内容からしてマジック初心者向けの記事だと思われますが、≪基本に帰れ≫ということで、熟練プレイヤー諸兄も一読していただければ幸いです。
≪再掲企画「忘れられた知識」:マジックにおける十の知的拘束――憶測と習慣の克服によるプレイングの改善≫
原題:Forgotten Lore:10 Mental Locks of Magic ―― Improving your play by challenging your assumptions and habits
Mark Rosewater
2004年10月11日
http://archive.wizards.com/magic/magazine/article.aspx?x=mtgcom/feature/234
【訳注:段落が少なく冗漫な印象を受けたので、適宜改行を施しました】●編集部注
マーク・ローズウォーターは現在ウィザーズ社に常勤職を持っており、マジック界の名士として周知されているが、実は彼は入社以前から、マジック初の雑誌「デュエリスト誌」の執筆者としてマジックに携わっていた。私が今年初めから「忘れられた知識 / Forgotten Lore」と題した再掲企画を起こしたのも、デュエリスト誌収録の最良品質の記事に日の目を見せる機会を設けたかったからなのだが、その企画段階で私が彼に「この時期で特に出来が良いと思う記事は何かあるか?」と聞いたところ、彼はこの記事の題名を即座に挙げたのだった。この企画で挙げられた他の記事の中には、当時の特定のカードに言及しているものもあり、ともすればそういった記事は今では時代遅れで埃まみれのものかもしれないが、しかしながら、この記事はマローの考えるところでは、原文発表から九年経った時点でも真実として通用するようなものに仕上がっている。
読者諸兄が今回の記事を読むことで、過ぎ去りし日々への情景を楽しんだり、古風な文献に微笑みを向けたり、そしてその過程で何か有用な助言を得ることになれたなら、編集者冥利に尽きる限りだ。
――magicthegathering.com知的財産管理人、スコット・ジョーンズ
本稿の初出は1995年出版のデュエリスト誌第4号である。以下に全文を再掲する。
平凡なマジックプレイヤーは、非常に優秀なマジックプレイヤーから何によって隔てられているのだろうか?
所有するカードの枚数だろうか? 否。優秀なプレイヤーなら構築済みデッキと拡張パック数個さえあれば十分渡り合えるものだ。単なる蒐集家にとっては、そういったプレイヤーに対して二本連続で勝てたなら、極めて運の良いことなのだ。
ゲームのメカニクスに対する知識だろうか? 確かに馴染み深いということは一助になるが、しかしながらやはりこれも、勝つための鍵ではない。仮にそうだとすれば、ジャッジのように規則に詳しいプレイヤーが常勝しているはずだが、実際は必ずしもそういうわけではない。
では、平凡なプレイヤーと優秀なプレイヤーとの間にある分水嶺は、一体何なのだろうか? プレイヤーの考え方である、というのが私の意見だ。あまりにも往々にして、プレイヤーは存在しない規則を勝手に作り出すことによって自分自身に枷を嵌めている。ロジャー・フォン・イーク氏の『自分の頭の側面を見る方法 / A Whack on the Side of the Head』に謝意を示しつつ、その本の叙述に倣って、以下にマジックにおける十の「知的拘束」を挙げていこうと思う。
●1:「大きければ大きいほどヨリ優秀だ」
こういった知的拘束は、入門者に対して容易く観測できる。彼らが初めて構築済みデッキを開封する場面を見てみよう。彼らは≪ベナリアの勇士 / Benalish Hero≫や≪スケイズ・ゾンビ / Scathe Zombies≫やマーフォークを流して見ているが、≪大喰らいのワーム / Craw Wurm≫のところで手を止める。「すっげぇ、6/4だ!」――彼らにとっては使わざるを得ないというわけだ。考えの筋道そのものは非常に理に適っているように一見したところ思われる。つまりクリーチャーが大きいほど、対戦相手のライフを無くすための手数は少なくて済み、ゲームを素早く決着させられるのだ。
そして、この「大きいほど短期決戦に持ち込める」という発想はクリーチャーだけに留まらない。「≪破滅のロッド / Rod of Ruin≫は1ターン当たりたった1点ダメージなのか。≪アラジンの指輪 / Aladdin’s Ring≫は4点だって言うのに」――「≪粉砕の嵐 / Shatter Storm≫なら全部のアーティファクトを壊せるんだから、≪粉砕 / Shatter≫は要らないや」――「このデッキに≪飛行 / Flight≫を入れたら、≪炎のブレス / Firebreathing≫と≪Lance≫と≪穴掘り / Burrowing≫と相まって僕の≪丘巨人 / Hill Giant≫は大変なことになるぞ!」――こういった具合に、アーティファクト、呪文、エンチャントへと拡張していってしまう。どの事案についてもこのプレイヤーは、大規模な資源こそが勝利をもたらすという誤謬に囚われている。
この考え方が放棄しているのは、ヨリ大きなカードや効果を得るために対価として支払うべきもの、それへの考察だ。【すなわち当人は失念しているのだが、】彼らは増長された力を手にするために、制御における損失を対価として受け入れなければならない。
大型クリーチャーを例に取ってみよう。それらはいずれも著しいほどに、重い総呪文コストや厳しいアップキープコストが課せられているものだ。そうであるからには、大型クリーチャーやその増長された力を充てにすることは、制御を失うこと、すなわち幸運に多く依存することを意味する。
大味なアーティファクトについても同様であって、重い総呪文コスト、さらには重い起動コストが課せられていたり、使用条件が設けられていたり、回数が限られていたりするものだ――≪アラジンの指輪≫は唱えるにも起動するにも八マナ必要であり、≪Rocket Launcher≫など戦場に出てすぐに使えるわけではない代物も多く存在し、ほとんどの状況において≪ネビニラルの円盤 / Nevinyrral’s Disk≫は使い捨てだ。
制御を失うことは、大規模な効果を引き起こす呪文のほとんどに明白に表れている。自分の安否が戦場に出ている特定のアーティファクトの維持にかかっている状況では、すべてを破壊してしまう≪粉砕の嵐≫は小回りの利かない役立たずになってしまうのだ。
最後に挙げた≪丘巨人≫の例は、私が「お手製の / make your own」種類と呼ぶものだ。大型クリーチャーを唱えるのでなく、代わりに小型クリーチャーにエンチャントを何枚も貼り付ける、そういうのが好みのプレイヤーが一定数いるのは事実だ。彼らはそのクリーチャー単独でゲームに勝てると思っている。やはりここでも制御の低減が、可変性の強化と引き換えに生じてくる。一体のクリーチャーに勝敗が左右されてしまうという構造は、多くの色に渡ってそのクリーチャーを破壊できるような呪文がありふれている場合に、悩ましい事情になってくる。
なるほど確かに、大型クリーチャーや大規模な呪文にはその役割があるが、それを使うためにはヨリ小さな、ヨリ軽いカードをも採用して釣り合いを取る必要がある。「十ターン目に自動的に勝っちゃうデッキを持ってるんだけどねぇ、何が足りないかって言うと、僕をその分だけ生き永らえさせてくれる対戦相手なんだよねぇ」――友人がかつて言っていた冗談は、この第一の知的拘束に基づいたデッキ構築の欠点を見事に表現していると言えよう。
●2:「レアカードの方がヨリ優れている」
交換の場においてレアカードは、非常に価値のあるもの、すなわち数枚のアンコモンないし大量のコモンに相当するものとして扱われる。また【――原文発表当時はウェブの普及が不完全だったので――】レアカードはその存在自体があまり知られていないので、神秘的な雰囲気や胸躍るような雰囲気を醸し出しているものだ。以下のような魔法の問い掛けを耳にする楽しさは、多くのプレイヤー諸賢が経験から知るところではないだろうか――「そのカード、どういう効果ですか? ちょっと見せてもらって良いですか?」
だがプレイヤーがレアカードの交換価値を使用価値の重要性を混同してしまう時、問題は生じてくる。マジックの生みの親リチャード・ガーフィールドが度々言明してきたことだが、稀少度とカードパワーは必ずしも正比例の関係になっていないのだ。
具体例として白のコモン≪ベナリアの勇士≫と緑のレア≪森林狼 / Timber Wolves≫を挙げよう。色やクリーチャータイプの違いを除くと、この二枚は全く同じ性能、1マナ1/1のバンド持ちだ。確然的に明らかに、【この二枚だけの間では、】どちらか一方が他方よりもヨリ強力だということにはなり得ない――どちらも同じ性能のカードだ。では、なぜ≪森林狼≫はレアなのか? バンド能力は緑の役割ではないから、というのがその理由だ。事実、リバイズド版においては≪森林狼≫が緑では唯一のバンド持ちクリーチャーだ。この独自性こそ、その稀少度としてレアを規定する要素なのだ。
この第二の知的拘束を克服するためには、特定のデッキで有用性があるわけでないなら、【レアカードを新しく採用したいがために】屋台骨のカードを不採用にするようなことは止めるべきだ。確かに、時としてプレイヤーは自分の片腕であるカードを特定のレアカードのために手放すことがあるかもしれない。しかしそうして手に入れたレアカードがどのデッキでも役に立つとは限らないのだ。
●3:「カードの使い道は一つだけだ」
新しい呪文を目の当たりにした時、プレイヤーは通常、それがどのようにプレイされるカードなのか判別しようとするはずだ。この第三の知的拘束が言い表しているように、不幸なことにプレイヤーの多くは、カードの使い道を一つ見つけてしまうとそこで探求を終えてしまう。
基本土地タイプを書き換えるエンチャント≪幻影の地 / Phantasmal Terrain≫を例に取ろう。ともすればこのカードからは、自分の土地に使って必要な色マナを生産するという役割を見出せるだろう。そしてもしこの呪文を「変テコな」カードだと思って、そそくさと次のカードへ目移りしてしまうのだとすれば、そのプレイヤーは≪幻影の地≫の他の使い道に気付かず仕舞いということになる――土地渡りの補佐であったり、エンチャントそのものであることを活かしたり、特殊地形を無効化したり、対戦相手の特定の色マナを締め上げたり等々、他にもあるのだ。
プレイヤーは自分の探し求める物のみを見つけ得るのだから、この知的拘束への対抗策は「自分の期待や予測に幅を持たせる」ということになる。自分が熟知するものであっても、どの呪文にも他の用途があるのだと肝に銘じて、その後でカードに視線を向けるべきだ。マジックの白熱した楽しみは多くがプレイヤーの創造性にかかっている。創造的なプレイングは試合をヨリおもしろくするだけでなく、競技的な激しさをも追加し得る。どのプレイヤーもX火力呪文である≪火の玉 / Fireball≫で勝利を収められるが、ダメージ軽減アーティファクトの≪保護器 / Conservator≫でそうできるプレイヤーは極僅かしかいない。
●4:「自分の前向きなカードを対戦相手に対して使わない」
一般的に、プレイヤーはマジックの呪文を二つに分類する。「前向きな / positive」ものと「後ろ向きな / negative」ものだ。前向きな呪文は≪邪悪なる力 / Unholy Strength≫のように有益な結果をもたらし、後ろ向きな呪文は≪衰弱 / Weakness≫のように破滅的な結果をもたらす。普段から前向きな呪文は自分のために備えておき、後ろ向きな呪文は対戦相手のために取っておく。これは誤謬なのだが、マジックでは非常に流布した考え方でもあるので、プレイヤーの間に二つの知的拘束を作り出している。その原因はまさに、ある種の性質は良くて別の種の性質は悪い、という発想そのものに根付いている。
例として≪飛行≫を考えてみよう。飛行クリーチャーは攻撃の際には対戦相手の地上クリーチャーを無視でき、防御の際には地上空中どちらのクリーチャーにも対応できる。なるほど、なかなか良い能力だと思うだろうか? だが、そこに落とし穴がある。時には飛行持ちであることが枷となりうるからだ。先に≪飛行≫を使っておいて、その後で例えば≪ハリケーン / Hurricane≫や≪Earthbind≫を唱えれば、その≪飛行≫が付いたクリーチャーは破壊され得る。そのクリーチャーが対戦相手のコントロールする厄介なやつだとしたら、自分の前向きな呪文をそういう風に使うのも、そんなに悪くはないと思わないだろうか?
留意しておくべきことだが、エンチャントのコントローラーのみがそのエンチャントの起動型能力を起動できる。例えば君が≪再生 / Regeneration≫を対戦相手のクリーチャーに対して使った場合で、そのクリーチャーが破壊されようという状況になった時、その殺生与奪の権限は対戦相手でなく君の方にあるのだ。このプレイングが君にとって有利になるのは、≪ロック鳥の卵 / Rukh Egg≫や≪Blazing Effigy≫など、君からすれば墓地送りにしたくないクリーチャーを対戦相手がコントロールしている、そういった状況においてだ。
いかなる呪文であっても、その影響は自分自身だけでなくゲーム中の全てに及ぶのだと捉えるべきだ。場合によっては、対戦相手の≪放浪熱 / Wanderlust≫付きのクリーチャーを生かすために≪治癒の軟膏 / Healing Salve≫を唱えたり、≪恐怖 / Terror≫と≪魂の鎖 / Creature Bond≫の組み合わせの間に≪巨大化 / Giant Growth≫を挟んだり、あるいは対戦相手の≪茂みのバジリスク / Thicket Basilisk≫と≪寄せ餌 / Lure≫に対して≪ドワーフ戦士団 / Dwarven Warrior≫の能力を使ったり――このように前向きな効果を対戦相手に対して使うことが、大局的には有効な指し手となりうるのだ。
鍵となるのは、自分の知性をあらゆる可能性に対して開かせておくことだ。そしてここから、次の知的拘束が導かれてくる。
●5:「自分の後ろ向きなカードを自分自身に対して使わない」
先述の「前向きな」呪文と同様に、カードに対する評価はそれが引き起こし得る結果に基づいて下されるべきだ。例として≪衰弱≫を挙げよう。これを自分のクリーチャーに対して使うのはアドバンテージの損失としか思えないかもしれないが、対戦相手が≪弱者の石 / Meekstone≫をコントロールしているなど、自分がヨリ低いパワーのクリーチャーを必要とする盤面では、有効打になるかもしれない。
自分に対して後ろ向きな呪文を唱えることには、プレイヤーは不断に慎重を期している。この知的拘束を打開する鍵は、最も破壊的な呪文から有用な使用法を探してみることだ。例えば、対戦相手に追い詰められている状況下での咄嗟の延命手段として自分の≪大喰らいのワーム≫に≪剣を鍬に / Swords to Plowshares≫を唱えたり、≪煙幕 / Smoke≫を回避してアップキープ中にアンタップさせるために自分の≪シヴ山のドラゴン / Shivan Dragon≫に≪麻痺 / Paralyze≫を付けたり、≪Oubliette≫で自分の≪セラの天使 / Serra Angel≫を隠してから≪天秤 / Balance≫を唱えて対戦相手のクリーチャーを皆殺しにしたり、等が考えられる。
マジックにおける高揚感は、カードの予想外な使い方を、それも遠回りで素直でないものを見出す時に感じられる。実際に見つけるのは容易ではないが、探してみるとかなり楽しく思えるものだ。
●6:「定石に則ること」【Don’t Forget The Order】
メインフェイズにおける定石的な手順はそれほど長くないものであって、それは一試合か二試合ほど観戦すれば了承していただけることだと思われる。すなわち、まず土地を出せるなら出して、次に唱えたい呪文があれば唱えて、最後にクリーチャーで攻撃を行なう――この手順は単純明快であって、実に覚えやすいものだ。しかしながらこれは規則として定められたものではない。
往々にしてこのような定石的手順は、次のような漫然とした意識を引き起こす。つまり、「土地というのは出したその瞬間から利用できるのだから、メインフェイズの最初の一手として出すのが正解だろう。戦闘で影響を与える呪文が手札にあるのなら、それを全部先に可能なだけ唱えてしまって、他にすることが無くなったなら、晴れて攻撃宣言しよう」といったものだ。しかしながらこの知的拘束の要点は、まさにこのような習慣の危険性にある。人間の意思決定は、思考的にというよりかは無意識的に行なわれるものだ。その結果としてプレイヤーの多くは、自分が可能なほどには効果の高い指し手を打てていない。設計の段階からして、マジックは反応のゲームである。いずれのプレイヤーも、他のプレイヤーの反応に基づいて行動を決定する。そうであるから、対戦相手を寄せ付けない最善の策は、自分がどのような対応をし得るかに関して対戦相手に悟られないよう努めることだ。このような理由からメインフェイズは今後の行動の準備段階である一方で、自分の対応に関する予測不可能性を最大化させるべきものなのだ。対戦相手に読み違いをさせ、資源を浪費させることこそがここでの狙いだ。
例えばもし君が何か重要な呪文を唱えたいのなら、おそらくは攻撃が終わった後で唱える方が成功しやすいと思われる――というのも、対戦相手のリソースは戦闘後の時点の方がヨリ低くなっているはずだからだ。あるいは君が有用な特殊地形を戦場に出したいなら、盤面によっては追加の呪文を引いて手札の火力を整えてからの方が無事に着地できるかもしれないのだ。
こういった柔軟性を駆使することで、対戦相手の防御を突き崩すことができる。些細な想定外の事であっても、それは長続きしてゲームの後々まで響き得るものだ。
●7A「出来るだけ早い内からカードを使わなくては」あるいは、
●7B「出来るだけ長くカードは残しておきたい」
プレイヤーは上記いずれかの極端に陥りがちだ。前者は呪文を使えるようになった時にすぐに使ってしまい、後者は有用な呪文は出来るだけ長く手札に残しておこうとする。まずは「今すぐに使わなくては」の思考態度から詳らかにしていこう。このやり方でリソースを戦場に送るのは有用たりうることで、序盤からアドバンテージを獲得できるのだが、だからと言って、唱えられるようになった呪文を片っ端から目暗に使っていくべきだとはならない。
具体例として、君の手札に≪ほとばしる魔力 / Mana Flare≫がある時を考えてみよう。これは各プレイヤーの全ての土地のマナ生産量が二倍になる全体エンチャントだ。そして君がこれを唱えるべき状況は、以下のように思われる場合に限られる――「土地一つから供給される余剰の一マナを、対戦相手よりも自分自身の方がヨリ活用できる」と。
別の例をとして≪稲妻 / Lightning Bolt≫を挙げよう。自分への利得が最大となるのは、≪稲妻≫を今すぐ唱えた場合だろうか、それとも後の好機を窺った場合だろうか。ゲームの展開がどうなるか、考えてみていただきたい。小型クリーチャーの大群が今にも立ち現れそうだと思うなら、≪稲妻≫は即撃ちせず手札に残しておくべきだろう。というのもインスタント、インタラプト【現在はインスタントに統合】、ファストエフェクト【インスタントタイミングでスタックに乗る呪文や能力】、これらはどの瞬間でも使うことができるので、使用の機会を逸する心配は少ないからだ。
では「呪文を残しておきたい」とするプレイヤーはどうだろうか。今しがた述べた助言になぞらえると、この種のプレイヤーは次のように恐れている――呪文を今唱えてしまうことで後のヨリ良い好機を逃してしまうのではないか、と。これは合理的な配慮であるが、しかしヨリ大きな脅威、すなわち対戦相手に対して今この瞬間に隙を見せる判断でもある。通常の小型クリーチャーは今このターンに唱えられた≪稲妻≫によって即座に焼かれれば、それ以降君に対して何ら影響を及ぼさない存在に変わり果てるはずだ。
この七番目の知的拘束を克服する鍵は、バランスだ。君は呪文をいつでも使えるように備えておくべきだが、しかしそれを無駄遣いしないよう配慮もするべきなのだ。
●8:「対戦相手を叩かなくては」
主流な勝利条件は対戦相手のライフをゼロにすることなので、「対戦相手を叩ける機会は全て物にするべきだ」という知的拘束には多くのプレイヤーが陥っているところだ。これに関して留意すべき点が二つある。
第一の留意点は、攻撃と防御のバランスを取ることだ。対戦相手に直接ダメージを与える企ては、往々にして自分自身をクリーチャーの攻撃に対して無防備にしてしまう。初心者がよく犯す間違いの一つに、1/1のクリーチャーに対して≪火の玉≫を使うのを躊躇ってしまう、というものがある。彼らはそのクリーチャーを脅威として捉えていないので≪火の玉≫を対戦相手本体に向けて唱えるのだが、そうして生き延びた1/1のクリーチャーが着実に攻撃を重ねてきて、結果的に自分のライフの半分を奪っていった、という結果に行き着くこともあるのだ。
第二の留意点は、対戦相手に長期間に渡ってヨリ多くの損害を与える手段の方が、短期間でライフを失わせる手段よりも多い、ということだ。例えば、ゲーム序盤に唱えるならX火力の≪分解 / Disintegrate≫よりもX手札破壊の≪精神錯乱 / Mind Twist≫の方が後の展開に影響を与え続けるものだ。≪枯渇 / Mana Short≫による一ターンの土地拘束は≪火の玉≫という火力呪文ではできないやり方でプレイヤーを救うかもしれない。そしてマナ基盤の薄い色を的確に狙った≪石の雨 / Stone Rain≫は、対戦相手の手札を腐らせて≪稲妻≫数枚分の仕事をすることさえあり得る。
この知的拘束に対する鍵は、ゲームを全体として、総体的に、大局的に考えることだ。対戦相手に直接ダメージを与える呪文は差し当たっては良好な代物に感じるかもしれないが、そのツケが後の展開に響いてくるかもしれないのだ。
●9:「パーマネントを生け贄に捧げるべきではない」
次の五枚の共通点は何だろうか――≪エイトグ / Atog≫、≪ラト=ナムの賢人 / Sage of Lat-nam≫、≪Elder Spawn≫、≪恐怖の中の恐怖 / Horror of Horror≫、≪アシュノッドの供犠台 / Ashnod’s Alter≫――読者諸賢もこれらが使われるのを頻繁に見かけるということはないだろう。なぜならばこれらのカードは全て、平凡なプレイヤーが疫病に対してするかのように忌避して止まない行為、すなわち生け贄を必要とするカードだからだ。彼らはこう不思議に思っている――「クリーチャーやアーティファクトや土地や手札を犠牲にしなければロクな働きをしない、そんなカードを使う理由がどこにあるんだろう?」――その答えは三つにまとめられる。
第一の理由は、自分のデッキの外にある資源を搾り取ることができるからだ。例えば、君は≪Rocket Launcher≫の能力を起動してしまったとしよう。≪Rocket Launcher≫はそのターン終了時には墓地送りになってしまう。その前に≪エイトグ≫に食べさせてあげれば、君は二点分の打力を損失無く手にすることができる。別の例を挙げよう。ゲーム終盤で対戦相手が君の≪センギアの吸血鬼 / Sengir Vampire≫を殺したという状況だ。君がそれまでに≪恐怖の中の恐怖≫を出していれば、手札に余っている沼カードを捨てて≪センギアの吸血鬼≫を再生し生き残らせることが可能だ。いずれの事例でも、その時点で既に価値の無い資源は生け贄を通じて価値のあるものへと変換されている。
次の理由は、生け贄を要求するカードによって、最早望ましくなくなったパーマネントを処分することができるからだ。≪アシュノッドの供犠台≫は対戦相手から≪放浪熱≫を付けられたクリーチャーを墓地送りにできる。≪ラト=ナムの賢人≫は対戦相手よりも自分の方を痛めつけている≪Copper Tablet≫を御役御免にできる。≪堕天使 / Fallen Angel≫が横にいれば、解決前に生け贄に捧げることで対戦相手の≪支配魔法 / Control Magic≫を無効化できる。そしてどの事例でも、自分の手元には何らかの特典がもれなく残される――≪供犠台≫からは二マナが、≪賢人≫から手札一枚が、≪堕天使≫にはPTへの修正が、といった具合にだ。
最後の理由は最も巧妙な中身だ。ファストエフェクトとして機能できるカードを戦場に出しておけば、対戦相手は警戒を怠ることができなくなる。例えば君が≪エイトグ≫で攻撃した時点では、対戦相手はその≪エイトグ≫がどれだけ大きくなり得るかは分かっても、実際にどれだけ大きくなるだろうかまでは滅多に知りえないはずだ。この不可解性は大きな情報アドバンテージである。君たちの次のデッキ構築では、是非とも生け贄を要求するカードに着眼していただきたい。二度三度と見ることで、一見した以上のものが発見できることだろう。
●10:「ライフこそ全て」
可能な限り大量のライフを得ることが勝ちに繋がる、という誤謬はこの知的拘束から導かれるものだ。十分なライフを蓄積できたプレイヤーは対戦相手よりも単純に長生きできるので勝てるはずだ、という考え方だ。
この発想の盲点は、どれほど大量にライフを確保しても、そのライフ自体が対戦相手を叩きのめしてくれるわけではない、というところにある。君が自分自身の精力に集中しているようなターンは全て、対戦相手にとっては抑止力無しに攻撃できるターンである。結局は君のライフ回復能力か対戦相手のダメージ能力か、そのどちらが強いかを比べる競争になる。マジックにおいては、ダメージを与えるカードは回復カードに比べて二十倍から三十倍ほどの枚数差を誇っているので【注:95年時点】、君にとっては典型的な負け試合ということになるだろう。
またライフ獲得に専念することはプレイヤー間の相互作用を無視することになり、君は最大のアドバンテージ、つまり意外性や驚きという要素を放棄してしまっている。もし君が自分自身のライフのみ焦点を当てるのであれば、それはその時点で君は君自身という名の対戦相手にとって最大の障害物を取り払ってしまった、ということを意味する。加えて留意していただきたいのだが、≪剣を鍬≫など対戦相手にライフを与えるような呪文は、それだけ重要な働きを行なうのであれば、必ずしも悪いものではない。
マジックとは相互作用のゲームだ。プレイヤーが勝利へ辿り着くのは対立への参加を通じてであって、対立からの逃走を通じてではない。
●結論
マジックで指折りに楽しい要素は、それによって鼓舞される創造性だ。新しい使い方や組み合わせでカードや呪文をプレイすることこそ、まさにマジックの核心部であり、魔法そのものだ。
今回取り上げた知的拘束は、プレイヤーが自分自身の認識に課した制限でしかない。これら全ての知的拘束に対する鍵は、究極的には同一であって、すなわち創造性こそが親鍵だ。憶測と習慣を克服することで、プレイヤーは従来の方式を打破し、新しく刺激的な探究へと進むことができる。
マジックのプレイヤーとして限りなく高みに至ろうと試行錯誤するならば、今現在の自分自身こそが最大の対戦相手なのだ。
――マーク・ローズウォーター
コメント
なんかマジックを始めた頃を思い出せて懐かしくなります。