【翻訳】The Value of Pie――『カラーパイの価値』
2015年2月17日 MTG翻訳:色の哲学 櫻さんがとても綺麗なので、今度トリコロールのEDHデッキ組みます。
≪カラーパイの価値――色の定義の整備≫
原題:The Value of Pie ―― Maintaining the identity of colors
Mark Rosewater
2003年8月18日
http://archive.wizards.com/Magic/magazine/article.aspx?x=mtgcom/daily/mr85
先週私は『忠実なる青』でカラーパイにおける青の役割に関して述べた。『緑でいるのは楽じゃない』、『白光満ちる大通り』から続いてるが、このような色の記事を書くたびに、私の元には数多くのプレイヤーから意見が寄せられる。中には次のような、本質に関わる反応もあった。「もうカラーパイは飽きた。研究デザイン部はカラーパイという小さな箱に何もかも詰め込もうという妄執に囚われているが、それがまさにゲームを台無しにしているのだ」
さて今回は興味深い議題ではないだろうか。私はカラーパイがマジックのゲームの中心だと思っている。私の考えでは、カラーパイはマジックの動力の核心だ。「ゲームを台無しにする」と言われることもあるが、実際にはそこから程遠いものだ。私は今日のコラムで、なぜカラーパイがそれほどまで重要なのか、詳細に説明するのに専心しようと思う。願わくばこれが君たちの多くにとって、私の理解と同じ立場からカラーパイを見るのに役立たんことを。
それでは始めよう。カラーパイの素晴らしいのは何たる所以か?
●理由1――カラーパイは制約を課す
私がこれを第一に挙げたのは、次のような理由からだ。つまり、私が思うにカラーパイを誹謗中傷する者の多くは、カラーパイによって課された制約をその最も叩くべき点である、と見なしているのだ。何と言っても、制約のせいでプレイヤーは自分のやりたいことを思うがままにできない。これは悪いことだ、と。しかしそうだろうか? ゲーム設計者にとってはそうではない。周知のことだが我々の仕事は、君たちのライフを危うくすることだ。
説明を続けさせていただきたい。良いゲームを設計するには、対象とする購買層が遊びたいと思うのはなぜか、これを理解する必要がある。そして次は、その目標に合致するようにゲームを設計しなければならない。マジックは戦略ゲームである。戦略ゲームの目的は、プレイヤー同士の知的刺激だ。では我々はどのようにそれを実現していくと言うのか? 我々はまず明確な目的を設定し、次いでそこに至るまでの過程に障害物を投げ込んでいる。興味ある人のために付け加えておくと、もしこの「プレイヤー」を「主人公」に置き換えれば、物語に対する作家の手法と同じと言える。
さて、障害を乗り越えることが戦略ゲームの楽しみだ。――「あぁ神様、なんてことでしょう。私のライフは1まで減らされ、彼はクリーチャーを4体並べている、そして私の場には山が1つだけ……」「では、君の負けのようだね」「いいえ、私が勝つのよ。貴方はこれから何が起こるか、想像もつかないでしょうね」――このように制約は、短期では欲求不満を強めるが、長期では喜びにとって決定的なものだ。
「いやいや、ちょっと待てマロー」と君たちの多くは言っているだろう、「俺には対戦相手がいて、そいつが障害物なんだ。だからゲームそのものに邪魔物を入れる必要は感じられねぇな」と。私は君たちとは反対の立場から論じよう。戦略ゲーマーが欲するのは知的刺激だ。そのためにゲーム設計者は、問題解決を困難なものにしなければならない。そうでなければ充分な試練にならない。これを完遂するのに鍵となる要素は、課題を解決する際に利用可能な道具を制限しておくことだ。
説明のために私の経験談を引き合いに出すが、ご容赦願いたい。大学二回生のとき、私は寮の学生自治体に参加していた。そういった役職の人間として、多数の「建築精神」な活動に関与していた。その活動の一つに、帰郷パレードに向けて各寮が用意した水上フロート【float:いかだ?】建設というものがあった。さて寮自治体はすっかりこの発案に乗り気でなかったので、企画に対して非常に少量の予算しか投じなかった。私の記憶が正しければ、数百ドルだ。他の寮は数千ドル以上も費やしていたのに、我々は数百ドルだったのだ。
私は夜九時の会合に出席し、そこでチーム全員で六人だということを知った。フロートは来たる大イベントの日の前夜、夜通しで建設されるのだ。他のほとんどのフロートは五十人以上が携わっていた。フロートを作るために我々に与えられたのは、十二時間の時間と、八分の一ほどの人手と、そして十分の一ほどの予算だ。さて、我々は敗れただろうか? いや、我々は勝った。君たちにはどうしてそうなったのか、信じがたいことだろう。ともかく我々はその夜の内に、資材の不足を埋め合わせるような独特な発想を見出すことができた。その発明的な手法とは建設作業を見直すものであり、我々はむしろ印象的なフロートを組み立てたのだ。私にとっては楽しいものだった。
翌年になって大学に戻ると、我々の寮は他の寮と合同でイベントに参加することになっていた。つまり我々は、今度はうなるほどの資金と人手を企画につぎ込んだのだ。我々はあらゆる資源に対して精通し利用可能な立場にあった。分かるだろう? 私は戦略ゲーマーだ。私はこういった状況は嫌いだった。ただあらゆる物が与えられている、そういった状況を私は望んでいない。私は勝利を受け取るに値するような試練を乗り越えたいのだ。
これが、カラーパイが非常に重要であることの理由だ。ゲーム設計者として私は、プレイヤーが勝利へ向けて働きかけるように仕向けようと思っている。もし全ての色が全ての効果を使うことが可能ならば、ゲームがこれほど楽しいものには決してならなかっただろう。どの色にも弱点が設けられており、対戦相手はそこに付け入ることが可能だ。だがそれによって、君たちに創造的な解決策を見出す余地が残されていない、ということにはならない。事実、そういった解決策を探し出すことがマジックそのものだ。
●理由2――カラーパイはフレーバーを定義する
研究デザイン部はフレーバーを嫌っている……そんな神話がまことしやかに囁かれている。思うにこの神話が生まれたのは、いくつかの私の記事が原因だろう。あるとき機能と雰囲気が競合したが、研究デザイン部は機能の方を味方した、というような話題を私は書いたからだ。このことから一部のプレイヤーは、研究デザイン部は機能をより重要視している、という結論に一足飛びに行き着いた。だが私の推測では、フレーバー嫌いは軽々とした足取りで乗り越えられるものだ。
研究デザイン部はフレーバーを嫌ってはいない。実際、カラーパイは、研究デザイン部がフレーバーの価値をいかに強く認識しているか、その証拠だと私は考えている。先述したことだが、カラーパイがこのゲームの核心にあると私は確信している。そしてカラーパイは、雰囲気が機能に優越する事態の一例なのだ。雰囲気は実際のところ機能よりも僅かに厳密だ。カラーパイの中においては、雰囲気が機能を規定する。できることとできないこと、それは雰囲気が機能に対して命じるのだ。
これはカラーパイの最も重要な役割の一つだ。つまり各色の哲学を明確にし、次にメカニクスをそれに沿って引き曲げることで、フレーバーをゲームへと拡張するのだ。マジックにおける色が個性豊かな理由の一つは、ゲームのあらゆる側面に色が行き渡っているからだ。
【訳注:欄外の、追記的な記述である――】ちなみにカラーホイールは、各色のフレーバーや対立を説明する図表のことだが、カラーパイと同義に使われたり使われなかったりする。この二つは非常に紛らわしい。それも最もで、我々はウェブ上にこれらの差異に関して詳述した文章を公表したことがないのだ。【訳注:老婆心ながら訳者は、カラーパイは色の役割で、カラーホイールはカラーパイを円形に表現したもの、と理解している】
●理由3――カラーパイはゲームバランスを創る
ゲーム設計者のまた別の目的は、そしてそれはゲーム開発者にとっても重要なものだが、それはゲームバランスを保つことだ。マジックのデッキ構成を定義する特色の一つとして、常勝無敗の戦略は存在しない、という要素がある。いかなるデッキの元型であっても、弱点を持っている。もし対戦相手が何を使っているかを知れば、そのプレイヤーは彼を打ち破ることができるはずだ。
これをカラーパイに対して実現する手立ては何か? 実際のところ、かなりの道筋がある。先述したように、どのデッキにも勝ち目が見出されるようにするために、各デッキは弱点を持たなくてはならない。これがカラーパイの生じて来たる所以だ。カラーパイはその色のできることだけでなく、その色のできないことをも示す。こうして各色に組み込まれた弱点は、ゲームの根幹に位置する。例えばどの色にも、その色では対処方法が限られているようなカードタイプが存在する【黒にとってのアーティファクトやエンチャントであったり、緑にとってのクリーチャーであったり】、といったものだ――青はどんな呪文にも対抗できるので当てはまらないように見えるが、青はパーマネント一般を破壊する術は持っていない。
また各色には、色の特徴が活かされないようなプレイングのやり方が存在する。例えば赤は、長期的にカードを得られるような色ではない。赤はゲーム序盤における強さを持っているが、終盤でガス切れに陥る傾向にある。ここでもまた、設計者と開発者は、ゲームの形を整えるための道具として弱点を利用する。いかなる色であっても見境なく環境を荒らし尽くすことはできない、というのも、ゲームそのものの中に安全装置が組み込まれているからだ。実際に、過去に研究デザイン部が大きな問題をやらかした時は、ある色にその本来の役割を越えて能力が与えられた時でもあったのだ【アカデミーというマナ加速を与えられた青のように】。研究デザイン部がカラーパイを軽視すると、我々は後で必ず痛い目に遭わされているのだ。
●理由4――カラーパイは個性を加える
普段の私は【具体的な】話題について話しながら議論を進めていく。だがここでは趣向を変えて、私が意図するものを直接示す方が君たちにとって分かりやすいだろう。そこで尋ねるが、君たちはカラーパイの存在しない世界で暮らしたいだろうか? そういった世界では、全ての基本地形がどの色のマナでも生み出せる、という仮定の上でデッキを作ることになる。この一つだけを取っても、カラーパイのない世界がどんなものなのか、垣間見ていただけるだろう。しばし想像の中で、その世界のゲームを一通りプレイしていただきたい。その間私も待つとしよう。
さて、もう終わっただろうか? ゲームはどんなだっただろうか? 最初の内は、普段できないような目新しいことをしているために、楽しいと感じたかもしれない。だがしばらく経つと、それは少し単調なものになっていっただろう。なぜか? まず、【カラーパイがないために】カードの多様性が減る。そして各デッキは、利用可能なカードの中から最も効果的なものを選んだだけ、というものになる。間もなくデッキの元型論は総崩れになっていく。白ウイニーもなければ、緑ストンピィもない、ただ単に速攻クリーチャーデッキが残るだけだ。やがて、デッキが一つのまとまりとしては結びつきの無いものに見えてくる、というのも、デッキ内のカードには共通の主題が存在しないからだ。君たちが最後に行き着くのは、ごく少数の種類の、非常に能率的ではあるが雰囲気の薄い、そういうデッキだ。すなわち君たちは、個性の存在理由において能率性を得たのだ。
個性の根底、そこにカラーパイの最も重要な部分がある。そう、マジックを単色で作ることも可能だろうが、それだとゲームの幅は狭まってしまうだろう。五色を有していることは、各色がそれぞれ個性を持っていることを意味する。そうであるからには、カードがどのような見た目と響きを持っているか、カードがゲーム上でどのように作用するか、これら両方の点で各色は明白に異なったものでなければならないのだ。
私があまりにも頻繁に思い知らされることだが、世間一般では各色のできることを狭めるための手段としてカラーパイを捉えられているようだ。私はカラーパイを、各色の表象を浮き彫りにするための手段として理解している。カラーパイは色の価値を減じるのではなく、むしろ加えるのだ。黒が緑からかけ離れているほど、その良さは増すのだ。どの色も互いに他色の微細な影絵にしか過ぎない、私はそういった色にしたいと思わない。むしろ、各色が自分の表象に関して深刻なほどに独特で個性的であってほしい。以上が、カラーパイがゲームに付け加えるものだ。
●バイバイ、アメリカン・パイ【ドン・マクリーンの歌「American Pie」に「bye-bye, miss american pie」というフレーズがある】
私がカラーパイに対して非常に熱心に考えているのだと、分かっていただけただろう。マジックの成功は、それ自身の独自性の中に帰せられると私は思っている。本日の私のコラムが君たちに次のような見解、つまり研究デザイン部がカラーパイに行なった貢献に対してのより好意的な見解、を与えられたなら幸いだ。ご存知の通り、一瞥しただけでは見えないものが、カラーパイにはあるのだ。
来週もご覧いただきたい。何人かの個性溢れる人物を紹介するつもりだ。
その時まで君たちが、他人とは違うことの重要性を理解していることを願いつつ。
――マーク・ローズウォーター
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