今回訳出した記事には、2ちゃんねるの有志による翻訳があります。http://blog.livedoor.jp/sideboard_online/archives/50007322.html
 原文、翻訳ともに随分と昔の記事で、カラーパイの文献も当時に比べて増えましたので、新たに訳出しても了承していただけるだろうと思っています。

≪赤裸々な激情――今は行動! 考えるのは後で。≫
原題:Seeing Red ―― Act now! Think later.
Mark Rosewater
2004年7月19日
http://archive.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtgcom/daily/mr133
【「see red」は赤い布を見た牛が暴れ出すことから「激怒する」を意味する】

 赤の週間へようこそ! とうとう最終回だ。これはマジックの五つの色に専心する一連のテーマ週間、その五番目のものだ。過去の四週は『緑でいるのは楽じゃない』、『白光満ちる大通り』、『忠実なる青』、『腹黒さの中に』だ。これらの記事を未読の人は一瞥しておくことを強くお勧めする。

●もう一切れパイはいかがですか?
 各々の色の週間で私は、コラムを通じて各色のフレーバーと哲学を解説してきた。それを行なうために私が取り上げたのは、カラーホイールを刷新する作業に際して研究デザイン部のフレーバー・グルが考案した一連の設問だ。すなわち次のようなものだ。

・その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
・その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
・その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
・その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
・その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
・その色の最高の長所と最大の欠点は何か?

●その色の関心事は何か? その色にとっての最終目標は何か?
 各色の哲学はその色の世界観を中心に循環し展開されていく。そこで、赤は世界をどのように見ているのか、赤は何に価値を見出すのか、ということが問題になってくる。赤にとって人生は究極の冒険だ。赤が思うに、人生を最も満ち足りたものにすることは、あらゆる好機に乗じることを意味する。そしてこの目的に駆り立てられ至るための手法として、自分自身の感情よりも適切なものはないだろう。赤は腹を据えて行動し、心の赴くままに従う。嬉しいときは陽気に振る舞い、悲しいときは涙を流し、怒れるときは物を打ち砕く。人生は赤にとっては非常に単純明快なものだ。赤は感じるものをそのまま行なっている。
 この目的に到達するために、赤は行動を用いる。もし何かが赤の行く手を阻むなら、それを吹き飛ばす。もしそれが舞い戻ってきたなら、爆破する。赤は物理的暴力【force】を強烈に支持する。何かを変えたいならば、それを引き起こさなければならない。後でではなく、今すぐにだ。
 表面上は赤の目的は黒のそれと似通っているように見えるが、ここには肝腎な差異がいくつかある。黒が自分の欲する物事を行ないたいと渇望するのは、黒が権力の探求によって駆り立てられているからだ。黒は他人が制限されるかどうかは気にかけない。個人として欲する物事を行なえるなら、黒はそれで幸せなのだ。だが他方で赤は、すべての者は自分の欲する物事を行なう権利を持っている、と信じている。必ずしも赤その人に影響を与えるとは限らないような障壁であっても、ただそのような存在が好ましくないという理由から、赤はそれを取り壊そうと行動を起こすことがある。
 さらに、黒は極めて孤独だが、赤は非常に社交的たりうる。赤は自分の感情に従う。これら感情には、愛情、色情や渇望、仲間意識、そして友情といったものも含まれる。すなわち赤は他者に、少なくとも何らかの感情的な繋がりを持つ者に対して、気を配るのだ。赤は愛する者を助けたり守ったりするためには、火の中水の底へ躊躇わずに飛び込むだろう。しかしこのことから、赤がいくらか自分勝手ではない、とは言えない。感情はまさにその本質からして自分自身の要求を最優先させるが、これが意味するのはすなわち、赤は時として他人を気にかけうるということだ。
 結局のところ、赤の究極の目的は自由ということになる。誰もが、彼らがいかに望んでいようと、自由に行動できること、これが赤の願いだ。そしてこれを実現するためならば、赤はいかなる行動でも起こすつもりだ。

●その目標に到達するために、その色はどんな手段を用いるか?
 各色は目的へ向けて自身の魔法を傾注する。赤は迅速かつ物理的な回答を求める。もし何かによって赤が求める物を得るのを妨げられているなら、赤はその障害を容易に取り除くための能力を欲するようになる。こういった理由で、赤の魔法は天性からして非常に破壊的なものだ。直接ダメージ、アーティファクト破壊、そして土地破壊、このすべてがくだんの主題に結びついている。これらの魔法は赤にとって行動手段としての鈍器のようなものだ。特筆すべきはこれが理由となって、赤はエンチャントに触れる能力を持っていないということだ。エンチャント【enchantment、すなわち魅力】は実体を持たないので、赤はそれを爆破する術を知らないのだ。
 赤の魔法に見られる第二の主要な特色は、赤の短期的な思考だ。感情は本質からして衝動的なもので、まさに「たった今この瞬間」におけるものだ。だから赤には、行動を今起こすものの、後ほど結果として派生してくるであろう物事については考慮しない、このような傾向がある。つまり赤は長期的には弱みを抱え込むが、それを費用として短期的な利益を得ようという魂胆を持っている。例えば赤は、呪文をより素早く唱えるためならば資源を投げ出すのを厭わない、それが最も顕著な色だ。赤はファストマナという、≪煮えたぎる歌 / Seething Song≫のような一度限りのマナ加速を生み出すカードに最も長けているし、また軽いマナコストで大きな代償を持ったクリーチャーを有している。全ての色の中で赤は明白に、最も素早く勝利するように労力を傾けられた色だ。
 第三は、赤は無作為性に喜んで応じる傾向があるというものだ。これはある点では組織に対する赤の憎悪から来る反応であり、また別の点では赤は大きな危険性を冒しやすいことの帰結でもある。こうした理由から、コイン投げや高い危険性のメカニクスが赤に見られるし、さらに、赤が混沌を生み出す呪文を好き好んでいるというわけだ。
 最後に、赤には茶目っ気のある一面がある。他の色が自分の目的を達成するために非常に真剣になる傾向を持っている一方で、赤は楽しさを持つことの重要性を理解している。そこで赤は混沌を楽しむ。そして赤は他の魔道士の魔法を台無しにするような魔法を好んで使うし、また、魔法を想定されたものとは違ったように作用させるような魔法をも気に入っている。これは我々がカラーホイールの再分配を行なった際に、研究デザイン部によって取り入れられた領域だ。一時的に物事を台無しにするものは全て赤へと移植され、長期的な操作は青に留まった。例えば、対象を偏向させる呪文、青の≪偏向 / Deflection≫は赤の≪分流 / Shunt≫となり、一時的にクリーチャーを奪取する呪文、青の≪命令の光 / Ray of Command≫は赤の≪脅しつけ / Threaten≫となった。
 数多くのカジュアルプレイヤーが赤に惹き寄せられるのも、赤が純粋に楽しもうとしている色だからだ。赤は深い思索や緻密な判断を過剰に要求するわけではない。クリーチャーを召喚し、攻撃し、相手を吹き飛ばす。これこそまさに赤の好きなやり方だ。

●その色の関心事は何か? その色が表象するものは何か?
 赤が気にかけるのは、自分自身や自分の大切な人を幸福にすることだ。赤はいかなるものからも邪魔な干渉を受けることなく人生を過ごしたいと思っている。この責務を達成するためならば、赤とは異なった規制の下で抑制されている者なら気が進まないような物事であっても、感情の力を用いて赤は実行に移すことができる。こういった事情から、赤が表象するのは次のようなものになった。
 感情(とりわけ非常に煽り立てられたもの。攻撃性、激怒、情熱、憤激など)。衝動。暴力。粗野。実力(問題を腕力で解決する)。破壊。混沌。四大元素の火と大地(またそれに関連した破壊的な自然の要素。稲妻、炎、地震、土崩瓦解、砂嵐など)。戦闘。軍隊。無作為性。自発性。博打。享楽主義。野蛮。

●その色が軽蔑するものは何か? その色を否定的な方向に駆り立てるのは何か?
 赤は自分が望むことをしないよう命じるもの全てを嫌っている。特に規則だ。赤は規則を嫌っている。それはもう、とんでもないくらいに嫌っている。他の誰かがあることをしてはならないと赤に命じるのには、一体どういった根拠があるのだろうか。彼らの行ないは筆舌に尽くしたい暴挙だ。このことから赤は組織一般を嫌っているが、それと言うのも組織は規則をもたらすからだ。
 加えて、赤は感情の重要性を損なわせるもの全てを嫌っている。赤の理解では、感性こそが存在の核心だ。これを放逐させるようなものは、赤からは個人への攻撃と見なされる。

●その色が友好色を好み対抗色を嫌うのはなぜか?
「喋るよりも吹っ飛ばすべきだ」
 赤は規則と組織を嫌っている。だがそれは白が愛して止まないものだ。もし白が自分の手法を貫けば、赤はやりたいことを何もできなくなってしまうだろう。赤の出す回答は非常に簡明だ。馬鹿げた規則をこれ以上作る前に、白を破壊し尽くしてしまうのだ。
 赤が規則と同じくらい嫌っているものを挙げるならば、それは思索というものになるだろう。思索は問題以外の何物をも生じさせ得ない。そして青は非常に深遠な思索に耽る色だ。だが更に悪いことに、青は思索を重視するだけでなく、感性を軽視している。仮に青が自分の手法を実現するようなことになれば、誰一人として感情を表現するためには声を上げなくなるだろう。幸運なことに青に対する解決策は白に対するものと同じであって、つまり、吹き飛ばしてしまうというものだ。
 黒は赤と同じく、望むように振る舞える自由を持つことを楽しみ、また破壊に価値を見出してもいる。黒はもう少し衝動的になり、深く考え込まないようになるのが望ましい。
 緑は衝動を理解している。もっとも緑はそれを本能だとか何だとか呼んでいるが。さて、緑は自分のやりたいように行動する。緑に玉に瑕なのは、時として自分自身よりも他人の要求を優先させようという気概を持っていることだ。友人や恋人が相手なら赤にも理解できるが、緑は見ず知らずの生き物に対してさえそれを行なおうとする。

●その色の最高の長所と最大の欠点は何か?
 赤の最高の長所は、素早く行動し対戦相手を圧倒できるという能力にある。また【速攻クリーチャー、歩く火力、≪騙し討ち / Sneak Attack≫のように】「ひょっこり現れて引っ掻き回すこと」を得意とし、その予測不可能性が赤を危険な敵たらしめている。赤のやり方の短所は、その迅速な攻撃が首尾よく作用しなかった場合、赤自身が窮地に追いやられるという点にある。赤は「終盤戦」を見据えるような習慣を持っていない。もし対戦相手が最序盤の猛攻撃を凌ぐことができれば、赤は大抵の場合大いに悩まされることになる。

●火車の帳簿【In the Red:「赤字の」を意味する熟語。イギリスの作家マーク・タヴナー(Mark Tavener)による同名の小説がある】
 各色を論じるに当たって、その色に最も密接な課題だと判断するものを私は取り上げてきた。赤に関して言うと、私は赤が最も誤解された色だと考えるのだが、その理由をいくらか述べていきたいと思う。赤に対する一般的な解釈は、間違っているわけではないにしても、あまりにも狭すぎる。確かに赤は破壊が好きで、物を吹き飛ばすのが好きで、それでいて激昂しかねないような色だ。だがこれは赤の一面でしかなく、いくらかの誤った憶説をもたらしさえするだろう。以下にそういった解釈の具体例をいくつか挙げていく。
 赤は馬鹿だ――確かに、赤は思索の色ではない。だがこれは赤が知恵遅れだということにはならない。赤は感情的で、近視眼的で、衝動的だが、これらの中には知性と互いに相容れられないものは含まれていない。赤は非常に聡明な人物を擁することが可能であり、また実際に擁している。例えばウェザーライト・サーガ【WTH~APCの背景ストーリーの総称】のターンガースとスクイーは、二人とも知的な赤の登場人物だ。
 赤はガキ大将だ――マジックは決闘のゲームなので、色が戦闘に対峙したときの様相をカードは際立たせがちだ。赤にとってそれは、怒りのようなより攻撃的な感情を取り扱うことを意味する。これが威張り散らしたガキ大将のように赤を見せてしまっている。しかし公平を期して述べると、確かに赤は往々にして攻撃的だと言えるが、そうでないような構成要素をも多く持っている。例えば赤は情熱と気力の色であるし、芸術や詩歌の大抵の様式の生まれ故郷でもあるし、また非常に紳士的な側面さえもある。これらは単純にマジックのカードで表現できるような類のものではないのだ。
 赤は単純だ――赤が思索を好んでいないからと言って、それは赤の哲学が単純化されたものだという理由にはならない。例えば感情は極めて複雑なものだ。また、白の秩序や青の知性に対応する赤の二つの基本的な対立要素、つまり混沌と感情とを見れば、両方とも非常に入り組んで難解なものだと了承していただけるだろう。
 私が気づいたのは、赤は探求するのが最も興味深い色の一つだということだ。赤の動機を理解するのは容易だが、解釈し説明するのは困難だ。さらに赤には、決闘の場ではあまり意義がないために、マジックのゲームでは見落とされてしまうような数多くの側面がある。本日のコラムを通じて君たちが、赤がどういった動機から行動するかに関して、これまでとは別の視点を持っていただければ幸いだ。

●レディ(アンド・マン)・イン・レッド【原文ではLady (and Men) In Red。クリス・デ・バー(Chris de Burgh)の音楽作品に『The Lady in Red』という題名のものがある】
 私の「各色に登場人物を配属させる」実習を抜きにしては、おそらく色の哲学は成り立たないだろう。研究デザイン部がこの実験を行なったのは、我々がカラーパイの考察に取り掛かっている最中でのことだった。この項目は私が書いてきた色の記事で最も物議を醸している箇所だ。そうであるからには、今回で打ち切りにする理由はどこにもない。以下に私が赤に割り振った登場人物を数名紹介していこう。
 ロミオとジュリエット【Romeo & Juliet:シェイクスピアの戯曲。宿敵同士でありながら恋に落ちた二人は、悲劇的な結末を迎える】――これはまさに、典型的な赤い物語だ。二人の少年少女が情熱に燃え上がり、自らの身を滅ぼしてしまう。もし彼らのどちらか一方がもう少し青ければ、このような悲劇にはならなかっただろう。
 ホーマー・シンプソン【Homer Simpson:恒例の『ザ・シンプソンズ』枠。一家の父親】――シンプソン一家の五人はそれぞれ異なる色である、私はそういう主張をしてきた。注意深く『ザ・シンプソンズ』を見ると、ホーマーは一家の中では赤い人物だということに了承していただけるだろう。彼は感情的な要求や願望に非常に強く突き動かされている。彼が混沌を作り出すのは、黒い息子のバートのように他人が困るのを見て楽しみたいからではなく、彼の平常の振る舞いが有機的構造を分解させる作用を持っているからだ。またホーマーの冒険は権力のためのものでなく、むしろドーナッツのためのものだと言えよう。
 放浪者グルー【Groo, the Wanderer:マーベル社の漫画作品】――ドーナッツではなくチーズディップのために動いているグルーは、ホーマーと多くの共通点を持っている。最大の相違点は、グルーはより大きな混沌を作り出すということ、そして彼の通った跡には破壊が残されるということだ。余白注記になるが、興味深いことに≪ラースのスターク / Starke of Rath≫【タップでアーティファクトかクリーチャーを破壊できるが、対戦相手にコントロールが移ってしまう赤の伝説のクリーチャー】の仮称は「放浪者グルー」だった。
 ワイリー・コヨーテ【Wile E. Coyote:ワーナーブラザーズのアニメ映画「ルーニー・テューンズ」シリーズの聡明な犬。アクメ社をお気に入りとする。ロードランナーという鳥を捕食しようと八方手を尽くしている】――これほど情熱的なアニメキャラが、かつていただろうか。彼は【ロードランナーの生け捕り】たった一つだけ望んでいて、彼の冒険を何ものにも、冒険に付き物の巨石だろうと、列車だろうと、機能不全に陥ったアクメ社の製品だろうと、邪魔させまいとしている。ともすれば読者の中には、彼は思索家で青ではないか、と考える人がいるかもしれない。だが私が言及しているのは五〇年台の作品の彼であり、その時期彼は一度ロードランナーを捕獲できたのだ。そう、彼はあの鳥を生け捕りにしたことがあるのだ。彼は思索家と言うには【行動的すぎて】相応しくない。むしろ不合理で、執着心を持った、泥臭い、そんな赤い登場人物だと言えよう。

●激情の中で【原文は前出と同じくIn the Red。A Global Threatというパンクバンドが00年に同名の音楽作品を発表している】
 読者諸兄、これで赤の記述は終わりだ。なんとまぁ、五色とも無事に終わることができたことよ。それも僅か22ヶ月で済ますことができた。
 来週もまた参加していただきたい。プロツアー特集を行なう予定だ。
 その時まで君たちが、感じるがままに行動することを願いつつ。

――マーク・ローズウォーター

コメント

運び屋
2015年3月22日1:12

翻訳お疲れさまです。シリーズ通して楽しく読ませていただきました。役割の移動は知っていましたが、こういう背景があったのかと勉強になりました。今回の記事ですとマナ加速を刹那的と捉えれば赤に移動したのも納得です。そしていまさらではありますがリンクさせていただきました。よろしくお願いしますm(__)m

どえらいもん
2015年3月23日0:56

>>運び屋さん
こんにちは。何か一つでも了解できる契機になったなら幸いです。気になるカラーパイの記事はまだあるので、改訳が中心になりそうですが、もうしばらく続けていく予定です。こちらこそよろしくお願いします。

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索