【翻訳】In the Black――『腹黒さの中に』
2015年3月3日 MTG翻訳:色の哲学 記事の連投になりますがご容赦願います。
今回訳出した記事には、o)nira.さんによる翻訳が既に存在します。http://web.archive.org/web/20070501130453/members.at.infoseek.co.jp/braingeyser/04/0612.html
原文も翻訳も随分と昔の記事で、カラーパイの文献も当時から随分と増えたので、新しく訳出してももう了承していただけるだろうと思っております。
今回訳出した記事には、o)nira.さんによる翻訳が既に存在します。http://web.archive.org/web/20070501130453/members.at.infoseek.co.jp/braingeyser/04/0612.html
原文も翻訳も随分と昔の記事で、カラーパイの文献も当時から随分と増えたので、新しく訳出してももう了承していただけるだろうと思っております。
≪腹黒さの中に――禁止領域は存在しない≫
原題:In the Black ―― Nothing is off limits
Mark Rosewater
2004年2月2日
http://archive.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtgcom/daily/mr109
【原題の「in the black」は「黒字の」「利益の出ている」を意味する】
黒の週間へようこそ! これはマジックの五つの色に専心する一連のテーマ週間、その四番目のものだ。過去の三つは『緑でいるのは楽じゃない』、『白光満ちる大通り』、そして『忠実なる青』だ。この連載は厳密な構造をしているので、他の三つの記事のどれか一つでも読んだ人なら、今回もどのような流れで進んでいくのか見当が付くはずだ。
●今まで通り、パイの取り分は常にあるものだ
もし君が色の週間が初めてなら、何はともあれ、私のコラムへようこそ。過去記事を未読の人は、メイキング・マジックの文書保管室を照会することを強くお勧めする。各々の色の週間で私は、コラムを通じて各色のフレーバーと哲学を解説してきた。それを行なうために私が取り上げたのは、カラーホイールを刷新する作業に際して研究デザイン部が考案した一連の設問だ。マジックにはルール・グルが携わっているが、フレーバー・グルもまた同様に携わっているのだ。そしてその五つの問いかけは、次のようなものだ。
・その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
・その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
・その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
・その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
・その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
・その色の最高の長所と最大の欠点は何か?
●その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
各所で述べてきたが、色の哲学が循環し展開されていく、その中心にあるのは、その色が世界をどのように見るかということだ。黒の世界観は極めて自己本位【self-centered】だ。本質において黒は、どれほど自分へ影響があるかによって世界を定義付ける。したがって黒にとっては、各個人にはそれぞれ人生における自分の目的がある、ということになり、それはすなわち、自分の人生を可能な限り良いものにする、というものだ。そして黒が関心を持つ限りにおいては、これは公正【fair】なことだ。なぜならば誰もが誰かしらを、自分自身という最重要の関心事のために用心し見張っているからだ。さてこのような生き方は、何と言っても誰かが損をすることで初めて他の者が得をするのだから、多くの犠牲者を生み出すことになるのだが、黒はこれこそまさに世界が弱者を選別する在り方だと考えている。
この目的を完遂するために黒は権力【power】を求める。なぜか? 黒は他の色とは違って、自分が行なっても良いとされる行為に枷を嵌める必要性、そんな必要性を感じていないからだ。黒にして見れば、個人は欲しいものを得るために必要とあらばいかなる手段を用いることが許されるのだ。このことから黒にとって【個人の】成功を真に計る尺度は、自分の望むあらゆる物事を実行する能力だ、ということになる。もし他の誰かのせいで自分の欲求や願望が妨げられているならば、当然ながらそれでは至上の目的に達していないのだ。
黒は次のように考えている。すなわち、どの他の色も世界を変えようと欲している、そして今現実にある世界とは異なったものに仕立て上げようとしている、と。黒の持つ印象では、黒だけが世界をあるがままに受け容れている。人間は、そのことならついでながらヒト型の生き物もだが【humanoids】、本質的に自己中心的な【selfish】存在だ。これ以外の信条は真理に対する承認拒否でしかない。なるほど、もし世の中が現実とは違う仕組みで回るならば、それはとても素晴らしいことだろうが、だが実際はそうでない【世界は現実にある仕組みで回り続けるものだ】。そして黒はこの世界で生きていかなければならない以上、現に存在する掟に従っていくまでだ。その掟は単純で、より強い者に止められるまでやりたいことをせよ、というものだ。
黒の哲学はあからさまで単純だ。黒は欲しいものは欲しいと思うし、それを得るためには必要なあらゆる手段を使うだろう。黒の最終目標は何か? 究極の権力、すなわち全能の力【omnipotence】だ。
●その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
この領域は黒が最も強みを持っていると自覚するところだ。他の色はどれも自身に制限を課している。ある色は肉体において、ある色は知性において、またある色は道徳において。黒はそのようなことはしない。黒は入手可能な道具なら何でも利用する。死、疫病、狂気。黒には禁止領域が存在しないのだ。メカニクスの点から見ると、このことが黒を破壊、とりわけ生物破壊、そして手札破壊の王者たらしめている。
次に、黒は魔法のためならどんな対価でも支払う意思を持っている。ライフの支払い、クリーチャーの生け贄、身体の一部を無作為に捧げること、黒はありとあらゆることをするつもりでいる。メカニクスの点から見るとこれが理由で、マナや起動型能力をより低い代替コストで活用することにおいて、黒の右に出る色はない。犠牲は見合うほど甚大であるが、それがために黒は何でもできるのだ。
また黒には、他者から搾取しようという意思が有り余っている。ある物を簡単に他人から流用できるという状況ならば、自分で労力を費やしてそれを作る理由などない。他人の所有物を横取りすることは、自分の力を証明する一つの手立てだ。これはメカニクスでは≪魂の消耗 / Consume Spirit≫【支払った黒マナの点数だけダメージを与え、自分はライフを獲得する、ドレイン呪文】や≪吸心 / Syphon Mind≫【各対戦相手は1枚手札を捨て、自分はその合計の枚数ドローできる、手札のドレイン呪文】などの効果に現れている。
暗黒陣営の同盟軍によって、黒は危険なクリーチャーの大軍を、そしてそれらは発狂していることも多いのだが、戦場に送り込み指揮することができる。このため黒は、危険性の高い、しかし強力な呪文を使えるのだ。黒はほとんど何でも利用することが可能だが、それには恐ろしい代償が常に要求されている。
これら闇の資源を掬い取ろうとする黒の意思は、それ自身を最も強力な色たらしめている。黒の最大の脅威は他の色からもたらされるのではなく、自身の内側から生じる。黒は最も内紛に陥りがちな色であり、比喩的にも逐語的にも両方の意味で、自分の悪魔に身を滅ぼされがちだ。
●その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
黒は権力を獲得しようとしている。黒の現在進行中の目的は、欲するものを獲得するためならば必要な手段は何でも利用する、というものだ。このため黒の表象には、【病気や倫理的堕落といったような】人生の負の側面の要素が数多く含まれている。
死。超道徳性【Amorality】。闇。腐敗。疫病。堕落。不純(汚染)。減退。騙し。策略。権謀術数【Machevelian thinking:『君主論』のマキャベリのような思考】。個人主義。計画的な破壊。他者の生け贄。自身の一部の生け贄。恐怖。処刑。自己陶酔。不死。
●その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
黒は自らの全ての注意関心を自分自身に対して集中させる。よって黒が憎むのは、またよりはっきり言えば全く理解できないのは、集団の要求を個人よりも優先させる者たちだ。自分自身のことを気にかけないような者を、いかにしてそうする気にさせることができるだろうか。彼らは脳足りんだが、それも非常に危険なものだ。
黒は次のように解釈している。道徳や精神性といったまやかしの産物によって動機付けられた生き物は、説得を受け容れることも正真正銘の苦悶を経験することもできない、と。したがって黒は、彼らが結束して黒の軍勢を圧倒する前に、先手を取って彼らを襲撃し滅ぼさなければならない。
●その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
白の中には、白痴の究極に至った色を黒は見出す。馬鹿げた制約を自分に課さなくても、人生は充分に厳しいものだ。だが白の魔道士は厚かましくも、その馬鹿げた規則を他の全員にも押し付けようとしている。忌々しいことに白の規則は、強者の負担で弱者を守るというものだ。こういった発想は広まる前に抹殺されなければならない。
青の中には、大局を理解する色を黒は見出す。支配という地位を維持することの重要性を青は理解している。もし青が、行動により多くの時間を割き、物事の分析をより短い時間でできれば、なお良いのだが。
赤の中には、自分の最大の関心事を恐れずに実行する色を黒は見出す。強者が弱者を淘汰することの必要性を取り込んだ色だ。不幸なことに、赤の遂行ぶりはあまりにも出鱈目だが。
緑の中には、任務達成のために不可欠な段階を踏むことができない色を黒は見出す。白と同様、緑は無意味な資質に対して非常な価値を置いている。緑の最大の欠点は、生命の価値を盲信していることだ。確かに生命は便利なもので、と言うのも多くの強力な呪文は結局のところ生け贄が必要だからなのだが、しかし緑は度を越している。
●その色の最高の長所と最大の欠点は何か?
黒の最高の長所は、その目的に進むのに役立つあらゆる資源を利用しよう、という意思である。黒はいかなる方策も拒絶しないし、またいかなる機会も見送ろうとはしない。この行動指針の短所は、ともすれば干渉すべきでない物事にも黒はしばしば干渉してしまう、というものだ。黒は、赤が僅差の次点だとはいえ、自滅の可能性が最も高い色だ。さらに、黒の個人主義は他者との関係を疎かにするので、黒は最も孤立した色となっている。行く手に障害が立ちはだかっても、黒には他に頼る者がいないことが多いのだ。
●黒い罠【Touch of Evil:アメリカの映画】
この厄介な問題に言及するのを避けては、黒を論じることはできないだろう。すなわち、黒は邪悪【evil】と同義だろうか、という問いだ。私は否と考える。確かに黒に関連付いた人々は邪悪たりうる。黒は明らかに最も邪悪に陥る傾向を持つ色だ。ほとんどの伝統的なファンタジーの邪悪な悪役は暗黒に堕ちていく。初期のマジックのフレーバーは明瞭に黒の邪悪を強調していた。だが、邪悪に走る高い傾向を持つことと、邪悪であることとは同じではない。以下に説明を続けさせていただきたい。
カラーホイールはゲームのフレーバーに構造を与えるために使われる道具だ。ホイールの各部分は各色として捉えられ、それぞれ異なった哲学を表象している。ある色が何らかの感情や意見を具体的に表現するとき、それはその色に特有のものとして表れる。ともすれば友好色はその表現されたものに共感するかもしれないが、彼らとて自分の共感を公然と表現するわけではない。すなわち黒が邪悪と同義でありえない第一の理由は、邪悪は黒に限られたものではない、ということになろう。
カラーホイール上のどの色にも、各色の哲学の名の下で邪悪な行為を犯す可能性がある。白は国家全体主義を作り出しうる。赤は過失の殺人を犯しうる。緑は物を暴力的に破壊しうるし、青は放蕩な盗みをしうる。邪悪は信条ではなく行動に従事するものなのだ。そして五色すべてが邪悪な物事を行なう可能性を持っている。
第二の理由は、黒が具体的に表現するものの中にも、善良な使い道を見出せるものが多く存在する、というものだ。例えば、黒は個人の重要性を強調する色だ。この個人主義が土台となって、資本主義や合衆国憲法などが作られた。利己的な行動にはそれに見合った善良な用途がある。時として、人には自分自身を実際に最優先させるべき局面が訪れるのだ。
第三の理由は、超道徳性【amorality】つまり道徳とは無関係であることは、不道徳性【immorality】つまり道徳的に好ましくないことと往々にして混同されている、というものだ。黒は道徳に反対しているのではなく、単に道徳は何の意味もないと考えているだけだ。道徳と無関係な者は、道徳的な行為と同様に不道徳的な行為も行なう可能性がある。
確かに、黒の魔道士は邪悪にしばしばなりうる。しかし色としての黒は本質的には邪悪ではない。黒の哲学の影響を受けているからと言って、その者が邪悪な行動を犯すはずだとは必ずしも言えない。そうであるからには我々は、黒が邪悪を表象しているとは言えないのだ。黒は他の色に比べて邪悪と足並みを揃えやすいかと問えば、確かにそうだ。黒は邪悪の潜在性をより大きく含んでいるかと問えば、確かにそうだ。だが、黒は邪悪そのものかと問えば、それは否だ。そしてこれは非常に重要な区別だ。
●黒衣の男たち【Men In Black:アメリカ映画。黒衣の男たちは都市伝説的な陰謀団として暗躍している】
さて、以前から証明されてきたことだが、ここから続くのは色の哲学の記事で最も物議を醸す部分だ。実践演習として我々が行なったのは、まず研究デザイン部の壁に巨大なカラーホイールを設け、次に人物や特徴を示した絵を、フレーバーに合致すると感じる色の部分へ率先して各自貼りつけていく、というものだ。我々が黒だと判断した登場人物たちを数名紹介しよう。
レックス・ルーサー【Lex Luthor:映画『スーパーマン』シリーズの悪役。ある時は悪の天才科学者、ある時は野心的な実業家、またある時は合衆国大統領】――漫画ファンとして私は、黒には超人的なヴィランを含めなければならないと感じていた。私がレックスを選んだのは、彼が他のどの悪役よりも、権力に対する純粋な欲深と渇望そのものの典型を示しているからだ。
バート・シンプソン【Bart Simpson:『ザ・シンプソンズ』の長男坊】――私はシンプソン家から毎回選出してきたので、その実践を今回になって打ち切る理由はどこにもない。バートの動機は純粋で自発的なものであり、文字通り一家の問題児だと言える。
ダフィー・ダック【Daffy Duck:ワーナーブラザーズの映画『Looney Tunes(邦題:ルーニー・テューンズ)』に出てくる黒いアヒル】――ダフィーは自分の優先事項が全て彼自身であると極めて明確に表現している。彼はアニメの登場人物が持ちうる限りの貪欲さと自己本位性とを有している。余談だが、ドナルド・ダック【Donald Duck:ディズニーアニメのアヒル】は自身の抑え切れない激情のために黒赤に分類されたが、もしその赤の要素がなければこの枠にはドナルドが収まっていただろう。さて私がダフィーを黒に加えた理由は、黒の哲学の主唱者で好感の持てるような人物を作ることは可能だろうか、としばしば尋ねられるからだ。ダフィーが無数のアニメ作品の中で第一線級であり続けたように、それは可能なのだ。
ジョージ・コスタンザ【George Costanza:アメリカNBCのドラマ『Seinfeld(邦題:となりのサインフェルド)』の登場人物。Wikiによると「ハゲで短気で卑屈、仕事を始めてもすぐに問題を起こしてクビになってしまう」らしい】――『となりのサインフェルド』ファンなら全員が証言していただけるだろうが、ジョージの取る行動はすべてジョージに関することだ。献身的な婚約者を不慮の死に追いやることになろうと、贈り物を買わずに済ませるために偽の慈善活動を企てることになろうと、自分自身という目的を前進させる名目で、ジョージは大いなる深淵に転落していくわけだ。
●暗転【Fade to Black:映像が終わる際の暗転をそのまま意味している。またメタリカ(Metallica)の作品の中に「Fade To Black」という生死を歌ったものがある】
さて、我々は色の週間を完結させる道程の八分目に達したことになる。ここで言及しておくが赤の週間は、青と黒の間隔よりかはもう少し早く迎え入れられるようにする予定だ。
来週も参加していただきたい。インターネットの至る所に立っている「マローは気違い」スレにあつらえ向きの燃料を投下するつもりだ。
その時まで君たちが、自分を第一に優先させるのは時として良い考え方だ、と学んでいることを願いつつ。
――マーク・ローズウォーター
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