欠点は何か?

●その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
 各色の哲学はそれ自身が欲するものに強く固定されている。各色は努めて世界を、自身が信じるようなあるべき姿へ変えようとする。それでは、白が最も価値を見出すものは何か? 調和である。白は世界が皆にとって円満に過ごせる場であってほしいと思っている。白は共同体に喜びを感じる。白は全体にとって最良のものを欲する。白は全員を注意深く見渡す。白が最上の幸せを感じるのは、誰もが自分の役割を分担しつつ他人と協調しているような、完璧で理想的な世界においてである。白の究極の目的は、平和だ。
 少し脇道に逸れるが、白と「善」の概念に関して述べておこう。善と悪は人々が用いるレッテルであり、その人の価値観を推奨するか非難するかを表わすためのものだ。ある物事がその人の信仰の土台となる価値観を後押しするならば、それは【その人にとっては】善である。逆にある物事がその人の信仰の土台となる価値観を脅かすならば、それは【その人にとっては】悪である。マジックにおける各色は、自身が探究する物事に対して確然的信仰を抱いている。したがってどの色も自分自身を善と見なし、また対立する敵を悪と見なすのだ。
 多くの人間は全世界共通の信念をいくつか共有している。例えば、人の命を奪うことは間違っている、といったようなものだ。白の教義の中には、このようなある種の普遍的な人間の理念を伴って列挙されるものがある。このことから白は「善」の色であると時として見なされがちだ。だが、白は本質からして善と悪のどちらでもない。マジックの他の色と同様に、白は「善」とも「悪」とも分類されうる物事を当然行なうし、またそれに対する意見が人々の間で一致しないこともありうるだろう。生命の維持はまさに白だ。君たちのほとんどが、おそらくこれを「善」として分類するはずだ。国家全体主義もまた、白そのものだ。君たちのほとんどがおそらく、こちらは「悪」として分類するはずだ。
 私がこれに言及したのは、白黒の対立を善悪の対比から区別することに重要性を見出すからだ。道徳と超道徳、光と闇、清純と堕落。白黒の対立は多くの様相を呈するものだが、「善と悪の対比」はあまりにも主観的に過ぎ、適切に用いることができない。試しに白黒の対立項目の一つである、集団の利益と個人の利益を取り上げてみよう。この対立は【東側諸国による】社会主義と【西側諸国による】資本主義の対比に当て嵌まる。資本主義は黒側の主張だ。資本主義は本質からして悪だろうか? 私はそうは考えない、もっとも私に反対する人もいることは分かっているつもりだが。黒に関してはその「善」の一面も含めて、黒の週間を迎え入れた際に改めて話そうと思う。

●その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
 白は自分自身の救済だけでなく、世界全体の救済にも関心を寄せている。これは気の折れそうな使命だ。如何にして平和を創り、なおかつそれを維持すると言うのか? その回答は、構造を通じて、である。厳格な規則と戒律を設けることで、白は確実に物事を制御下に収めることができる。白はこれらの法を、二つの別個の領域に拡張する。
 第一は道徳的な法だ。白は道徳が確然して存在していると考えている。正当なものがあれば、誤ったものもある。個人は道徳的に正当なことをするように義務付けられている。だが白はそれで終わらない。個人は道徳的に誤ったことを止めさせるようにも義務付けられている。白のこの領域における熱意は、宗教を駆使するまでに至った。
 第二の白の「手段」は公民的な法だ。規則を制定すれば、より重要な集団の善に対して個人が不満を抱かないよう予め手配することができる。白の信念では、社会の利益は各々の個人の権利よりも優先されるべきものだ。白の創る法は、集団が保護されることを保証するのに一役買っている。白のこの領域における熱意は、政治と司法の制度を駆使するまでに至った。
 こういった規則を制定し遵守しようという願望が、白のメカニクスの多くを定義している。白の防御的な天性は、色の至る所に見受けられる。《ジェラードの知恵 / Gerrad’s Wisdom》【白のソーサリー。手札の数の二倍のライフを得る】のようなライフ獲得、《練達の癒し手 / Master Healer》【白のクリーチャー。タップでダメージを4点軽減できる】のような治癒、《無視 / No Pay Heed》【白のインスタント。ターン中の発生源一つのダメージを軽減】のようなダメージ軽減、《懲罰 / Chastise》【白のインスタント。攻撃クリーチャーへの単体除去】のようなアタッカーへの除去、《護法スリヴァー / Ward Sliver》【白のクリーチャー。すべてのスリヴァーに選ばれた色のプロテクションを与える】のようなプロテクション、《崇拝 / Worship》【白のエンチャント。クリーチャーをコントロールしている限り、ダメージによってはライフが1点未満に減らなくなる】のような防御エンチャント、《啓蒙 / Demystify》【白のインスタント。1マナのエンチャント単体除去】のようなエンチャント除去、などだ。昨年は白い組織である研究デザイン部が、白の中核のフレーバーに密接に結び付いたメカニクスを発見することで、白におけるカラーパイの拡張を実現してきた。最も実り豊かな領域は、この色の「規則を作る」部分だということが判明した。こうして我々は税制と規則制定の両方のエンチャントを白へと移動させた。前者は≪プロパガンダ / Propaganda≫【青のエンチャント。対戦相手のクリーチャーが自分を攻撃する際に2マナの支払いを要求する】のような、対戦相手が代償を支払うまで妨害し続けるタイプの呪文であり、後者は≪水位の上昇 / Rising Waters≫【青のエンチャント。各プレイヤーは土地を2枚までしか起こせなくなる】のような、ルールを変更することでプレイヤーの行動の幅を制限する全体エンチャントである。この移行はオンスロートから慎重に開始されたが、今後のセットではさらに強化されていくだろう。
 白のもう一つの防御的な部分は、平等を頼りにしている点だ。白は盤面を仕切り直す能力を有しており、そのため双方に等しい条件を突きつけることが可能なのだ。これが根拠となって、≪神の怒り / Wrath of God≫【白のソーサリー。全クリーチャー破壊】や≪ハルマゲドン / Armageddon≫【白のソーサリー。全土地破壊】のような呪文が白のフレーバーに宛がわれている。加えて、白には攻撃的な側面がある。白は規則を破った者を率先して処罰する。白はその組織的な技能を用いて軍隊を作り上げることができる。その個々の手駒は小さなもので、このあたりの事情から小型クリーチャーを頼っているのだが、全体としては互いに一致団結した部隊を形成している。白のクリーチャーの能力の多くは、例えば先制攻撃、≪弩弓歩兵 / Crossbow Infantry≫【白のクリーチャー。タップで戦闘クリーチャーに1点ダメージを飛ばせる】のような「レンジストライク」、ダメージ軽減、≪天使の従者 / Angelic Page≫【白のクリーチャー。タップで戦闘クリーチャーに+1/+1修正を与える】のようなクリーチャー強化、これらの能力を活用することで、クリーチャーは協同してより効率的に動けるようになる。さらに付け加えると、白は≪栄光の頌歌 / Glorious Anthem≫【白のエンチャント。自軍全体に+1/+1修正】のような、小型クリーチャーの一団を強化するには最良の呪文を擁している。
 白は環境を制圧することでゲームに勝利する。つまりまず防御の構えを取り、その後に敵の脅威を止めるための対処法となる手段を使う、というわけだ。ひとたびそれらの脅威が抑え込まれれば、白の軍団は勝利を収めることができる。時として白はその積極的な攻撃を、先制防御の機動作戦に用いることもあるだろう。この戦略は「白ウイニー」として広く知られている。

●その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
 自然の緑と人為の青とに挟まれているため、白はまさに均衡であると言えよう。白は過去に価値を見出す重要性を理解しているだけでなく、未来に向けて計画を練る重要性をも知っている。他のどの色よりも頻繁に、白は象徴を活用する。加えて白は文明の色である。このことから白が表象する物事の一覧は、他の色よりもいささか長いものとなった。
 秩序。清純。宗教。文明。構造。法。名誉。構築。道徳。政治。勇気。楽観。防御。戦略。騎士道。忠誠心。協調。軍隊。自己犠牲。誠実。光。組織。共同体。医学。

●その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
 白は自らの法に則っている。したがってこれを遵守しない者を見過ごすことは決してない。白はそのような不服従を非常に厳罰に検討する。白が言わんとする意図は「法を破った暁には償っていただく」というものだ。
 これが白の積極的な側面の生じるところだ。白の考えでは、悪党だと見なせる者を阻止するに足る道徳的あるいは市民的な権利を自分は持っている。白はこの手の攻撃は先手として打たれた防御であると考える。もし白が悪党を排除できなければ、彼らは後になって白の生活のあり方を壊しに舞い戻ってくるだろう。

●その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
 緑には、白は共同体の重要性を理解する友好色の姿を見出す。すなわち全体の利益は個人の利益よりも重要であると考える。また青とは違って白は、文明を自然に混ぜ合わせた農業生活を営むことが可能だと言えよう。
 青には、白は自制の重要性を理解する友好色の姿を見出す。白と青は両方とも計画と修養に価値を置いている。青は規則の必要性を認識しているし、また長期的に物事を考えるための忍耐強さも備えている。
 赤には、白は公民的な法に敬意を払わない対抗色の姿を見出す。赤は自分の欲する物事を行なうが、そういうときはどの場合も、赤が混沌を作り出したいと思うときだ。これは白が心から欲して止まない秩序に真っ向から反抗する。もし赤が我が道を貫けば、無政府状態が地上に行き渡ることになるだろう。白が自身の平和を持とうとするなら、赤は破壊されなければならない。
 黒には、白は道徳的な法に敬意を払わない対抗色の姿を見出す。黒は自分勝手にも、個人の必需品を集団の必需品より優先させる。そして、このように各人が他の何よりも一身上の必要に重きを置こうとすること、それよりも危険なものは他にないだろう。黒は危険な悪性腫瘍であり、破壊されないければならない。

●その色の最高の長所と最大の欠点は何か?
 白の最高の長所は、法を作りそれを強いることができるという能力だ。もし白が自分の規則を君に宛がうことに成功すれば、対戦相手は取り入る隙を見逃すだろう。この構造の欠点は、非弾力性にある。白は迅速に改良して周囲に適応するという能力を備えていない、というのも、白はまさに自分のやり方を広めようとしているからだ。加えて、白はあまりにも集団に焦点を当てているため、しばしば個人の視点を見失いがちだ。

●白い騎士団【White Knights:アメリカの映画。邦題「ホワイトナイツ/白夜」】
 研究デザイン部がカラーホイールに関して討論する際に、我々は雑誌から絵を切り抜いてそれらを壁に設けられた巨大なカラーホイールに貼り付け、各色についてどのように見ているかを互いに説明しあった。この項目が最も物議を醸すと緑の週ではっきり示されたので、当然、私は今回もこれを書かざるを得なかった。以下に挙げるのは我々が白の登場人物だと見なしたものだ。
 スーパーマン【Superman:DCコミック社の漫画のヒーロー】――漫画研究会では「ボーイスカウト」として知られる彼は、常に、常に規則に従って行動している。彼は非常に強い道徳的な性根を携えている。加えて、自分の主な役割の一つが他者を守ることだと彼は感じている。これらの行動は全て、非常に白いと言える。
 アーサー王【King Arthur:6世紀頃のイギリスに実在した君主。後世の創作に脚色されて(?)よく出てくる】――アーサーの主要な行動計画は、臣民を助け保護するだった。彼もまた強靭な道徳的慣例を持っており、それが彼の行動の指針となっていた。そして彼は構造を最大限に利用することで、こういった保護を打ち立て維持した。
 マージ・シンプソン【Marge Simpron:アメリカのアニメ「ザ・シンプソンズ(The Simpsons)」の登場人物。シンプソン一家の母親】――我々の行なった中で楽しかったことの一つは、シンプソン一家の面々をどこに配置するか決めようとした、というものだ。議論を数回重ねた末、マージは最終的に白に置くということでまとまった。彼女は一家の道徳の中心だ。彼女とリサ【一家の長女】だけが良心に従っているように思われる。彼女は自分よりも良心を重要視し、家族に構造を提供しているのだ。そして彼女は自己犠牲になるほどまでに保護的でもある。
 艦長ジャン=リュック・ピカード【Captain Jean-Luc Picard:ドラマ「スタートレック」シリーズの登場人物。艦を指揮する大佐】――惑星連邦は非常に白い組織だ。連邦は道徳的核心を有しているし、自身の規則を崇敬して止まない。ピカードは連邦へ奉じる優秀な兵士だ。彼もまた強い道徳的羅針盤を持ち、その眼前に開かれた規則によって部下を指揮している。ピカードは構造を持っている。そうであるからこそ彼の娯楽は、他の文明の構造を研究するという考古学なのだ。
「ウォッチメン」のヴィラン【DCコミック社の漫画「Watchmen」に登場する悪役を一括してヴィランと呼ぶ】――ネタバレ注意――もし「ウォッチメン」を読んでいないなら、この段落を読むのは止めるべきだ、そしてその替わりに、グラフィックノベルのコピーを買いに出かけるべきだ。「ウォッチメン」は漫画作品としては最高傑作だ――私見だが、考えを変えるつもりはない。これは非常に良い作品だ。よろしい、では、今ここを読み進めている君たちは皆、「ウォッチメン」を読了したということで、相違ない、と。未読の者にとってはここが最後の機会だ、つまり、ネタバレで全てを台無しにされるのを防ぐための。さて――オジマンディアスこそが、白のヴィランの典型的な一例だと言える。彼の動機は非常に純粋なものだ。自分の行動が世界を全体としては救うことになるはずだ、と彼は信じていた。そして彼は少なくとも、全体のより大きな利益のためならば、いくらかは犠牲にせざるを得ないと考えていた。これが証明しているのは、白の登場人物が必ずしも善人であるとは限らない、ということだ。思い出していただきたい、私はマジックのカラーホイールについて話をしているのだが、【だからマジックに関連付けて話を戻すと、】白のヴィランが黒のヴィランと区別される分水嶺は、次の事情にある。つまり、黒のヴィランは自分が【社会通念に反するという意味で】邪悪なことをしているという自覚を持っているのに対して、白のヴィランは自分が【社会全体にとって正しいはずだという意味で】善良なことをしていると信じている、という事情だ。

●白い影【原文では「A Paler Shade of White」。イギリスのロックバンド、プロコム・ハルムのデビュー曲「A Whiter Shade of Pale(邦題:青い影)」をもじったものと思われる】
 さて、以上で白の週は終わりだ。今後の「色の週間」で私は青、黒、赤を探求していくつもりだ。
 私は先週課せられた仕事をこなさなければならないが、それが済んだ頃に、また来週お会いできれば幸いだ。
 その時まで、自分の規則を対戦相手に押し付ける悦びを噛みしめているのを願いつつ。

――マーク・ローズウォーター

 ここに訳出した記事、『It’s Not Easy Being Green』は、タイ屋さんによって既に翻訳されています。http://web.archive.org/web/20090207140740/http://members.at.infoseek.co.jp/braingeyser/02/1112.html
 原文、翻訳ともに発表されてから長い年月が経っており、またカラーパイに関する文献も多くなったので、ここに新たに訳出するのも了承していただけるだろう、と期待して呈する限りです。

≪緑でいるのは楽じゃない――最も誤解された色≫
原題:It’s Not Easy Being Green ―― The most misunderstood color
Mark Rosewater
2002年10月21日
http://archive.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtgcom/daily/mr43
【ドラマ「セサミストリート」の挿入歌に「It’s not easy being green」というフレーズが出てくる】

 緑の週間へようこそ! この週で我々は、自然と成長の色を探求していくつもりだ。これは、兎にも角にも、マジックの色に専心する五回のテーマ週間の最初のものだ。今後の色の週間は今年の終わりから来年の初めにかけてお披露目する予定だ。
 過去のコラムで言及してきたように、リチャード・ガーフィールドがマジックというゲームを作った際の最も革新的な創造物、その一つはカラーホイールである、そう私は考えている。カラーホイールはゲームのフレーバーとメカニクスのそれぞれ全ての面を結び合わせるものだ。私にとってこれこそがマジックの核心だ。このような経緯で、どのようにカラーホイールが動作するかを理解するために、私は膨大な時間を費やしてきた。
 何ヶ月も前に私は『嫌悪は十二分:Hate Is Enough』という、なぜ色が互いに嫌悪するのかを説明する記事を書いた。これはカラーホイールの徹底的な洞察を紹介するものとしては私の最初の企画だった。今日もそういった紹介を、ある特定の色のフレーバーと哲学に焦点を絞ることによって続けていこうと思う。今日が緑の週間ということになっているのも、緑から始めるのが最良だと私は考えたからだ。

●ホイールは回り続ける
 二年ほど前、研究デザイン部はカラーホイールの研究のために、情報資源をまとめて整理することにした。我々は関係者全員を招集し、色とそれらの結びつきについて系統立てた研究を始めた。最初に我々が行なったのは五色それぞれを定義することだった。我々は以下のような問いを設定した。

・その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
・その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
・その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
・その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
・その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
・その色の最高の長所と最大の欠点は何か?

 この作業を補助するために、我々は研究デザイン部の壁の一つにカラーホイールを作り上げた。誰に対しても次のことが許可されていた、つまり、絵を切り取り、そのほとんどが個性【を表わす文字】だったが、それをホイールの中で属するに相応しいと感じる色へ貼り付けてみる、というものだ。十分な人数から異見が唱えられた際には、その絵は別の場所へ移された。この実習は非常に興味深く、いくつかの実例を後述するつもりだ。我々は色の定義の更なる改良を進め、総意を形成し始めた。そして我々は緑に関して重要なことを学んだ。それは、緑が理解するのに最も困難な色であるということだ。誰もが白や黒に関しては同一の平面に立っているように思えたが、緑については誰もが僅かに相異なる意見を持っていた。これが意味したのは、我々が緑を理解する際に一層多くの時間を費やしたという事情だが、ともあれ私は今日ここで我々の出した結論を君たちと共有しようと思う。

●その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
 各色の世界観はその色が最も価値を置くものから非常に重大な影響を受けている。緑が最も価値を置くものとは何か? 自然である。緑のものの観方によれば、世界はそれ自身を正しいものにしてきている。どんな躍動力【force】も、自然に勝って力強く、温和で、優雅なものはない。緑の最終目標は、ただ自然の筋書きを進展するがままにしておくことだ。緑は心の奥底から、心地好く腰を下ろし周りで生命が拡がっていくのを眺める、そのことだけを望んでいる。従って緑の究極の目標は成長ということになる。おそらく緑が最上の幸せを感じるは、自然が誰の干渉も受けずに拡大しているような世の中においてだろう。
 成長という主題は緑の至る所に悠々と力強く行き渡っている。緑は≪巨大化 / Giant Growth≫【インスタント。クリーチャー1体にターン終了時まで+3/+3修正】や≪踏み荒らし / Overrun≫【ソーサリー。自軍全体にターン終了時まで+3/+3修正とトランプル付与】といった呪文のように、一時的にクリーチャーを大きくする能力を持っている。長期でも緑は、≪激励の加護 / Invigorating Boon≫【エンチャント。サイクリングのたびにクリーチャー1体の上に+1/+1カウンターを乗せる】や≪捕食者の飢え / Predatory Hunger≫【オーラ。対戦相手が呪文を唱えるたびに+1/+1カウンターが乗る】のように、永続的にクリーチャーを大きくする呪文を数多く有している。加えて緑の成長は、≪カマールの召喚術 / Kamahl’s Summons≫【ソーサリー。手札から公開したクリーチャーカードの数だけ熊・トークンを出す】や≪ケンタウルスの地 / Centaur Glade≫【エンチャント。4マナ支払うごとにケンタウルス・トークンを出せる】などのトークン生成器にも見受けられる。また緑は≪マロー / Maro≫【パワーとタフネスが自分の手札の枚数に等しいクリーチャー】や≪土を食うもの / Terravore≫【パワーとタフネスが全墓地の土地の合計枚数に等しいクリーチャー】のような、時間が経つと勝手に成長するクリーチャーも多く有している。緑の成長は、プレイヤーが≪不屈の自然 / Rampant Growth≫【ソーサリー。ライブラリーから基本土地1枚を戦場に出す】や≪繁茂 / Wild Growth≫【オーラ。土地から追加の緑マナを得られる】などの呪文によって活用できる、土地やマナの量を加速させる能力の中にも見出すことができる。「成長 / growth」という用語が何度も出てきたことに気付いていただけただろうか? ゲームのメカニクスの面においては、緑は継続してより多くの資源を、つまりより多くの脅威を生産し、そのことによって対戦相手を屈服させるのだ。

●その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
 緑にとっては不幸なことだが、全員がこの価値観を共有しているわけではない。そこで緑は、自然のあり方を守ることを自らの使命とするのだ。緑はこれを成し遂げるために自然の畏敬に満ちた力を、つまり原初の魔力とクリーチャーの群れの両方を獲得する。緑は自然の擁護者としての役割を高く評価する。従って緑が大きく信頼を寄せるものの中には、本能【あるいは直観】と、自然に見出される共生と、この二つが含まれている。これらのため、緑を予測することは困難になり、一方で緑は対戦相手を数の面で圧倒することが可能になる、というわけだ。
 この原理こそ、緑が「クリーチャーの色」であることの所以だ。これはゲームの多くの点に反映されている。第一に、緑は他のどの色よりも多くのクリーチャーを有している。オンスロートのコモンを見れば了解していただけるだろう。緑は実に16体のクリーチャーを有している。白は13体、黒は12体、青は11体、そして赤は10体だ。加えて、緑は特にコモンにおいて、比較的大きなクリーチャーを有している。そして最も重要なのは、マナの観点から見て最も効率の良いクリーチャーを緑が持っている、ということだ。一般的に、注ぎ込んだマナ以上のものを緑のクリーチャーから得ることができる。

●その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
 緑は理想のために戦うのではなく、むしろ生命のあり方のために戦う。ここから緑が最も精神的な色であるということが導かれてくる。とはいえ最も宗教的というわけではない、その点では緑は白に譲っている。緑は個人よりも有機的構造の重要性の方を強調する。白の秩序と赤の混沌の間で均衡を取って、緑は自然の二元性を抱き止めるのだ。ある時には自然は物腰穏やかで愛に満ちている。別のある時には自然は獰猛で有害である。他のどの色も世界を変革させようと戦っているが、緑は世界を同質に維持するために戦っている。
 緑は次のものを表象している。生命(誕生)、成長、自然、実在(錯覚に対応する)、共同体、相互依存、精神主義、本能、動物。

●その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
 緑は自然や自然のあり方を尊重しない者を看過することは決してしない。緑はそういったゴロツキを危険なものと見なし、彼らを打ち滅ぼそうと試みるだろう。もし君が緑と共にあろうとしないなら、君は緑と対立することになる。緑は貴重な友人だが、それより危険な敵対者でさえもある。緑は自分の主義主張を深く信じているもので、一切の慈愛を見せないだろう。
 不自然なものに対するこのような嫌悪は、緑のアーティファクトに対する憎悪がよって来たるところだ。これはまさに、我々のカラーホイールの研究を通じて生じた最も重要な移行の一つである。青緑の対立を吟味した際に、人工的なものに対する憎悪を緑に設定することによって、我々はいかにその輪郭が明瞭に定義されるか理解できたのだ。オンスロートの≪帰化 / Naturalize≫【インスタント。アーティファクトかエンチャント1つを破壊。かつては白い呪文だった】は、緑をアーティファクト破壊の中心にするための最初の移動だと言える。過去においても緑はアーティファクトを嫌っていたが、それは常に白と赤の後ろに続く三番手として位置づけられていた。これはまさに変わりつつある。緑はフレーバーの面で常に有してきた役割を、メカニクスの面でも果たすようになるだろう。もし君が何か人工的なものを作り出せば、緑がそれを破壊するだろう。
 またぞろ白を弱体化させるというのか、と感じる読者のために急いで書き加えておくが、カラーパイの再編は長期に渡って徐々に展開される過程として考えられている。総体的な苦心の成果をただ単一の【アーティファクト破壊という役割の】移行だけを見て評価するのは、甚だ不当だと言えよう。最後に訪れる結果は、各色にとって夕刻時【つまり一時代の終わり】であるはずだ。白と赤は現時点では低く、青と黒は現時点では高い。信頼していただく他ないのだが、最終的にはこれは全て均一化される。我々はどの色に対しても有用性を切り捨てようとは考えていない。また私が思うに重要なのは、これらの変更が軽率に行なわれているのでは決してないと強調しておくことだろう。我々はこれを適切に遂行するために多大な時間を費やしている最中にある。アーティファクトへの憎悪を緑へと移行する前に我々がいかに多くの労力を支払ったか、本日のコラムがそれを示す一助となることを願うばかりだ。

●その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
 白について緑は、集団の重要性を理解する友好色の姿を見出す。大局的な構想は諸個人の命運よりも重要だということだ。また白は非常に平和的で生命に友好的な態度を有しており、このことが緑との関係を取り持っている。
 赤について緑は、本能の重要性を理解する友好色の姿を見出す、もっとも赤はかなり情動に重きを置いているようだが。緑と同様に赤は、言葉が間に合わない状況で行動が必要とされる状況、そういう瞬間を察知できるような野生の一面を持ち合わせている。赤の持つ破壊的な要素にもまた、緑と通じ合うものがある。
 青について緑は、自然の価値を尊重しない対抗色の姿を見出す。青の願望は、自然の全てを取り壊し、自身の人工的な世界を建設することだ。青は本能の重要性に対していささかの敬意を払わず、感情という腹からの声よりも知識の方を重んじることを選んでいる。青は常に冷淡で非人間的な未来を思い描き、過去の温かさを見捨てている。青が緑を破壊する前に、緑は先手を打って青を破壊しなければならない。
 黒について緑は、非常に自分勝手な色の姿を見出す。緑は生命の循環の重要性を理解している。すなわち死の役割にも畏敬の念を抱いている。その一方で黒は、自分自身の目的のために、死を自然に逆らって道具として利用する。もし緑が自然を守るつもりならば、黒がその捩じれた行動計画のために生きとし生けるもの全てを轢き殺す、その前に黒を止めなければならない。

●その色の最高の長所と最大の欠点は何か?
 緑は大地に遍く結びつくことで、呼び出して指揮することが意のままであるクリーチャーの大軍を擁している。もし緑が希えば原初の魔力はそれを聞き入れるだろう。緑の生命のあり方の負の側面は、危険を正確に察知することが自分の本能に完全に依拠している、ということだ。緑は性根からして他者を信じて疑わない。猫を被ることで緑の敵は、この純真さを自分の目的のために利用しうるのだ。
 このことが緑の最大の欠点へと、つまり生物への干渉が不可能であることへと発展していく。緑は人工的な物体を破壊することに何の躊躇も持たない。緑がアーティファクトやエンチャントを薙ぎ払うのは妥当だろう。土地を破壊することによって、対戦相手とマナの結びつきを引き裂くことさえ可能だろう。しかしながら緑は、対戦相手のクリーチャーを破壊する気にはどうしてもなれない。少数の例外はあるものの、概して緑は他の生き物を殺そうとはしないものだ。

●小さな緑の連中【Little Green Guys:異星人の典型的な描かれ方】
 私は先ほど研究デザイン部の切って貼り付けるカラーホイールについて言及した。この記事の結びとして、自然の「緑」であると我々が最初に判断した何人かの登場人物を紹介しようと思う。つまりここでの発想は、仮に我々が以下の登場人物でマジックのカードを作るとするならば、それらは緑になるだろう、というものだ。
 キング・コング【King Kong:同名のアメリカの特撮映画のキャラクター】――これは単純明快だ。本能的な欲求に駆られた巨大な類人猿だ。
 ゴジラ【Godzilla:ビキニ環礁での核実験から着想を得られた、和製キング・コング】――キング・コングと基本的な発想は同じだ。
 ターザン【Tarzan:バローズの長編小説の主人公】――猿に育てられた男。ジャングルの王者である彼は、版図を動物の友人たちと共に守る。
 スワンプ・シング【Swamp Thing:DCコミック社の出す同名の漫画作品のキャラクター】――自然の精霊であり、この自然を超越した生物が自然界の秩序を守っている。あぁそうだ、彼の身体は植物でできている。
 クマのプーさん【Winnie the Pooh:ミルンの児童小説のキャラクター】――手始めに、彼は熊だ。そして彼は胃袋を満たそうという絶え間ない願望に駆り立てられている。
 ウルヴァリン【Wolverine:Xメンシリーズ等に登場するマーベルコミックスのキャラクター】――野性的な登場人物であり、本能的に高く機能する研ぎ澄まされた五感を備える。彼はしばしば狂戦士の怒りに転じることで知られている。彼は動物の名【wolverineはクズリの意】をも持つ。
 吸血鬼狩りのバフィー【Buffy the Vampire Slayer:アメリカのホームドラマのヒロイン。邦題『バフィー~恋する十字架~』】――特別な超自然の力を吹き込まれた「選ばれし者」。バフィーは獲物を探し夜中に徘徊する狩猟者だ。彼女の動物的な側面は、監視者の評議会という非常に白な組織によって課せられた厳格な規則と相まって、絶えず彼女自身に揺さぶりをかけている。

●わが谷は緑なりき【How Green Was My Valley:アメリカの映画】
 さて、以上が緑に関して私が言うべきだったものだ。今後のテーマ週間でも他の四色のフレーバーや哲学を探求していくつもりだ。
 もし来週も参加していただければ、研究デザイン部での作業で気に入った瞬間をいくつか紹介できることと思う。
 その時まで、緑のクリーチャーの大軍で対戦相手を≪踏み荒らし≫する喜びを噛みしめているのを願いつつ。

――マーク・ローズウォーター

 昔の雰囲気のCGでないイラストに回帰したエキスパンションとか、その回だけ変則枠として旧枠カードが入ってるエキスパンションとか、そういうのがあったら良いのになぁ……作られないんだろうなぁ……

≪嫌悪は十二分――色が衝突する理由≫
原題:Hate is Enough ―― Why colors clash
Mark Rosewater, R&D Senior Designer
2002年2月19日
http://archive.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtgcom/feature/14

 皆が仲良く折り合っていけないのはなぜだろうか?
 その答えはカラーホイールに眠っている。そう、カラーホイールだ。多くの人々はリチャード・ガーフィールドの、マジックの基本的なメカニクスという非凡な才能の発現を高く評価している、だが彼のもう一つの発明は、あまり注目を寄せていない、しかし同等に重要なものなのだが、それがカラーホイールだ。カラーホイールはゲームのフレーバーの源泉であるだけでなく、そのメカニクスの源泉でもある。カラーホイールを取り扱うのに膨大な時間を費やしてきた者の一人である私は――私は研究デザイン部ではフレーバー・グルとして通っている、つまりルール・グルの一員でありながらフレーバーにも携わっている――それを深く学べば学ぶほど、より強い感銘を受けたのだ。
 研究デザイン部の知的財産管理者テイラー・ビールマンには、私マークがカラーホイールを張り広げる際に有用な手助けを行なっていただいた。
 ではなぜ色は互いに憎みあうのか? 喜ばしいことに、君たちからこの問いかけを受け取ることができた。以下では手短にゲームに存在する基本的な五つの対立を示していく。

●白と黒
・道徳と超道徳(またの名を善良と邪悪)

 白は一対の【善悪という】道徳的な規則の存在を堅硬に信じている、だが黒はそうではない。白の目には、黒は邪悪に映る。黒の目には、白は阿呆に映る。白が信じる限りでは、黒を打ちのめすことは白に課せられた道徳的義務である。黒が信じる限りでは、黒を打ちのめそうと欲するあらゆるもの、また黒を邪魔するあらゆるもの、これらを打ちのめすことが黒に課せられた責務である。
・光と闇(昼と夜)
 白は開放的で、誠実で、率直だ。白は自分の規則を全員に見えるように――そしてもちろん、全員が遵守するように――顕示するのを好む。対して黒は機密を好む。黒は行動計画を持っている。白は日中の光を味わい、黒は夜中の闇を味わう。白は光を使って黒の邪悪を照らし出そうとし、黒は闇を使って白の純真を堕落させようとする。
・集団の利益と個人の利益
 白は集団を貴び、黒は個人を貴ぶ。白の規則は、つまり白が法律と呼ぶものは、集団の重要性を個人の重要性よりも上位に置いている、だが黒は自分自身のみを気に掛ける。白は純真な者を保護するために、黒にも白の法律を課そうと試みるはずだ。黒は個人の――換言すれば自身の――権利を守るために、それらの法律に反発するだろう。

●緑と黒
・生と死

 緑は自然の筋書きに従事している。黒は自分の筋書きに従事している。緑の信仰は、皆が自然から一歩退き、自然がありのままに事を成すようにしておくべきだ、というものだが、それに反して黒の信仰は、黒は一歩踏み込み、自分が望むような筋書きで物事が起きるように手配する必要がある、というものだ。緑は他のいかなる躍動力【force】も生命より強大で貴重なものはない、と確信しているが、黒は死が生を易々と蹂躙する、と確信している。死こそが本源的な権力である。死を利用することで、黒は自分の願うような形に世界を作り変えることが可能となるのだ。
・成長と腐敗
 緑が欲するのは生物がその潜在性を実現することだ、そして緑の信仰においては成長を通じることによってのみ、世界の潜在性が余すところなく達成させられるのである。しかしながら黒は潜在性というものに対して、軽蔑と嘲りの言葉を容赦なく浴びせつける。例えば死んだ生き物には、もはや潜在性など残っていないだろう、と。それはゾンビの種にする他はない、と。
・共生と寄生
 緑は生物が調和の中で、それも食物連鎖が可能とする限りの調和の中で、共に生存することを望んでいる。黒は自分の足元に生物が跪き、彼らが黒の命令に従うことを望んでいる。緑は次のような確然的信仰を抱いている、すなわちそれは、全ての生きとし生けるものには相互結合があり、そしてこの相互結合からこそ自然の真の権威は生じてくる、というものだ。黒は全ての生物を、自分が渇望してやまない権力を手に入れるための道具、そういった道具の一つとしてしか見ていない。

●緑と青
・天性と養成

 緑の信じるところによると、個人は大切な資質を全て備えた状態で生まれてくる、しかし青のそれによると、個人は白地の石版【slate:粘板岩】であり、形作られたり鍛錬されたりすることができるものである。緑が励むのは、各々の生物の内に秘められている潜在能力を見つけることだ、つまり、長所は内側から芽生えてくるものだ。青の考えは、潜在能力は作られるというものだ、言い換えれば、どんな生物も訓練や教育や変化を受けることが可能であり、そうすることでその生物は青が欲するような別のものになれるのだ。
・自然のままの成長と人為による成長
 緑が重視するのは自然と、自然のままの成長であり、対して青が重視するのは、発展と、人為による成長である。緑が注視するのは自然界であり、瞳に映すのは生命の本質である。青が注視し瞳に映すのは、最新の実験に活用する分には充分円熟した、一連の天然資源である。緑が願うのは、自然が手にかけられないようにあらゆる脅威を排除することだが、更なる進歩を求めている青は、自然の最大の敵だと言える。
・実在と錯覚
 緑が価値を見出すのは、存在するものである、そして青が価値を見出すのは、存在しうるものである。緑の強みは、全ての生物の価値を認識できる能力の上に存している。青の強みは、知覚を理解できる能力の中に眠っている。緑は君たちの知るものを携えて脅威となり、青は君たちの知らないものを用いて脅威となる。

●青と赤
・知性と感情

 青は知性を大事に抱え込み、赤は感情を大切に抱き込む。勝利の秘訣は知識だと青は確信する。勝利の秘訣は情熱だと赤は確信する。青は行動を起こす前に思索するが、赤は速やかに行動に移る。
・思考と行動(冷血と熱血)
 青には冷淡さが、思考に付き物のよそよそしさから生じたものが、備わっている。赤には熱気が、行動の際の激情に伴って出てくるものが、備わっている。青は構想を立てる。赤は行動を起こす。青は計画を練る。赤は現状を穿つ。青は将来を予期する。赤は障害を破砕する。
・慎重と衝動
 青は、急いては事を仕損じると考える。赤は、心の声に背くことが失敗に繋がると考える。青は座して研究するが、赤は突撃し殺していく。青は赤のことを制御されるべき危険物だと考え、赤は青のことを滅ぼすべき脅威だと考える。

●白と赤
・秩序と混沌

 白は規則の重要性に強い価値を置いている。赤は規則を嫌悪している、赤はまさに自由であることを望んでいるからだ。白は生物が小奇麗に秩序正しくあることを望んでいるが、赤は生物が泥臭く乱雑にあることを好んでいる。白の信仰から見れば、無政府状態を避けるために赤は統治される必要があり、対して赤の信仰から見れば、国家全体主義【fascism:ファシズム】を避けるために白は廃止される必要がある。
・防御と攻撃
 白は最善の攻撃は優良な防御であると考える。赤はそのようには考えない、赤は物事を打ち砕くのが好きだからだ。白は防衛の必要性を感じ取る。赤は破壊の必要性を感じ取る。確然的に明らかに、これら二つの行動計画は衝突に向かう。
・全体計略と自由意志
 白の信仰では、規則は常に有用である。戦闘に対して適応されてはならない特別な理由など存在しない。赤はそこまで考える必要性を感じていない。このこと【考える必要性を感じないこと】はまさに心の衝動に相応しいと言えよう。

 ここまで見てきたように、どの色も他のいずれかを憎むのに妥当な理由を持っている。この記事からマジックにおける色の深さを感じ取っていただければ幸いだ。チャンネルは MagicTheGathering.com に合わせたままでよろしく――マジックのフレーバーの込み入った部分に関して、これからも記事やコラムを掲載していくつもりだ。

――マーク・ローズウォーター

 初投稿です。
 よろしくお願いします。
 色の哲学についての記事を翻訳していきます。
 公式や草の根で既に訳出されているものもありますが、原文が発表されてから随分と年月が経っていることもあり、おそらく翻訳家諸兄、ここに新たに拙い訳を呈するのをもう了承してくださるだろう、と期待し訳出していきます。

≪抄訳:メカニクス、フレーバー、カラーパイ――MTG Salvation Wikiより≫
【本稿は次の記事の訳出である。
http://mtgsalvation.gamepedia.com/Mechanic
http://mtgsalvation.gamepedia.com/Flavor
http://mtgsalvation.gamepedia.com/Color_Pieの中の「3:白」の直前の「概要」「1:表象と意味」「2:個人主義とカラーパイ」】

●メカニクス【mechanics:一般的な英単語としては設計工を指すが、MTGの記事では公式で訳されるところのメカニズムを指す。草の根翻訳もメカニズム、メカニック、機能、メカニクスと判断が分かれるようである。このブログでは、mechanicsは有機的な仕掛けや機械主義や機械論を連想するmechanismとは明確に区別された概念なので、メカニズムと訳出することは避けた。機能という訳語は意味的に適正であると見えるが、「ここで言うmechanicsはフレーバーと双璧を成すものであり、MTGのデザインに固有の概念である」という特殊性を重要視し、機能という日常的に馴染みのある単語は避けることにした。英文では単数形a mechanicと複数形mechanicsの区別がなされているが、文脈で特に単一性や個別性が強調されていない限り、両方ともメカニクスと訳出することとした。もしこの区別を訳出するならば、メカニックとメカニクスとするのが良いと訳者は考える。】
 メカニクスは、複数のカード同士で作用しうるカードの能力である。メカニクスという単語は総合ルールには存在せず、デザイン上の概念として存在するだけである。
 メカニクスは以下のように分類できる。
 キーワード能力【keyword ability】――ルールテキストに書かれた語句の中で、能力を簡潔に表わすもの。常磐木能力【飛行、速攻、先制攻撃、トランプル、警戒、到達、など】を除いて、注釈文が添えられる。【他には装備、続唱、ストームなど。】
 キーワード処理【keyword action】――ルールの上で特別な意味を持つ動詞。その行為内容が要約された注釈文が添えられることもある。【破壊する、打ち消す、唱える、捨てる、生け贄に捧げる、公開する、占術を行なう、変身させる、増殖を行なう、など。】
 能力語【ability word】――共通の機能を持つカードを見分けるための語句で、ルール上は意味を持たない。【すなわちテキストから能力語を削除しても、ゲームの進行に必要なルール文章が成立する。スレッショルド、刻印、金属術、上陸、など。】
 明確に分類されていないメカニクス――廃語となったキーワード【生息条件、実存、埋葬、など】、銀枠のキーワード【超速攻、ゴチ、など】、キーワードでないメカニクス【リスティック、ハイフライング、スーパートランプル、休眠エンチャント、明滅、など】、メカニクスを口頭で表わす俗語【バウンス、ピッチスペル、キャントリップ、ルーター、など】、総合ルールで明確に分類されていないメカニクス【例えば「性質」、英語版ではattributesという語句そのものは、総合ルールでは明示されていない】。

●フレーバー
 フレーバーはマジックのゲームに関して、ある種の印象、あるいは一つの世界を創造したり物語を添えたりしようとする意思、それらを喚起させるための概念である。これを通じてゲームや各々のカードおよび商品に独特で個性的な性質が付与されている。フレーバーが現象するのは、イラスト、フレーバーテキスト、カードの表側、その他視覚的な情報といったカードの機能に関わらない部分においてであるが、市場、ウェブでの扱われ方、書籍などゲーム外での情報においてもまた現象する。

●カラーパイ:概要
「カラーパイ」および「カラーホイール」はマジックにおける色とそのメカニクスの表象【representation:本質や正体が見た目に化けて出たもの】であり、ウィザーズ社がMTGのゲーム内でメカニクスを分類する手段である。加えて、各色の背後にある哲学に区別を設けるものでもある。カラーパイは簡略な手段と言える。各色の営みに馴染みの薄いプレイヤーにとって、色の哲学や長所と短所の外層を把握する際に役立つものになるだろう。しかしながら各色の心髄は、ゲームの中だけでなく、デザイナーであるマーク・ローズウォーターが読者に宛てた記事の中にも展開されている。同時にマジックの小説が、以下のように認識されていることも考慮すべき重大な側面だ。それは、小説が読者やプレイヤーに、特定の色やその組み合わせを的確に人格に表現しているような登場人物へと熱烈な視線や見識を向けるようにさせてきた、という認識だ。

●カラーパイ:表象と意味
 カラーパイは各色の象徴を円形に並べた図形として描かれる。例を挙げるとマジックの各カードの裏面は、色のジェムが輪を描くように並んでいるという形で、カラーホイールという表象を大々的に示している。色の順序は常に同じで、時計回りに白、青、黒、赤、緑だ。このカラーホイールの並びそのものは、色の哲学の具体的な中身に関しては何も教えないが、これによって各色が他の色とどのように影響し合うかを容易に覚えることができる。この輪の並び方において、互いに隣り合った色は友好関係と呼ばれ、互いに接していない色は対抗関係と呼ばれる。例えば白は、緑と青とは友好関係にあり、黒と赤とは対抗関係にある。
 個々のブロックやセットは対抗色の互いに作用し合う関係を詳らかにしてきたが、各色は友好色と提携し対抗色と敵対することが圧倒的に多いと言える。とりわけ友好関係の二色が共通の対抗色に対峙する場合に顕著である。ブロックには最低一つの色対策カードのサイクルが収録されるのが通例となっている。各色は、対抗する二色へ同時に対策できるカード、あるいは対抗色やその基本土地に対して劇的な効果をもたらすカード、これらのいずれかを有しているだろう。例えばコールドスナップには、≪発光 / Luminesce≫【白のインスタント。ターン中の黒と赤のダメージを軽減】、≪瞬間凍結 / Flashfreeze≫【青のインスタント。赤か緑のクリーチャー呪文を打ち消す】、≪死の印 / Deathmark≫【黒のソーサリー。白か緑のクリーチャー1体を破壊する】、≪氷結地獄 / Cryoclasm≫【赤のソーサリー。平地か島を1つ破壊し、コントローラーにダメージ】、≪カープルーザンの徘徊者 / Karplusan Strider≫【緑のクリーチャー。青や黒の呪文の対象にならない】というサイクルが収録され、これらは第十版にも再録された。対照的に、非常に稀ではあるが、例えば≪グリッサの急使 / Glissa’s Courier≫【緑のクリーチャー。山渡りを持つ】のような、友好色に害をもたらすようなカードが作られることもある。

●カラーパイ:個人主義とカラーパイ
 いかなる個々人も、たとえ彼らが他の同朋から切り離されたとしても、入念に観察されることでその色やギルドと同類の特徴が見出されるはずだ。もっともそれは、より小さくより現実的な規模ではあるだろうが。この【MTG Salvation Wikiのカラーパイの】記事で最初に取り上げられる色を例に取って見ると、集団としての白は、平和、調和、そして世界の団結のために邁進している。だが秩序正しい個人や市民としての白にとっては、それらの最終的な目的は彼らの日々の生活にとってあまりにも大き過ぎる話である。彼らはこういった解釈を容易に受け容れる【身の丈を弁えている、とも言える】。この集団と個人の差異を今一度はっきりさせるならば、白の集団は秩序や倫理に強い確信を抱くだろうし、規則や条例や法律を定めることでその信念を推し進めようとするはずである。しかし白の個人はもっと小さな規模で事を為すだろう、家族との夕食の席でテレビを点けないことが望ましいと考えるように、夕食のエチケットや上品なマナーに価値を置くといった感じに、である。白の集団は手に負えないような煩わしい個人を追放しうるが、白の個人は独力でそのようなことを成し遂げるに十分な力を兼ね備えてはいないのである。≪正義の凝視 / Gaze of Justice≫【クリーチャー1体を追放する白のソーサリー除去。追加コストとして白クリーチャー3体のタップが要求される】はこれを完璧に表象するカードだと言えよう。
 もっとも、登場人物の個性の決定は、ある種の指針と規則に基づいて行なわれている。
 第一の指針は、弾力的で融通の利く五つの特徴だ。とはいえ、ある一つの色に際立って現れつつも、それらの特徴自体は全ての色の人物に見出されるのだが。それら五つの特徴は次のようなものだ。白の組織体、青の知性、黒の利己心、赤の感情、緑の本能、これらである。組織に組み込まれた人物は自動的に白である、というわけではない。だが、組織に価値を見出すような人物は白かもしれない、ということだ。参照していくと、黒赤では≪虚空 / Void≫【黒赤のソーサリー。選んだ数字一つに等しい点数で見たパーマネントを破壊し、さらに手札破壊まで行なう】のような算術的に設計された除去や、効率の良いマナコストの単体除去である≪終止 / Terminate≫【黒赤のインスタント。対象の色の制限を問わない単体クリーチャー除去】といった事例で、組織の兆候や色合いが示されている。緑白の利己心【self-concern】は≪勇士の再会 / Heroes’ Reunion≫【緑白のインスタント。7点ライフ回復】のようなライフ獲得という形で現れるが、このことで緑白が自己中心的【selfish】だということにはならない。どちらかと言えば、ある人物が自己中心的であるのは、その人が自分の権威や力を研ぎ澄ましているからだ。本能は非人工的な形態を取るあらゆる生命にとって不可避なものであり、吸血鬼でさえも彼らの天性の渇きを満たすために獲物を調達しなければならない。魔術師は空腹では学ぶに学べないし、また異性に惹きつけられさえもする。これらは自然に備わる意思だが、このことで吸血鬼や魔術師が緑とされるわけではない。これらそれぞれの特徴に価値を見出すかどうかが色の個性を定義するのであって、特徴が色に見出されるかどうかが定義するのではない。換言すれば、ある特徴がある色に表出していることを重大事として扱うべきではないのだ。
 第二の規則は、影響力【influences:影響を及ぼす人や物事】を考慮しなければならない、というものだ。もしある人物が黒の人物とともに長い時間を過ごせば、その人はおそらく、自己中心的だったり黒に率直だったりと見なされるような、そういった振る舞いをするようになるだろう。だがこのことはその人を黒に分類する根拠にはならない、というのも、その人は周囲への同調を強いる圧力を感じて内心では苛まれているかもしれないし、道徳的な視野を見失ってしまったりあるいは見失いつつあったりするかもしれないし、自分がしていることを完全には自覚していないのかもしれないし、はたまた今までの価値観を再考して色を替えるか否かを決断する過程にあるのかもしれない、そういった不確定の事情があるからだ。また、影響力は血統、人種、職業からももたらされる。ここにアゾリウス評議会のゴブリンという登場人物を例に挙げると、このゴブリンはおそらく青白であるだろうが、その行為、言葉、反応、思考の表層部分に赤の影響が浮かび上がってくる可能性も高いと思われる。概して、敵対する影響力が現れる際、その影響力が供するのは他の色の特徴を薄めることだけである。例えば黒赤の人物が白の影響力に接した場合、その人物は幾分か緩和された黒赤の個性を持つ者になるだろう、ということだ。

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